16世紀後半にイアコポ・ティントレットイにより描かれた絵画です。ギリシャ神話の美少年,ナルキッソスが泉に写った自分の姿に恋焦がれそのまま命を落とし,水仙の花になったという物語を描いているそうです。ナルキッソスがナルシストの語源だそうです。遠景には廃墟となった建物が描かれています。これは時の無常を示しているようです。ナルキッソスが仕事や飲み食いも忘れて自分の姿に見とれている間に時は経ち死んでしまったのでしょう。また遠景に2人が描かれています。一人はナルキッソスに惚れたニンフ(自然の擬人化)こだまであり,もう一人はナルキッソスを罰した女神ネメシスらしいです。
「昼」と「夜」の対になった16世紀の作品だそうです。「昼」もこの美術館に収蔵されているそうですが,記憶にも写真にもありません。女性が光の冠を付けて野外に座っている絵らしいです。AIでは,その画像は著作権の問題で表示できないとのことでしたので,鉛筆画で描かせました。
この「夜」の絵画では女性が横たわっています。夜の睡眠の姿らしいです。目を閉じた仮面が描かれているのは,眠りを表しているとのこと。プットが松明(たいまつ)を持っているのも夜を表しているとのこと。これらは「音楽のBGMに相当するのではないか」とこれまでの作品の所でも書きました。研究者によるとこの女性は初期の乳がんを患わっているらしいとのこと。手術で摘出したようにも見えますが,少なくとも16世紀ではそのような医術はなかったと思います。モデルがたまたま患わっていて,画家は忠実に描いたのかも知れません。
これは3世紀から4世紀頃の出来事を描いたものだそうです。描かれているのは聖エメレンティアーナで,殉教した養姉妹の墓前で祈りをささげているところを異教徒が石打の刑を処しているところです。宗教間の争いは残酷です。あくまでキリスト教徒の視線から描かれています。ヨーロッパでは昔からキリスト教が主流と思っていましたが,ローマ帝国では禁止していたり,このように異教徒が迫害する頃もあったようです。
フランチェスコ・サルヴィアーティ作「アダムとイブ」です。イヴがアダムに禁断の果実,知恵の樹の実を手渡し,神の命令に背く瞬間が描かれたものです。通常,蛇が誘惑したことになっていますが,ここではプット(子供の天使)が禁断の果実を渡しています。蛇は悪魔のような存在なのにそれを天使として描かれているのが不思議でした。おそらく,彼らからは誘惑している存在が天使に見えたことを表しているのかも知れません。
アレッサンドロ・アッローリ作「辺獄降下」という作品です。辺獄というのは,天国と地獄の間に位置する場所だと言うことです。そこには,アダムやエヴァなどが閉じ込められていて,処刑されたキリストが彼らを救出する場面を描いたものです。キリストは,辺獄に下りて,人々を救っています。上の方は,救われた人々が天国に導かれる様子が描かれています。上部右の方にパイプのようなものが描かれていますが何だろうかとAIに尋ねると,強固に閉じている辺獄の門の蝶番の一部との回答がありました。別に同じことを尋ねると,キリストが処刑された時の磔台の柱との回答もありました。この形状から言って前者が正しそうです。人間の大きさに比較してものすごく大きな蝶番ということになります。辺獄はスケールが違うということでしょうか。
いずれにせよ,無信心の私にとっては,神は料簡が狭く,人々を脅して信心させようとする魂胆が見えてしまいます。
17世紀のイタリアの画家ピエル・フランチェスコ・モーラ作の「カインとアベル」という題材の作品です。カインとアベルは旧約聖書でアダムとイブの2人子だそうです。カインは土の実りを,アベルは子羊を神にささげたところ,神はアベルの捧げものだけに目を向けたそうです。それに嫉妬したカインがアベルを殺害してしまったとのことです。この作品はその殺害のシーンを描いたものです。人類初めての殺人事件とされているそうです。
ガスパール・デュゲ作「滝と人物がいる風景」です。コロンナ美術館の風景画の間に飾られていたものです。コロンナ美術館はバロック期の風景画家による作品が多く収められていることが特徴とのことです。雄大な自然の中に小さな人物が配されているという画風が17世紀のイタリアでは流行していたそうです。近くに小さな滝があり,その向こうにも小さく見える人がいます。遠景の山が自然の雄大さを感じさせます。
コロンナ美術館では,多くの絵が壁に掛けれれていますが,この絵だけは,部屋の角の架台に掛けられていました。何か特別な絵なのでしょうか。ガスパール・デュゲ作「ヴィーナスがマルスの武装を解く」とのことです。ヴィーナスと軍神マルスが仲良くしています。先に書いた「ヴィーナス、キューピッドとサテュロス」の話題でヴィーナスの老いた夫が突然帰ってきて,マルスが隠れている場面がありました。それはこの絵の後の出来事なのかも知れません。この絵では,ヴィーナスの魅力により,軍神が武装を解いている様子が描かれています。マルスの武器はプット達により取り去られたり,遊ばれたりしている様子が描かれています。プットはキューピッドのような幼児の天使達です。マルスが隠れている場面では,ヴィーナスの子,キューピッドはすやすや寝ていますので,これらの天使達はキューピッドとは別の天使たちのようです。
コロンナ美術館で何となく目に留まった作品です。検索すると「無名のカラヴァッジョ派の画家」作とのことでした。この作品は、17世紀のオランダ黄金時代やイタリアのカラヴァッジョ派のジャンル絵画(風俗画)の典型的な例で、庶民の日常生活、特に食事や飲酒の場面が描かれています。左手にワイングラスを持っています。右手は何かの道具かと思いましたが,水差しだとわかりました。食卓上のチーズやパンは静物画のようであり,そこに陽気な男が配されています。
コロンナ美術館に青年に弓矢が刺さっている絵画が飾られていました。パリス・ボルドーネ作の「聖家族と聖セバスティアヌス」らしいです。体には弓矢が刺さっているのも関わらずそれほど苦しみあがいていません。このような場面の絵は絵画集でいくつか観たことがあります。セバスティアヌスがキリスト教徒であることを打ち明けたことにより弓矢により処刑されましたが,致命傷にならず,後にこん棒で撃ち殺されたとのことです。ローマ帝国でキリスト教が禁止されていた頃の題材らしいです。
不思議なのはセバスティアヌスが描かれた絵画のほとんどが,矢に撃たれているにも関わらず苦しみもがいているように見えないことです。調べてみると,信仰が苦痛を乗り越えている聖者であるということらしいです。また,絵画ではキリストが幼子ですが,セバスティアヌスはキリスト教徒で時代がごちゃ混ぜです。これも絵画の芸術性が重視され,歴史的な場面を正確に描写するという考えではないようです。









