ノストラダムスには「10月に携挙が起きる」と解釈できる記述がある。その1 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

10月になった。
今日は10月4日である。
前回の更新が9月6日だから約1か月経った。


前回までは「9月に携挙があるのではないか?」
と解釈したので、「私も携挙に備えるべきかな?」
と考えたので、ブログの更新は休んだのである。


しかし、結局9月には携挙は無かった。
だが、「ヨベルの年は10月2日までなので、時差も考えて10月3日くらいまではまだ可能性があるかもしれない」
と思ったので、10月3日までは様子を見ていた。
ところが、10月3日を過ぎてもやはり携挙は無かった。

ヨベルの年も過ぎてしまった。
となると「ヨベルの年のうちに携挙がある」
という預言、解釈は完全に外れた、と言える。
「ヨベルの年に関する預言は携挙とは関係無かった」
と言わざるを得ない。

「9月に携挙がある」
と解釈した根拠は、このヨベルの年に関する記述から「ヨベルの年のうちに審判(選別、携挙)がある(のではないか?)」
と解釈したのと、
ノストラダムスの「7の月」関連で、9月はセプテンバー(7番目の月)なので、
「7の月(セプテンバー)に義人救出=携挙がある(のではないか?)」
と解釈できたからだ。
根拠としてはそれくらいだったが、結局「どちらも外れた、携挙とは関係無かった」
となってしまった。


ただし、「7の月(セプテンバー)」に関しては、「今年ではなかった」というだけで、来年以降の可能性もあるので「9月携挙説が完全に外れた」とは断言できない。
しかし、ヨベルの年に関しては「関係無かった。外れた」と言えよう。
次のヨベルの年は50年後だから、まだ50年も地球人の時代が続くとは思えない。


「9月に携挙がある」という私の解釈を信じて、天使のUFOを呼んで携挙を期待していた人もいると思うが、結果として外れてしまったので申し訳ない。
しかし、私としても「絶対に9月に携挙がある」と主張した訳ではなく、「9月に携挙、と解釈できるから、9月に携挙があるかもしれないので備えた方がよいのではないか?」
とアドバイスしたのであり、「外れるかもしれない」とは書いておいた。
「予防線を張っておいた」と言えばそうなのだが、なかなか難しいところである。


中には「また外れたじゃないか。(どうせ外れると思っていた)」
と揶揄、非難する人もいるようだが、そういう人はもともと私とは縁が無い人である。
いつか「本当に携挙があった」となっても、そういう元から信じていない根性が悪い人はどっちみち携挙にはあずかれないのである。
私の説を理解して信じて「携挙にあずかりたい」と願っている人だけを相手にすればよいのだ。


まあ、とにかく9月には、ヨベルの年のうちには携挙は無かったので、これらに関する預言、解釈はひとまず置いておこう。

しかし、今の世界情勢を見ると「携挙がいつあってもおかしくない。とにかく間近に迫ってきている」
というのは、私の説を理解している方なら異論は無いはずだ。


それで、私の説を信じていて次の更新、見解を期待している人もいるので、しらばっくれていないで今の時点での見解を知らせるべきだろう。


それで、「では、携挙はいつ起きるのだろうか?」
ということをもう一度考えてみよう。


「9月にないんじゃあ、10月以降という記述は見当たらないないのではないか?
預言書のどこかにあるのかもしれないが、今のところ思い当たらない。
となると、2017年の春なんだろうか?」
とも思ったのだが、「10月、10月・・・」と考えているうちに、ある記述が思い浮かんできた。
それはノストラダムスの「アンリ二世への手紙」の中の一節である。
これは以前にも取り上げて解説した部分である。
まず、そこを挙げよう。


ノストラダムス 「アンリ二世への手紙」より、


それに先んじて、天地創造以来、イエス・キリストの受難と死に至るまで、さらには今日に至るまでもなかったほどの暗い日食があり、十月にはなんらかの大規模な移動が起こります。

そして地球の重力はその本来の動きを失って、すべては永遠の闇に落ちてゆくと思われるような出来事が春に起こります。

http://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Epistre.htm
24節


天地創造からイエス・キリストの死と受難の時までと、その時から今までに起こった中で最も暗い日食が先行するでしょう。
そして10月に何らかの大きな移転が行われ、その結果、人々はどっしりとした大地がその自然の動きを喪失し、永遠の闇に沈んだと思う事でしょう。

春分の時期にはその前触れが起こり、そして後には極度の変化、治世の交替などが続くでしょう。



http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/epistre/epistre2.htm
B4とB5 50節と51節


「ああ、ここかあ」
と思い出した方もいると思う。
これは、今年の春に「春に携挙」と考えていた時期に取り上げて解説した記述だ。
その時は、主に


>春分の時期にはその前触れが起こり


という部分を取り上げて、「前触れ」という語が「携挙」を指しているのではないか?
と解釈した。
そして、


>10月に何らかの大きな移転が行われ、


というのは、
>そして後には極度の変化、治世の交替などが続くでしょう。


と関連しているのではないか?
と解釈した。
つまり「春に携挙があり、10月には地球の覇権が悪魔軍団に譲渡される」
と解釈したのである。


しかし、今年の春に携挙は無かったので、(今年の春に関しては)この解釈は外れた、
と言える。
しかし、「10月以後に携挙が起きる、という記述は見当たらないなあ」
と考えていた時に、


>十月にはなんらかの大規模な移動が起こります。
>10月に何らかの大きな移転が行われ、


の部分が思い浮かんできたのである。
ここに「10月」が出て来る。

まあ「文章全体、流れを無視してこの部分だけを取り上げるのはどうか?」
という意見もあるとは思うが、
ノストラダムス自身が「私はいくつもの意味を混合してわざと混乱させるように書いた」
と書いているので、全体の文脈に囚われ過ぎるのもその罠にはまる恐れがある。


それで、この記述が「10月に携挙がある」と示唆、暗示しているのではないか?

と気がついたのだ。


ここで問題になるのは、「移動、移転」という言葉だ。
移転と訳されている語は原典では、translation である。

トランスレーションには他に「翻訳、翻訳書、解釈、言い換え、置き換え」という意味もあるが、これらの意味ではしっくりと適合しない。

だが、「移動、移転」と言われても「何が(誰が)どこに、どういうふうに移転するのか?」

というのがよく解らない。

その辺の詳細が具体的に説明されていないのである。


しかし、「移動、移転」というと「(義人が地球から別の惑星=天使の惑星へと)移動する、移転する、転出する。移住する」
と連想できる。
それで、「携挙を指しているのではないか?」
と考えたのである。


携挙、ラプチャーという語は聖書には出てこない。
しかし、新約聖書のイエスの言葉やその他に、
「終末の審判、選別の時に人々に大きな災厄、艱難が降りかかる。その時にイエスが天使を引き連れて天から降りてきて、義人を天に引き上げて艱難に遭わないように救出する」
というように解釈できる記述があり、それを携挙、ラプチャーと呼んでいるのである。


ノストラダムスの時代に携挙、ラプチャーに相当する語があったかどうかは判らないが、勿論、当時でもキリスト教、教会でもこの思想は広く知られていた。
義人救済の根本教義である。
人々は、審判の時に救済されたいからキリスト教、教会を信じたのである。

ノストラダムスは聖書とペアになっていて、聖書を補佐し、より詳細を知らせるために彼の作品を書いた。
再臨と携挙の時期は聖書には書かれていないが、これは非常に重要なことなのでノストラダムスによって知らせた、と考えられる。
例の10-72の詩などがそうなのだが、「この記述もそうなのではないか?」
とも考えられる。
つまり、何気ない記述のようだが、さりげなくそれを仄めかした、暗示した、とも考えられる。


そうすると、ノストラダムスがこの translation を携挙=義人救出、義人の移住、の意味で使った、携挙を暗示した、ということは充分に考えられる。
携挙、あるいは「地球から他の惑星へと移住する」とははっきりと書けないので、translation (翻訳、置き換え)という語で暗示した、仄めかした、と考えていいのではないだろうか?
と思いついたのである。


そうすると、「10月携挙説」と解釈できる記述が無い訳ではない。
ここにある、と考えられる。
つまり、「9月に携挙が無かったので、この説全体が外れた」と決めつけるのは早急だ、というのだ。
安心するのはまだ早い?


地球人と悪魔軍団による脅威が無くなった訳ではない。
それはどんどん進行している。


さて、先の文だが、この部分だけを解説しても説得力が無い。

やはり、この文がある記述が全体として解釈できないと説得力が無いだろう。

それで、この文を含んでいる箇所全体を解釈してみよう。
先の記述をもう一度挙げる。


>そして10月に何らかの大きな移転が行われ、その結果、人々はどっしりとした大地がその自然の動きを喪失し、永遠の闇に沈んだと思う事でしょう。

春分の時期にはその前触れが起こり、そして後には極度の変化、治世の交替などが続くでしょう。


このままだと解り難い。

ノストラダムスは文の構成を分断し、入り組ませ、並び替えて、わざと解り難くさせている、と考えられる。

それで、文の構成を並び替えて解釈していこう。


春分の時期にはその前触れが起こり、そして10月に何らかの大きな移転が行われ、そして後には極度の変化、治世の交替などが続くでしょう。
その結果、人々はどっしりとした大地がその自然の動きを喪失し、永遠の闇に沈んだと思う事でしょう。


これで大分解り易くなった。

つまり、これが「原案」ではないか?

と思える。

この順序で解釈していこう。


>春分の時期にはその前触れが起こり、


という文だが、
「もしかして、これは私が今年の春に『携挙がこの春に起きる』とこのブログで書いていたことを指しているのではないか?」
と考えられる。
つまり、
「私が『携挙2016年の春にある』と騒いでいたこと自体が『前触れ、前兆』であり、本番(本当の携挙)はその半年後の10月にありますよ」
と言っているのではないか?
と解釈できなくもない。


>春分の時期にはその前触れが起こり、10月に何らかの大きな移転(携挙、義人移住)が行われ、


と続けると「そうも解釈できるなあ?」
とも思える。
そうすると、

>そして後には極度の変化、治世の交替などが続くでしょう。


というのは、「10月の移転(携挙)が終わった後、11月以後に極度の変化と治世の交代がある=悪魔軍団が地球の覇権を奪い取り、地球人の時代が終わる」、
と解釈できる。


>その結果、人々はどっしりとした大地がその自然の動きを喪失し、永遠の闇に沈んだと思う事でしょう。


普通はこれは文字通りに受け取って「地軸の移動、ポールシフトが起きる」という預言なのかな?
と思えるが、

「永遠の闇」というのは「永遠に続く地獄」の比喩、暗喩なのではないか?
とも解釈できる。

つまり、もう一度まとめると、


>春分の時期にはその前触れが起こり、そして10月に何らかの大きな移転が行われ、そして後には極度の変化、治世の交替などが続くでしょう。
その結果、人々はどっしりとした大地がその自然の動きを喪失し、永遠の闇に沈んだと思う事でしょう。


とは、
(2016年の)春に「春に携挙が起きる」という解釈が発表されるが、それは前触れ、前兆にすぎない。
本当の移転(携挙、義人の移住)は10月に起きる。
その後、11月以後に艱難が始まり、人々の生活は大きく変化し、悪魔軍団が地球の覇権を奪い取ってしまう。
生き残った人達は奴隷にされて「永遠の地獄に落とされてしまった」と思うだろう。

と解釈できる。

まあ、これは一応参考までに。