この劇場のパンフレットが町中で配られていました。あまりテレビでは見かけない出世前の芸人さんが,自らパンフレットを配り,演技もしているとのことでした。若者がバカ話をしているという印象が強いのです。私自身,若者の気持ちを失っているのかも知れません。以前に,漫才,コント,漫談などを行っている浅草東洋館に入り,面白いのもあると感じていました。そこで,今回は,何事も経験と思い入ってみました。

 

 会場は小ぢんまりとしたところでした。看板には「世界で一番小さな劇場」と書かれていましたが,それほどは小さくはないと感じました。観客の内,男性と女性のそれぞれお一人が,大笑いしていました。自分自身,「歳だから笑えない」とも思ってしまいました。しかし,笑い方があまりにも大げさ,サクラではないかとも感じてしまいました。ここでは,オープニングとトークショーだけは撮影可とのことでした。写真はトークショーの一場面です。それぞれの組あるいは芸人さんが紹介されました。頑張っている芸人さん,応援したいです。

 正月の演芸ホールは面白くないという先入観がありました。それでも,浅草演芸ホールの近くを通る機会があったので入ってみました。先入観と言うのは,正月は多くの芸人さんが出演し,ちょっと挨拶をして引っ込んでしまうということです。落語そのものを楽しめないと思っているのです。プログラムを見ると,1部から4部までで構成されていました。通常は昼の部と夜の部だけです。噺家さんも,初席の持ち時間は短いと言っていました。それでも「金の大黒」と「馬のす」を聴くことができました。いつもなら昼の部の最後まで聴けるのですが,公演時間が1時間ほど長くなっていました。電車が混む前に帰りたかったので,残念ながら,途中で退席しました。

 三遊亭歌武蔵さんと古今亭志ん輔さんの芸風について考えさせられました。歌武蔵さんは,「高座の良さは観客により決まる。面白くなくても笑う。笑えば面白くなる。だから笑ってください」と言います。これが芸スタイルなのですが,体格からして威圧感があります。この芸スタイルはこの体格には合わないのでは?と感じてしまいます。志ん輔さんは,「落語は映画と異なり,どこから見てもよいし,どこで出ても構わない---今出ないで~」と懇願するような演技は気持ちよく笑えます。歌武蔵さんの高座は,最近3回聴いたと思いますが,相撲解説の北の湖さんのもので,たまたまでしょうか。まったく同じ演目でした。志ん輔さんの演目は,猫の皿でした。

 やっていることはいつもだいたい同じなのにマンネリを感じさせません。金魚さんがいつも頭に自作の飾り物を載せてくるのも,今回は何を作ってくるかと楽しみの一つです。今回はクリスマスの飾り物でした。いつも百均で買ったもので作っているとのこと。今回は200円と言っていました。金魚さんはすごく体が柔らかです。にゃんこさんが「これで後期高齢者ですから」と,言います。調べてみるとまだ前期高齢者の様です。

 骨董屋で留守番を頼まれた与太郎の所に中橋の加賀屋佐吉方から参じたという男が上方なまりで伝言を伝えるが何を言っているかわからない。おばさんと共に聞くがよくわからないままに,男は帰ってしまう。主人が帰って来て伝言を聞かれるが,聞き違えて,気が違ったとか遊女だとか寸胴切り,古池に飛び込んだとか物騒な話になってしまう。

 使いの男の口上は,ふつう早口で行いますが,馬石さんの噺では,与太郎たちの要求によりゆっくりと話します。それでも聞き取りにくいのが馬石さんの芸の深さだと感じました。

 ここの所いろいろあり,演芸場にしばらく足が向きませんでした。久しぶりに入りました。団体さんが入っているようで,結構混んでいました。2階席が好きなのですが,空いている時は節電のため,開放してくれません。この日は団体さんの影響もあり,2階席を使うことができました。時間節約のため,コンビニでサンドウィッチとおにぎりを買って,食べながら観ました。2階席は噺家さんの目が届きにくいので,公演中もこっそり食べることができます。終盤には,2階席もかなり埋まってきました。入れ替えがないので,昼の部から夜の部まですべてを観ることができるそうです。私は帰りが遅くなるのが嫌なので,昼の部だけで帰りました。ちなみに,昼の部が終わる時,「招待券の人は,夜の部まで続けて観ることはできません」とのアナウンスがありました。それで混んでいたのでしょう。

 

 「クミコ70’s Anniversary有楽町の4Days」を妻と見に行きました。会場は有楽町センタービル7階別館にあるアイマショーでした。英字での表示はI’MASHOWです。“I am a show. ”と“有楽町で逢いましょう”を掛けたものなのでしょう。いろいろなショーをやっていることを初めて知りました。このショーの観客はほとんどがご婦人で,夫連れが何組かいた程度でした。オーソドックスはシャンソンを期待していたのですが,トークと日本の古い歌謡曲だったので,期待とは異なったものでした。

 泥棒夫婦が骨董屋から盗んできたものの品定めをしています。その中に変なカメラがありました。夫婦と,妻の弟を加え,そのカメラが10分後の姿を写しだすことを見出します。これを賭けに使えば大儲けできると思いつきます。そして競馬で大儲けします。たまたまホテルのウェイターがこのカメラに書かれていたフランス語を翻訳します。このカメラには,フランス語で持ち主に対して10回限りと書かれていました。残り2枚の使い道について意見が合わず,もみあいになっている時,誤ってシャッターを押してしまいました。そして,妻が悲鳴を上げている写真が出てきました。夫は疑心暗鬼となり弟ともみあいになり,二人とも窓から転落してしまいます。妻の表情はその時のものだったのです。金は自分だけのものになると喜んだ妻は,転落した2人の写真を撮ります。そこにウェーターが現れ金を奪います。そのときカメラから出てきた写真には2人以外も転落しているのが写っていました。妻は確認に窓まで走りますがつまずいて転落してしまいます。ウェイターはしめしめと思いますが,写真をよく見ると自分も転落していることがわかり,ガーンとなります。

 このテーマもミステリーゾーンではしばしば使われるものだと思います。テレビで自分だけいる時だけ未知の画像が現れるというのを観たことがあります。ただいずれも結末はバラ色ではなく,破滅です。

 研究者だった男とその妻,娘が合成人間の使用人を使って暮らしています。娘は他の世間との接触を止められていることに反発し,合成人間は分解してしまうよう親に迫ります。娘は,アルバムに昔の自分の写真がないことに疑問を持ちます。追い詰められた親は,娘自身も合成人間だということを白状します。自分たちに子供ができないので合成人間の娘を作ったのです。昔の写真がないのは,合成人間は歳をとらず,作られたときのままだからです。作られた子供時代の記憶も埋め込まれていました。これを知られてしまったらこれまで通り娘とすることはできません。娘は,分解された合成人間の別の役割,母親の肩をもむ係となってしまいました。

 前に書いた「すべては彼の意のままに」とテーマが同じでした。その記事でも,「自分もマネキンだったという結末」とか,「映画“13F”でも,仮想世界とこの世界と行き来していたが,この世界も仮想世界だった」とか述べました。恐らく奇妙な話のネタは限られていて,このネタは使いやすいものでしょう。

 顔を包帯でぐるぐる巻きにされた女性が病院のベッドに横たわっているところから始まります。女性は醜い顔なので,整形手術を何度も受けているそうです。この国では,醜い顔の人は整形手術を受ける権利があり,11回手術を受けても治らないと隔離されます。この女性は11回目の手術を受けても,治りませんでした。ドラマの中では包帯をとるまで医師,看護婦の顔が映されませんでした。話は途中から予感していた通りでした。普通の感覚で見ると,女性は美人で周りの人が醜かったのです。しかし,この国では女性が醜く,周りの人が正常でした。

 このドラマを見ていて落語「一眼国」を連想しました。一眼国では,一つ目が正常で,迷い込んだ,我々と同じ二つ目の男が“変わった風貌”ということになったのです。そして見世物小屋に送られました。これらのテーマは,正常というのが絶対的なものではないということです。どの人種がきれいで,どの人種がそうでないとか,ある国の建築はきれいで,別の国の建築はそうでないとか,偏見と言えると思います。