携挙の予定時に関してノストラダムスの10-72がラストの預言、最終結論なのだろうか? その3 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日は、テレビ番組を見て気がついたことがあったので、緊急に記事を書いた。
今日は、一昨日までのシリーズに戻ろう。

 

一昨日、このシリーズの「その2」をアップした後で気が付いたことがあるのでそれを知らせなければならない。

アップした直後に気がついたならば、文を訂正、書き直しや削除など編で編集すればよいのだが、アップしてから何時間か経ってしまうと、その間に読んでしまう人がいる。
そういう方は読み直さないだろうから、内容を訂正したことに気が付かないだろう。
それも不親切というか困るので、新しく記事を書いた方がいいだろう。

 

昨日の記事の中で、「後になって気が付いて訂正するべきだ」
と思ったのは次の箇所だ。

 

>ただ、アンリ二世への手紙では「10月に」というように月しか書いてなく、年は書いていない。
まあ、重複していないのだから、「これよりも前の詩で年を預言していた」
としてもよいのだが、先に説明したように第9巻までは詩のナンバーは普通は3桁で表されるから、第9巻までは避けたい。

 

である。
一昨日の記事は、「ノストラダムスは10-72でそのナンバーで2017年を暗示していた」
ということがテーマだったので、こればかりに気を取られていた。
つまり、10-72の詩の「年の預言」ばかりに気を取られていたので、「10-72は年しか預言していない」と早合点してしまっていたので、このように書いてしまったのだ。


だが、アップして何時間か経った後で、
「10-72の詩の1行目は、『1999年7の月』だったから、年だけでなく月に関しても預言していた」
と気がついたのである。

 

この「7の月」については、7月とも9月とも解釈されている。
つまり、「携挙は2017年の7月か9月にある」
と解釈できるのである。

 

となると、月に関して、アンリ二世への手紙の「10月携挙説」とぶつかってしまう。
「同じことが預言されている場合は古い預言は廃棄されて、ラストの預言を優先する」
という法則に抵触してしまうからこの法則が発動してしまう訳だ。

 

そうすると、10-72はアンリ二世への手紙よりも後に出て来るので、
アンリ二世への手紙の10月携挙説は古い預言だから廃棄されてしまう。
10-72の「携挙は(2017年の)7の月(7月か9月)にある」
というのが、今のところラストの預言=最新の預言、最後の預言と思われるので、これが最終結論(ではないか?)と思われるのである。

 

ちょっと前までは、10-72の「9月携帯説」とアンリ二世への手紙からの「10月携挙説」を併せて、

「9月、10月携挙説でいいのではないか?」
としていた。
それは10-72が「再臨と携挙の二重預言になっている」と思いついたばかりで自信が無かったので、「これは参考意見でいい」としてきたからだ。
それに、アンリ二世への手紙の10月携挙説は苦労して解ったので愛着があり、捨てきれなかった、という心理もあったからである。

しかし、10-72を調べて考えていくと、これは「参考ではなくて、本物の携挙の預言になっている」
と思えてきた。

参考から本物へと格上げされてきたのである。

 

とすると、アンリ二世への手紙で示されていた「10月携挙説」は古い預言となるので捨てざるを得ない。


以前も、
「春に携挙説、4月携挙説」に関しては「苦労してやっと解ったから愛着があった」
というのも確かだが、これらよりも後に「10月携挙説」が解ったので、「春に携挙説、4月携挙説」を捨ててしまった。
「苦労してやっと解ったから愛着があるので捨て難い」という気持ちは確かにあるが、「新しい預言を優先する」という法則が解ってしまった以上、それに従うしかない。

 

つい最近まで「携挙は9月、10月」と主張していて、更に、「携挙の年は2017年」と解ったので、結局「携挙は2017年の9月か10月に予定されている」
としてきたのだが、
そもそも、別の預言を併せる、という「いいとこ取り」というのはおかしい。

 

では「携挙9月説にするのか?」
というと「そうでもない」と考えるようになった。
それは、「7の月」を「7番目の月~セプテンバー~9月」と決めつけるのは早急である、と考えるようになってきたからだ。
そのまま「7月かもしれない」と思うようになってきたのである。


だから、10月説は廃棄するとして、「7の月、は7月と9月の両方に解釈できる」、と見解を変えることにした。
つまり、「携挙は2017年の7月か9月にある」
というのが(今のところ)最終結論である。

 

私の支持者は「携挙まであと9カ月ある」と考えていたと思うが、「携挙まではあと7カ月しかない(かもしれない)」に変更してしていただきたい。

7月説と9月説では、たった2か月の違いだから大した差はないように思えるが、その時が近づいてくると2か月の違いというのは結構大きい。
今は12月だから、9月説だと「あと9カ月」だが、7月説だと「あと7カ月」となる。
「あと9カ月もある」が「あと7カ月しかない」となる。
心構え、覚悟、気分的にも結構違う。

 

それに、「7月だと思っていたら9月だった」というのはいいが、「9月だと思っていたのに7月にサイン(UFOの公然出現)が来てしまった」、
となると、慌てるだろう。
やはり、早め、早めに準備して、早く来ても慌てないように=早く来ると思って心の準備をしていた方がいいと思う。

 

しかし、「7月説か9月説」でいいとは思うのだが、単純に決めるのにも問題がある。
というのは、この詩は「携挙(だけ)についての預言」ではないからだ。
前に説明したように、10-72の詩は、
「再臨と携挙の二重預言になっている」のである。

だから、7月というのは、「再臨に関しての預言」とも考えられる。
う~ん、この辺はちょっと複雑である。
「7の月」についてはもう少し考えなければならないだろう。