携挙の予定時に関してノストラダムスの10-72がラストの預言、最終結論なのだろうか? その2 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日の続きである。
ノストラダムスは10-72の詩において、
「携挙の年が2017年だと暗示するために、詩に出てくる数字を操作すると2017という数字が導き出される」、
というような仕掛けを施した、と考えて説明した。


勿論、これは、「携挙の年が2017年だと予め決まっていて、それを暗示するためにこうした」
と考えた場合である。
今日もノストラダムスの立場に立って、この前提で推測していこう。

 

昨日は「詩の本文に出てくる数字を操作した場合」を考えた。
しかし、これだけでは不充分である。
「詩に出て来る数字や詩のナンバーなどのいくつかの数字を加減乗除して操作すれば、どんな数字も導き出されるではないか」
という批判が当然出てくるからだ。
つまり、これだけでは多くの人を説得できない=信憑性に欠ける、ということだ。

 

それで、ノストラダムスは、
「これだけでは不充分だから、他にも、もっと簡単明瞭で信憑性が高い、と思われる仕掛けで2017(年)を暗示したい」
と考えた。
それで、詩の番号、ナンバーに目を付けたのである。


ノストラダムスの預言はカトラン、四行詩という形式で書かれてあるが、各詩には番号が振り分けられている。
だが、詩のナンバーというのはあまり重要視はされていない。
「詩のナンバー(巻と番号)にはあまり意味は無い」とされてきた。
私もそう考えてきた。

ただ、「ラストの預言が優先される、という法則があるので、それに従って配置されている」
というのは判った。


それぞれの詩は凝縮された象徴技法を駆使して書かれてある。
また、多義構文になっている場合も多い。
この詩だと、「再臨と携挙について両方を表さなければならない」
という意図が隠されている。


つまり、少ない材料で多くの意味を込めて作成しなければならない。
となると、

「詩のナンバーを遊ばせておくのはもったいない。詩のナンバーにも意味を持たせて活用できないだろうか?」
と考えるのは当然である。
つまり、

「詩のナンバーで2017を暗示したいが、それはできるだろうか?」」
というのだ。

 

例えば、20巻17番、という詩があれば、20-17~2017と暗示できる。
これは非常に簡単だし、説得力もある。
しかし、ノストラダムスの詩は12巻までしかないので、20-17~2017とはできない。
となると、

「アナグラムとして数字を入れ替えて2017になるようなナンバーのところに先の詩を配置すればよい」、

となる。


しかし、そうは簡単にはいかない。ここにも問題があるからだ。
ノストラダムスの詩は、巻と番号を併せると、3桁か4桁になる。
9巻までは9-〇〇、というように3桁だが、10巻と11巻、12巻は10-○○というように4桁で表される。
2017は4桁なので、3桁までのナンバーの詩、つまり第9巻までは使えない。
そうすると、10巻と11巻、12巻の中に配置すればよい。


「じゃあ、10巻と11巻、12巻のこの3巻の中に入れればいいじゃないか」
と思われるが、そうは簡単にはいかない。


ノストラダムスの詩集は1巻100篇で構成されている。
1巻から10巻までは一応この構成に従っている。
しかし、11巻は2篇、12巻は11篇しか伝えられていないし、詩の番号もバラバラだ。
しかも偽作の疑いもある。

「偽作か? それはともかく、付録か参考程度に」

と軽く見られている。


第7巻まではノストラダムスの生前に発表されたが、第8巻以後はノストラダムスの死後に発表された。
これだけでも「第8巻以後はノストラダムスの真作かどうか疑わしい」
とする研究家もいるくらいだ。
ましてや100篇揃っていない第11巻と第12巻では、よけい「偽作の疑い」が濃くなる。
第11巻と第12巻に入れれば、

「偽作ではないか? ノストラダムスの真作とは認められない」
という論争が起きるのは必至である。

こんなに重要な詩なのだから、不要な論争には巻き込まれたくない。
だから、できれば11巻と12巻は使いたくない。
そうすると、第10巻しかない、となる。

 

しかも、第10巻にすべき理由は他にもある。
ノストラダムスはアンリ二世への手紙の中で、

「10月にトランスレーションがある(携挙がある)」と書いた。
「ラストの(最新の、最後の)預言を優先する」、

という法則を考えると、これが書かれてあるアンリ二世への手紙よりも後に置きたい。


アンリ二世への手紙は第7巻と第8巻の間にある。
となると、第8巻以後に置きたい。
ところが、第8巻と第9巻の詩のナンバーは普通3桁で表される。
4桁で示される第10巻以後に置きたいが、先に説明したように、第11巻と第12巻は避けたい。

 

ただ、アンリ二世への手紙では「10月に」というように月しか書いてなく、年は書いていない。
まあ、重複していないのだから、「これよりも前の詩で年を預言していた」
としてもよいのだが、先に説明したように第9巻までは詩のナンバーは普通は3桁で表されるから、第9巻までは避けたい。

 

となると、どちらの理由を考えても「第10巻しかない」、となる。
つまり、「詩のナンバーが4桁で表される」と

「10月携挙説を書いたアンリ二世への手紙よりも後に置きたい」、

「偽作の疑いが強い第11巻と第12巻は避けたい」

という条件を考えると、
「第10巻に入れるのが一番適切である~第10巻しかない」
となるのである。

 

このように考えると、この詩が第10巻にある、というのは偶然ではなくて必然であり、考え抜かれた結果だ、と言える。

「なんとなく第10巻にある」というのではなくて、必然的な理由があったのである。