【有限な身体の中にいるからこそ慈しむという発想】
中小企業診断士25年、銀行業務32年の経験を持つ心理セラピスト中澤です
お金の不安から解放されて幸せな人生をつかむための
心理セラピーをご提供しています。
昨日は友人の主催するグループ冥想会に参加してきました。
冥想教師は真言宗のお坊さんであり、NLPトレーナーの菊池龍全さん。
受講生のみんなで一緒に冥想したり、お話を聞いたりしましたが
印象に残ったのが冒頭の言葉
高野山大学のスピリチャル学科を卒業されているので
どこまでが仏教のお話でどこからがおスピリチャルなお話か分かりませんが
ご自分の臨死体験的なものも踏まえて
こんなお話をしてくださいました
あくまで私が受け取ったメッセージですが
死を目前にして
身体の中にいると痛みや苦しみがある
身体を離れると楽になる
冥想をしている時と同じ感覚になる
そして、また身体に戻って
再び生かされて感じること
いろいろ制限のある身体だからこそ
この身体を慈しもう
そんな感覚になられたのだそうです
ここからは私の解釈ですが
生・老・病・死をはじめとして
私達の身体、人生には様々な制限があります
制限のある人生だからこそ
逆に生きる意味がある
その制限の中で
どう生きるのか?
自分を輝かせるのか?
そういう意識になって
この身体で精一杯生きよう
そう思うと
身体を慈しもう
と思える
そんな風に感じました
仏教では「愛」という言葉はあまり使いません
「愛着」という言葉があるように
執着につながるからだそうです
「愛」に似た言葉で「慈悲」という言葉は
友情のような優しさ
苦しいこと辛いことを取り除いて
楽しいことをしてあげたいと思う
そんな優しさなんですね
(Wikiなどから)
人生に制限があるからといっても
それは決して戦う相手ではありません
例えば「病気の症状」は何かのメッセージとも言われています
自分が何かの思い込みを持って
窮屈な生き方をしている場合
そろそろ生き方を見直したほうが良いよ
と教えてくれています
その生き方のルールも
思い込みも
それができた幼い時には
自分を守るため
よりよく生きるため
愛されるため
こうした自分で作った制限を
ビリーフ、ブレーキ、ブロックと表現しますが
ビリーフを書き換えるとか
ブレーキを外すとか
ブロックを壊すとかの表現は
わかりやすいから使っているだけで
敵ではないんです。
元々は味方なんです。
ただ、自分が幼い頃に作ったルールは
変えることもできます
それは自由なんですね。
有限な身体のなかにいるからこそ
この身体で精一杯生きる
この身体を慈しむ
今日は
私が感じたことをそのまま書き留めてみました
何か感じて頂けるといいなと
思います
私のビリーフ・チェンジセラピーでは
無意識の心の思い込み(=ビリーフ)を変えていくことで
今見えている現実
今見えている景色を変えていくことができます
今見ている景色を変えたい方はこちらから