第3話「田中屋にて」 | 道 〜心臓外科医 奈良原裕のブログ〜

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あの日がくるまで僕は人生のうわっ面しか追いかけてこなかった。医師となり心臓外科医となって、これまで何をしてこれから何をしていきたいのか。この道がどこで終わるのかはわからないけれど、向きたい方向に顔を向けて歩いていこうと思う。

「田中屋にて」

平成25年6月。尾頭先生と僕は学会参加のため岡山に出張していた。滞在していた旅館で尾頭先生より1冊の本をいただいた。


『桜』


心臓血管外科専門医試験に合格した僕への記念品制作の過程を記録したものだった。
合格するであろうと踏んで、1年前から制作に入っていたと。


日本刀真剣 大脇差し

脇差しは本来武士にとって、太刀以上に重要視されるものであった。徳川時代の武士は、太刀と脇差しとを帯刀していたわけだが、城中に登城する際には太刀は預けて脇差しは帯刀して勤番したという。他家を訪問する際にも、玄関で太刀は預けて脇差しだけで対談したとも言われている。

武士が肌身離さなかった脇差し。
脇差しは、相手に止めを刺すときに、また自決をするときに使うもの。
いにしえの武士が、大刀に換えて最後の拠りどころとした脇差し。
武士道の精神は、脇差しに込められている。





平成25年9月吉日。文久三年(1863年)創業の老舗料亭「田中屋」にて脇差しを授かることとした。安政六年(1859年)の横浜開港以来、国際都市として急激に発展していった神奈川宿には約1300軒の料亭があったが、現存しているのは田中屋たった一軒である。坂本龍馬の妻、おりょうが龍馬の亡きあと仲居として勤めていたこともある。祖先が関わった寺田屋事件、生麦事件が明治維新へとつながり今の日本がある。脇差しを授かるのに相応しい場所だと思った。





次回、桜~another story~最終話「生き様」