「全てを犠牲にしてでも作る必要があった!」 | 家族を見つめる(家庭教育)

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 この大変な作業の裏には多くの犠牲が払われたことでしょう。力尽きていく者もあり、また事故もあったことでしょう。
日本でも古くは河川の氾濫を抑えるために、人柱と称し命を捧げたりと、天災に立ち向かうために尊い人命を差し出すことが現実にあったのです。
このストーンサークルも同様に、甚大なる犠牲が払われてきたと想像しても不自然ではありません。


 さて、この犠牲に目的・理由があったと考えられます。どうしても成し遂げなくてはならない理由があったのです。
それは”神の認知/自然摂理の具象化”であると考えます。この場合の神は自然科学であり人々を超越した存在と解釈します。ストーンサークルの多くは意外にも正確な日時計の役割りを担っていたと言われます。日時計は”時”を表します。当時の人々にとって、時を図る行為はどんな位置づけだったのでしょうか。まだ自然科学という手法が確立されていなかった彼らは、自然の中に生の営みを肌感覚で感じ取り、日々衰えていく我が身に比例することのない大自然の悠久の命に、感じるがままの敬意を払ってきたのです。

 現代社会には科学があり、そして思想信条の多様化によって数限りないほどの価値観が存在します。一方、当時の人々は小さな集落を守るために、極めてシンプルな生き方に終始し、厳格な社会規範を作り上げてきたのでしょう。それは彼らに畏れと敬いの精神が純粋に宿っていたからだと考えるのです。
我々の先祖が慎ましくも抱いてきた自然に対する無垢な精神は、地球上に住まう私たち現代人が責任を持って受け継いでいこうではありませんか。

 当研究会では、こうした古代文化の遺産からデザインの真理を探り、現代デザインのあるべき姿を研究しています。このストーンサークルもその中のひとつ。人が集う居間~庭~集会所などに古代の理を活かすオリジナルデザインを保持するに至りました。