「キリスト教徒(クリスチャン)は救済されない」という詩がもう一つあった。 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

以前に、「キリスト教徒(クリスチャン)は救済されない」
という記事を書いたのだが、ノストラダムスの詩の中に同様のことを述べている詩がもうひとつあった。

 

ノストラダムス 2-12
両目が閉じられ、古式ゆかしい夢想に見開かれる。
独身者たちの服装は無価値なものになるだろう。
偉大な君主が懲らしめるだろう、
以前に神殿の財宝に心奪われていた者たちの熱狂を。

(ノストラダムスの大事典の訳)

 

2行目に「独身者たち」とあるが、これは聖職者、修道士や修道女を指している。
彼らは「神(イエス)に仕える」ということで独身を貫いた。
というか結婚を禁じられて禁欲的な修行の道を歩んだ。
(今はどうだか解らないが)
つまり、この詩はキリスト教の聖職者について述べた詩だと判る。

 

>両目が閉じられ、古式ゆかしい夢想に見開かれる。

 

「両目を閉じる」とは盲目であり、光(キリスト)と真実が解らない、という意味である。
彼らは「主に仕える」と言いながら自ら目を閉じてしまっているのだ。
「古式ゆかしい夢想」というのは中世以前からの古臭い教義(聖書解釈)である
彼ら聖職者は古臭い教義に縛られ、それを頑なに守って学んでいるが、そんなものは「夢想」だというのだ。

 

>独身者たちの服装は無価値なものになるだろう。

 

これも、「聖職者達が重んじていた形式や儀式は全て無駄である」と言っている。

 

>以前に神殿の財宝に心奪われていた者たちの熱狂を。

 

彼らは神殿、寺院、教会などの壮麗、荘厳な聖堂とそこに飾られている財宝(例えば、金銀や宝石できらびやかに装飾されている聖遺物など)に心を奪われ、それらは神の威厳の発露であり、何らかの効力がある、と信じて、ありがたがって拝んでいた。

 

>偉大な君主が懲らしめるだろう、

 

しかし、実はそんなものには何の効力も無かった。幻想である。
最後の審判の時に主、キリスト、天使は彼らの無駄な行為を懲らしめるだろう=救済しない。

つまり、聖職者達は救済されない=携挙されない、と述べているのだ。


これは、聖職者について述べているだけではない。
聖職者の説教(古臭いカビの生えた教義)をありがたがって神妙に聞いていた信者達も同じである。
聖職者が救われないのだから、その信者達が救われる訳がない。


修道士、修道女が俗世間から隔絶された修道院で日夜聖書を読んで修行に励んでも、それは真の救済とは無関係だったのだ。
彼らは魂の救済を信じていたのだろうが、それらは、全て誤解、勘違い、夢想、幻想だったのだ。
何という無駄な行為をしていたのだろうか。

 

それも当然だ、彼らは聖書しか読まない。
聖書オンリーでは真実は解らない。
そのように作成されているのだ。

 

このように、この詩は「キリスト教徒は救済されない」と示唆しているのだが、勿論あの時代(ノストラダムスがいた16世紀当時)にこんなことははっきりとは言えない。
だから、ノストラダムスも漠然とぼかして暗示している。
また、従来の研究家も
「この詩は、ある時代の誰か特定の一人の聖職者についての予言だろう」
という程度にしか考えていない。
予言的思考から抜け出せないのだ。

 

私も以前、クリスチャンの掲示板に少し書いたことがあったが、全く相手にされなかった。
私を反キリスト、偽キリスト扱いにした人もいた。
ノストラダムスの名を出しただけで、そこでシャットダウンだ。
彼らの頑なさには参る。
それで、以後はキリスト教徒は相手にしなくなった。
話しても無駄だからだ。

 

そして、これは、キリスト教徒だけではない、その他の宗教全てに言える。
瞑想や祈りも真の救済とは無関係である。

真の救済というのは、このブログで説明しているように、
天使軍団に携挙されて、彼らの惑星に連れて行ってもらって、天使と共に暮らすことである。
携挙されるためには、真理、現実的な過程と現象を理解しなければならない。


それなのに、多くの、いや全部のキリスト教徒は、「神やイエス様を信じ、(そのイメージに対して)祈っていれば救済してもらえるだろう」
と主張するだけだ。
「私は毎日何時間も祈っています」
とさも自慢気に書いていた信者もいたが、全く無駄な行為である。

 

また、スピリチュアル系の瞑想でチャクラを開く、だの、聖地に行く、だの石や宝石を身に着けて、だとかいうのも関係無い。

とにかく、天使に携挙されないことには救済されないのである。

 

全体救済=天使の地上復帰の期限だった1999年までに天使を呼んで準備を始めなかったのだから、悪魔軍団に支配される、という未来を変えることはできなかった。
そして、どう考えても悪魔軍団の我慢も限界だろう。
全ての宗教の指導者も聖職者も信者もこの構造が全く理解できていない。

 

欧米のキリスト教圏で生まれ育った人達は、キリスト教の教義を刷り込まれているから、
「(従来のキリスト教は)全く無駄ですよ。救済とは関係ありませんよ」
と完全否定しても、なかなか受け入れられないだろう。

私達日本人も仏教や神道、儒教、道教などの刷り込みの下で育ってきたから、それらを完全否定するのは難しいだろう。

それらを信じて目先の御利益に効果があったとしても真の救済とは関係無い。

 

今はオリンピックに浮かれているが、オリンピックが終わり、祭りが終わり、夢から覚めたら現実に戻されるだろう。