ノストラダムス 10-91、1999年に地球人は自分達の主人に悪魔軍団を選んだ。その1 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

掲示板、
http://9320.teacup.com/kkokrjp/bbs

に、ノストラダムスの詩について、御自分の解釈、見解を投稿してくれた方がいた。


預言書(聖書とノストラダムス)のどれかの記述、詩について、自分独自の解釈ができた方はこの掲示板に書き込んでいただきたい。
HNなのだから「当たった、外れた」と気にする必要はないし、恥ずかしがることもない。
私としても、その投稿がヒントになることもある。
私も次の投稿が大きなヒントになった。

 

[1149] 2019年の秘密
 投稿者: 啓示者 投稿日:2016年12月 6日(火)

 

10章91
一六0九年 ローマの教会
その年の初頭に選挙を行うだろう
灰色と黒色の者ひとりカンパーニアより登場する
この男ほど腹黒い人間は見たことがない

(山根和郎 訳)

 

カバラでX=V+V+V+V=20
 X91=2019
 1609=6019
 天地創造から6019年=2019年

その年の初頭に選挙を行うだろう
腹黒い人間が来る前の選挙=選別と携挙

 

この方は「この詩が、携挙の時に関する預言だ」と解釈したようだ。
この方のこの詩についての解釈は面白いし、参考にはなる。
私はこの方の解釈を否定はしない。
ノストラダムスの詩は多義構文になっていて、いろいろな解釈ができるからだ。

だが、この詩を読んで、私はこの詩の解釈について、
「ああ、この詩はこう解釈できるんだ。この詩の真意はこれだったんだ」
と気がついた。


この詩をずっと以前読んだ時は、
「1行目の1609年というのは、1999年を暗示しているのではないか?」
とは思った。
というのは、

「6と9は上下をひっくり返した数字なので、6と9は置換できる、という法則がある」、

ので、そう思ったのである。
他の詩でも年に6と9が出て来る詩は「1999年を暗示している」と思える。
それ程1999年というのは大事な年なのである。


そして、以前、ざっとこの詩を読んだ時には、3行目と4行目に、

 

灰色と黒色の者ひとりカンパーニアより登場する
この男ほど腹黒い人間は見たことがない

 

とあるから、これは「悪魔軍団が侵略にやって来る」という意味だと思った。
そして、2行目、

 

その年の初頭に選挙を行うだろう

 

に「選挙」とある。
これは、「地球人が自分達の主人に天使軍団と悪魔軍団とのどちらかを選ぶこと」
という意味だろう、とも解った。


つまり、この詩は、
「1999年に地球人は(その後の)自分達の主人に天使と悪魔のどちらを選ぶのか?の選択を迫られた。
(だが、地球人は悪魔の方を選んだので)

1999年以後に悪魔軍団が主人としてやって来る。
その悪魔軍団は極悪非道な悪人で地球人は圧政に苦しむ」

というような意味だろう、とは思った。

 

かなり解り易いし、重要な詩だ、とは思った。
だが、いまひとつ確信が持てなかったので「解説する、取り上げる」とまではいかなかった。
その後、いつしかこの詩の存在は忘れていた。
それで、啓示者さんが掲示板に投稿してくれてこの詩を思い出したのである。

 

では、何故、以前この詩の解釈に「いまひとつ確信が持てなかった」のか?
というと、それは1行目の1609年にあった。
1609年では6を9に変換しただけでは1999年にはならない。
6か9がひとつ足りない。

それで、「1609年は1999年を暗示している」とは思ったが、そう書いても説得力が無い。
ほとんどの人は「ああ、そうだね」とは思わないだろう。
「9が一つ足りないじゃん。無理だよ。強引だよ。」
と言うに決まっている。


だから、本でもこのブログでも取り上げなかったのである。
それで、いつしかこの詩の存在も忘れていた。
しかし、この方がこの詩を投稿してくれたので、この詩を思い出したのである。
それで、この方が投稿してくれて、この詩を読んで、
「ああ、こんな詩があったな」
と思い出した。

 

だが、改めてこの詩を読んで、直ぐに、昔は気が付かなったことが解った。
というのは、最近、このブログでも書いたように、

「詩のナンバーにも意味がある、という場合がある」
と考えるようになったからだ。

つい最近、先のシリーズでも取り上げたように、「10-72の詩は2017年を暗示していた」、
というように、詩のナンバーにも意味がある(場合がある)と解ったばかりである。

(ただし、全部の詩のナンバーに意味がある、という訳ではない。

詩のナンバーに意味がある、と解釈できる詩はほんの少しである)

 

以前、この詩を読んだ時には、詩だけを読んでいて、詩のナンバーには全然気を留めていなかった。
だから、
>1609年では6を9に変換しただけでは1999年にはならない。
6か9が一つ足りない。

 

と思って、この詩の解説はスルーしたのである。
ところが、「詩のナンバーにも意味がある(場合がある)」と解ったばかりなので、この詩を読んだ時に直ぐに詩のナンバーも見た。
それで、直ぐに、「ああ、そうだったのか。そういう仕掛けになっていたのか」
と解ったのである。