これは3世紀から4世紀頃の出来事を描いたものだそうです。描かれているのは聖エメレンティアーナで,殉教した養姉妹の墓前で祈りをささげているところを異教徒が石打の刑を処しているところです。宗教間の争いは残酷です。あくまでキリスト教徒の視線から描かれています。ヨーロッパでは昔からキリスト教が主流と思っていましたが,ローマ帝国では禁止していたり,このように異教徒が迫害する頃もあったようです。
フランチェスコ・サルヴィアーティ作「アダムとイブ」です。イヴがアダムに禁断の果実,知恵の樹の実を手渡し,神の命令に背く瞬間が描かれたものです。通常,蛇が誘惑したことになっていますが,ここではプット(子供の天使)が禁断の果実を渡しています。蛇は悪魔のような存在なのにそれを天使として描かれているのが不思議でした。おそらく,彼らからは誘惑している存在が天使に見えたことを表しているのかも知れません。
アレッサンドロ・アッローリ作「辺獄降下」という作品です。辺獄というのは,天国と地獄の間に位置する場所だと言うことです。そこには,アダムやエヴァなどが閉じ込められていて,処刑されたキリストが彼らを救出する場面を描いたものです。キリストは,辺獄に下りて,人々を救っています。上の方は,救われた人々が天国に導かれる様子が描かれています。上部右の方にパイプのようなものが描かれていますが何だろうかとAIに尋ねると,強固に閉じている辺獄の門の蝶番の一部との回答がありました。別に同じことを尋ねると,キリストが処刑された時の磔台の柱との回答もありました。この形状から言って前者が正しそうです。人間の大きさに比較してものすごく大きな蝶番ということになります。辺獄はスケールが違うということでしょうか。
いずれにせよ,無信心の私にとっては,神は料簡が狭く,人々を脅して信心させようとする魂胆が見えてしまいます。
17世紀のイタリアの画家ピエル・フランチェスコ・モーラ作の「カインとアベル」という題材の作品です。カインとアベルは旧約聖書でアダムとイブの2人子だそうです。カインは土の実りを,アベルは子羊を神にささげたところ,神はアベルの捧げものだけに目を向けたそうです。それに嫉妬したカインがアベルを殺害してしまったとのことです。この作品はその殺害のシーンを描いたものです。人類初めての殺人事件とされているそうです。
ガスパール・デュゲ作「滝と人物がいる風景」です。コロンナ美術館の風景画の間に飾られていたものです。コロンナ美術館はバロック期の風景画家による作品が多く収められていることが特徴とのことです。雄大な自然の中に小さな人物が配されているという画風が17世紀のイタリアでは流行していたそうです。近くに小さな滝があり,その向こうにも小さく見える人がいます。遠景の山が自然の雄大さを感じさせます。
コロンナ美術館では,多くの絵が壁に掛けれれていますが,この絵だけは,部屋の角の架台に掛けられていました。何か特別な絵なのでしょうか。ガスパール・デュゲ作「ヴィーナスがマルスの武装を解く」とのことです。ヴィーナスと軍神マルスが仲良くしています。先に書いた「ヴィーナス、キューピッドとサテュロス」の話題でヴィーナスの老いた夫が突然帰ってきて,マルスが隠れている場面がありました。それはこの絵の後の出来事なのかも知れません。この絵では,ヴィーナスの魅力により,軍神が武装を解いている様子が描かれています。マルスの武器はプット達により取り去られたり,遊ばれたりしている様子が描かれています。プットはキューピッドのような幼児の天使達です。マルスが隠れている場面では,ヴィーナスの子,キューピッドはすやすや寝ていますので,これらの天使達はキューピッドとは別の天使たちのようです。
コロンナ美術館で何となく目に留まった作品です。検索すると「無名のカラヴァッジョ派の画家」作とのことでした。この作品は、17世紀のオランダ黄金時代やイタリアのカラヴァッジョ派のジャンル絵画(風俗画)の典型的な例で、庶民の日常生活、特に食事や飲酒の場面が描かれています。左手にワイングラスを持っています。右手は何かの道具かと思いましたが,水差しだとわかりました。食卓上のチーズやパンは静物画のようであり,そこに陽気な男が配されています。
コロンナ美術館に青年に弓矢が刺さっている絵画が飾られていました。パリス・ボルドーネ作の「聖家族と聖セバスティアヌス」らしいです。体には弓矢が刺さっているのも関わらずそれほど苦しみあがいていません。このような場面の絵は絵画集でいくつか観たことがあります。セバスティアヌスがキリスト教徒であることを打ち明けたことにより弓矢により処刑されましたが,致命傷にならず,後にこん棒で撃ち殺されたとのことです。ローマ帝国でキリスト教が禁止されていた頃の題材らしいです。
不思議なのはセバスティアヌスが描かれた絵画のほとんどが,矢に撃たれているにも関わらず苦しみもがいているように見えないことです。調べてみると,信仰が苦痛を乗り越えている聖者であるということらしいです。また,絵画ではキリストが幼子ですが,セバスティアヌスはキリスト教徒で時代がごちゃ混ぜです。これも絵画の芸術性が重視され,歴史的な場面を正確に描写するという考えではないようです。
ローマ・コローナ美術館に入ったすぐの所にあった絵画です。どこか(絵画集など)で見た絵だと思いました。後で絵画集を見直してみると,同じような絵は,ティツィアーノ「ヴィーナスとオルガン奏者」やティントレット「ヴィーナス,マルスとヴルカヌス」でした。これらの画風は当時の流行だったようです。前者はヴィーナスとキューピッドがいてBGMのようにオルガン奏者が描かれているそうで,ヴィーナスとオルガン奏者とは関係がないらしいです。後者はヴィーナスがマルスと楽しんでいるところに年老いた夫が帰ってきてマルスが隠れているという面白い情景が書かれているのだそうです。そんな修羅場でキューピッドはすやすやと寝ています。
私がコローナ美術館で観た「ヴィーナス,キューピッドとサテュロス」は,ヴィーナスとキューピッドがくつろいでいるところを,半人半獣のサテュロスがのぞき見しているところだそうです。画角から,この絵を観ている自分とサテュロスは同類だともいえるそうです。なお,絵の前に肖像が2つ飾られていて,完全な絵は撮影できませんでした。
「落語から歌舞伎,能狂言そして人形浄瑠璃」のところで述べたように,これら4種の古典芸能はお互いに影響を及ぼしあっています。そこで人形浄瑠璃を実際に観てみたいと思いました。人形浄瑠璃は落語や歌舞伎と異なって,現在定所での公演はありません。今回,アメリカ5都市での公演を終えて凱旋公演と称してよみうり大手町ホールで開催されました。アメリカでの公演は荷物を減らすため,べニアで作った背景を用いず,プロジェクションを用いたそうです。今回もその手法が使われました。よみうり大手町ホールは私が前回「ウォーブライド」を鑑賞した会場です。同じように,開場時刻まで下の階で待つ必要がありました。
演目は八百屋お七もの(伊達娘恋緋鹿子)と曽根崎心中で,人形浄瑠璃そのものと,義太夫節の解説とからなっていました。解説では太棹の三味線の糸(弦)は絹糸からできていて,どんどん伸びるので,演奏中に調整が必要なこと,1回の公演で交換が必要なことなどがありました。八百屋お七では,雪降りしきる中,火の見やぐらに登るシーンでした。登るときは人形遣いが見えませんでした。火の見櫓の裏から操るという技法だそうです。この公演は10分ほどですぐ休憩に入ってしまいました。そして休憩時間は20分もあったのです。解説者の説明によると,“雪”を片付けるのにそんなに時間を要するとのことでした。曽根崎心中の方を先にやればよいのにと思いました。
人形の動きは大変に綿密で,実際の人が動いているかのように見えるほどでした。人形が小さいので,よみうり大手町ホールのような大きなところと言うより,小学校の教室くらいのスケールが良いのではないかと感じました。しかし,実際には国立劇場などでやられていたとのことですが,私の感覚は違っているのでしょうか。
(Chat GPTによる)










