聖書だけでも携挙の予定期間が示唆されていた。その2 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

次に、これも携挙に関連していると思われるのだが、
50年ごとのヨベルの年が2015年9月14日から始まる。
ヨベルの年については、このブログでも以前説明した、
2013年10月21日の記事にもこう書いた。
http://ameblo.jp/kkokrjp/entry-11645761942.html


>「ヨベルの年は2015年の秋から2016年の秋まで」
となる。
実はこれは大きな意味を持っている。
というのは、預言を解釈していくと、
「ヨベルの年に携挙と悪魔軍団による艱難が起きる」
と考えるのが妥当だと思われるからだ。


これらの解説はこれでいい、と思うのだが、これに関連していると思われる重要な記述があることに気づいたのである。

まず、イエスの言葉から、


24:30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
24:31また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
24:32いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
24:33そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

(マタイによる福音書)


これは「再臨、または携挙の預言」であるが、ここで注目したいのは、
>彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして


の「ラッパの音と共に」という言葉だ。
審判の時、再臨、または携挙の時、イエスが天から降臨して来る時にはイエスの周りに天使がつき従っていてラッパを吹き鳴らす、というイメージがある。
ミケランジェロの「最後の審判」の絵にも確かにそう描かれてある。

では、この「ラッパの音と共に」という表現は何を伏線にしているのか?
というと旧約聖書の次の記述だ。


25:8あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない。安息の年七たびの年数は四十九年である。
25:9七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。

25:10その五十年目を聖別して、国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。この年はあなたがたにはヨベルの年であって、あなたがたは、おのおのその所有の地に帰り、おのおのその家族に帰らなければならない。

(レビ記)


これはヨベルの年についての規定であるが、ここに、
>25:9七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。

とある。
この「ラッパの音」とイエスが言った「ラッパの音」とは関連しているのではないだろうか?
いや、同じものだと考えていい。
ただ、ここに

>25:9七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。


とある。
これはちょっと解り難いのだが、ユダヤ暦(聖書暦)には二つの暦がある。


古代ユダヤには、春から1年が始まる宗教暦(または「教暦」「新暦」ともいう)と、秋から1年が始まる政治暦(または「政暦」「旧暦」ともいう)との2種類があったが、ユダ族(南王国)では後者を使っていたため、その流れで現代のユダヤ暦も政治暦のほうに準拠している。宗教暦の年始めの月はアビブの月で、今の太陽暦(グレゴリオ暦)では3月から4月の時期にあたる。
政治暦では秋から新年が始まるのでこの月は7番目(閏年では8番目)になる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%9A%A6

レビ記はモーセ五書に含まれる古代ユダヤの話だから、ここにある七月の十日というのは、


>7月:ティシュリの月(30日)-聖書には「エタニムの月」とも書かれています。太陽暦で言う9~10月頃です。(農耕暦の新年の初め。現代イスラエルの新年はこの月から)
http://messianic.jp/05-feasts/calender.htm


に相当する。

ヨベルの年は2015年9月14日から始まる。
新年の1月1日(旧暦の7月1日)は、9月14日だから、
レビ記の7月10日は、2015年だと9月23日にあたり、大贖罪日と呼ばれている。


大贖罪日とは
政治暦新年元日から10日後に大贖罪日はあります。大贖罪日は全ての借金が免除され罪が贖われる日で、この日は一年の中で最も聖なる日とユダヤ教でされてます。

2015年9月23日大贖罪日に向けて
http://yovel.exblog.jp/

だが、先のレビ記の記述、


>25:9七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。

は、「大贖罪日にあたる2015年9月23日の1日だけに、ラッパを吹き鳴らせばいい」、と解釈できる。
先のサイトのように、「2015年9月23日」こそが主の日=審判の日であり、この日に何か(再臨か携挙)」が起きるのでは?
と考えている人がいる。
つまり、「大贖罪日にあたる2015年9月23日にイエスが天から降臨してきて(再臨して)義人を天に引き上げる(携挙する)のではないか?」
とこう解釈しているのである。
だが、この日1日だけで何かが起きる=天使がこの日1日で何かを起こす、
というのはちょっと無理があるのではないだろうか?

再臨といっても、地球上のどこに?
エルサレムに?
また、地球は自転しているし、時差もあるのに、1日で携挙を行えるのか?
義人を全員救出できるのか?
という疑問が起きる。
天使としてもこの日、たった1日で何かを起こす、というのは難しいだろう。


よく「○月○日に、更には時刻まで指定して○時に○○が起きる」
と主張する人がいるが、それは、あまりにも予言的思考であり、ただ「何かが起きるだろう。何かを起こしてくれるのではないか?」
と他人任せに考えているだけではないのか?
天使としてもその日の何時に何か(再臨か携挙?)を行う、というのは無理だろう。

それで、ヨベルの年というのは、
「ヨベル」とはヘブライ語で「雄羊の角」という意味があり、この年には雄羊の角を国中に吹き鳴らす習慣がありました。英語ではジュビリー(=jubilee)と言います。
http://tomisatochristchurch-baptist.net/index.php?%E3%83%A8%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%B9%B4%E3%80%80%EF%BC%88%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98%EF%BC%92%EF%BC%95%EF%BC%9A%EF%BC%91%EF%BD%9E%EF%BC%91%EF%BC%92%EF%BC%89

とある。


そうすると、ラッパを吹き鳴らすのは、2015年9月23日の1日だけではなくて、ヨベルの年1年間に渡って吹き鳴らせばいいのではないか?
と考えられる。
また、ラッパというとトランペットのような金属製のラッパを想像して、音もパンパカパーン、というファンファーレのような音をイメージしやすいが、
旧約聖書では雄羊の角笛なのだから、ブオーッ、という山伏が吹くほら貝のような音が本当だろう。

さて、そうすると、イエスが言った言葉


>24:31また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。

というのは、
ヨベルの年(2015年9月14日から2016年9月13日まで)、この1年間の間に、天使は選民(義人)を集める=携挙する。
と解釈できる。


ただし、天のしるしが終わるのは2915年9月28日だから、より正確に言うと「2015年9月29日から2016年9月13日までの1年間に」
となる。


ただ、この1年間に渡ってずっと携挙を行う、という訳ではない。
「このヨベルの年の間のある期間中に」という意味だろう。

そして、それについてもイエスは更にヒントを与えていた。


24:32いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
24:33そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

(マタイによる福音書)

「いちじくの枝が柔らかくなり、葉が出る季節だ」というのだ。
つまり、(北半球が)春の時に携挙を行う予定だ、と仄めかしているのだ。
これは、ノストラダムスが1-80で「3月、4月、5月、6月」と教えた時期と一致している。

つまり、聖書だけでも、携挙は、
「天のしるしが終わった後で、ヨベルの年の間、季節は春、に予定している」、と推測される。

これに該当するのは2016年の春しかない。

ノストラダムスを認めないクリスチャンでも、これは認めざるを得ないのではないだろうか?
まあ、聖書学者や教会、信者がこの解釈を認めるかどうかは判らないが、
(もし、認めたとしたならば、バチカンなどから正式な発表があるはずだが、やはり、それは無理だろう)
ただ、「聖書からだけでもここまで推測できて、携挙の予定期間を絞り込める」
という意味は大きい、と思う。

「いちじくの枝が柔らかくなり、葉が出る季節=春に」と解れば、普通は3月から5月、6月までに携挙がある、と考えるだろうから、ノストラダムスを認めない信者でも「その期間中に天使を呼ぼう」と考えるだろう。
ただし、自分から天使を呼ぼうとしないで「イエス様が迎えに来てくれるのを待っている」という受動的な考えの人は駄目だが。


となると、ますます2016年説の確信が深められる。
まあ、その次のヨベルの年の2066年もその条件に当てはまるが、悪魔軍団があと50年間も侵略を待ってくれるはずがないので、2016年しか考えられない。
そうすると、「2017年以後に携挙があるかもしれない」という疑いはほぼ捨てていいのではないか?
と思える。
とにかく、「2016年の春に携挙があり、7月から艱難が始まる」
と確信を持って準備しておいた方がいい。


なお、「ラッパが鳴り響くうちに携挙が行われる」というパターンは、イエスの言葉ではないが、新約聖書にも他にいくつかある。


4:16すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
4:17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
4:18だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。

(テサロニケ人への第一の手紙)


15:51ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
15:52というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。

(コリント人への第一の手紙)

これらの記述も「携挙に関する預言だ」と言われていて、よく引き合いに出される。
この「ラッパの鳴り響くうちに」、「終りのラッパの響きと共に」
というのを「ヨベルの年の間に」と置き換えて読んでいっていいだろう。
つまり、「ラッパが鳴り響くうちに=ヨベルの年のうちに(携挙が行われる)」
と読み代えて解釈するのである。