聖書の「裸の恥を見られないように」の意味、その1 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

いよいよ9月になりました。
携挙が予想される月です。
今のところ、預言書で「携挙が予定されている」と解釈できる時期は「3月から6月まで、4月、春」と「9月」しかありません。
それに、ヨベルの年はこの9月までです。
だから、私としては「この9月ではないか?」
と感じます。
まあ、9月になければまたその後で考えればいいのです。

しかし、地球人による地球の環境汚染、環境破壊は確実に進行しています。
地球移住を狙っている悪魔軍団からしたら既に我慢の限界を超えている、と思います。
私が悪魔軍団の一員だったら、

「これ以上は待てない。さあ、介入しようぜ。もっと早く介入してもよかったのに・・・」
と言いますけどもね。

それに、北朝鮮や中国その他にしても世界情勢は不安だらけです。
そんなにいつまでも悪魔軍団が、「待ってくれる」、とは思えません。
この9月でなくても「いつ携挙が起きてもおかしくない」
と思います。

それで、私も「UFOが現れないかなあ?」
と思って注意して空を見るようにします。


さて、「いつまでも預言の解説をしていても・・・」
と思ったのですが、掲示板である預言が問題になり、いろいろ考えている人がいるので、私の見解というかヒントだけ書いておきます。
まず、問題になっている記述ですが、


 16:15(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)
(ヨハネの黙示録)



です。
この記述の真意は何なんでしょうか?
ここでは「盗人」と「裸」というのがキーワードになっています。
これらはノストラダムスの詩にも出てきますが、聖書だけでも解けます。
何回も書いてきたように、預言書(聖書とノストラダムス)は喩え、暗喩を多用した象徴技法を駆使して書かれてあります。
それで、キーワードが出てくる記述を集めて比べていけば自ずと答えが解るように仕組まれています。
また、キーワードは網の目のようにあちこちに張り巡らされているので、同じ語が出て来る箇所は皆関連している、と考えられます。
だから、どの箇所を取り上げてもそれなりの解釈はできます。


しかし、預言の作者(天使)というのは非常に遊び心に溢れている、というかお茶目なところがあるので、少し捻っている、というかわざとずらしている場合もあるので一筋縄ではいきません。

解釈にも臨機応変な柔軟性が必要です。


それで、先の黙示録の記述に特に関連していると思われる箇所、謎解きの鍵になる箇所、あるいは黙示録は聖書の最後にあるので「伏線」と言ってもいいと思いますが、私が「ここではないか?」
と思われる箇所を挙げておきます。
解説もしたいのですが、解説すると長くなるので、解説は(私がまだいたら)後日にします。
それは二箇所あります。

まず、


22:1イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、
22:2「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
22:3王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。
22:4そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。
22:5しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、
22:6またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。
22:7そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
22:8それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
22:9だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
22:10そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
22:11王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
22:12彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
22:13そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
22:14招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。
(マタイによる福音書)


それと、ここです。


6:10最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
6:11悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
6:13それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
6:14すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
6:15平和の福音の備えを足にはき、
6:16その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。
6:19また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。
6:20わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのであるが、つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい。
(エペソ人への手紙)


どういう意味なのか?

作者(天使)の意図は何なのか?

を考えて下さい。