二人の証人を否定嘲笑してしまった人達の末路 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

2月も半ばになり、携挙の予定期間(と推定される)の3月まで残り半月となった。
いよいよ迫ってきた。
いつまでもブログで書いているのもまずいかな?
という気もしたのでブログの更新は休んでいたのだが、1ヶ月更新を休んでいてもまだ訪問してくれる人もいるので、更新することにした。

休んでいる間も掲示板
http://9320.teacup.com/kkokrjp/bbs
の方ではぽつぽつと書いていたのだが、その記事をもとにしてちょっと加筆して記事を書いてみよう。


昨年の12月に「ヨハネの黙示録の11章に出てくる二人の証人」の記事を書いた。
実は、あの時には、その後で「この二人の証人とは誰と誰なのか?」
という記事を書くつもりでいた。
だが、年末年始で日本人が浮かれ狂っている時なので、あまり書く気にはならなかったので延ばしているうちに、
「ちょっとこれを書くと反発を買う恐れがあるから止めた方がいいのではないか?」
という気持ちが強くなり、この記事は保留していた。


また、これは本にも書いた(仄めかした)ので、以前から本を読んでいる人なら解るだろう、
とも思っていたのだが、コメントなどを読むと全然解っていない人もいるので少し書いておこう。


まず、このブログでも最後の本でも、
「イエスが天国の鍵(権能)を渡したペテロとはあの弟子のペテロではなくて、ノストラダムスだった」
ということは説明していた。

これだけでも勘のいい人ならば、
「二人の証人のうちの一人はノストラダムスだ」
と言っているんだな、
と解るのではないか?
と思っていたのだが、そうでもなかったようだ。


まあ、私はそうだと考えているのだが、そうすると、
「じゃあ、もう一人は誰なのよ?」
という疑問が当然湧いてくるだろう。
これについては、
「ノストラダムスが自分の後継者=作品の解読者に指名した者だ」、
とだけ言っておこう。


つまり、イエスは天国の鍵(権能)をノストラダムスに渡し、ノストラダムスはその鍵を自分の作品の解読者に渡した、
というようにバトンタッチされていった、
と考えるのである。


そうすると、「二人の証人とは全然違う時代に生きているので、直接会ったことは無い」
となる。
ヨハネの黙示録の記述では、なんとなく「二人の証人とは同時代に生きている者で、共に協力しあって仕事を成し遂げる」
と思い込んでしまう。
これは「予言的に考えれば当然のこと」だと思うのだが、実は、預言的にはそうではなかったのである。
つまり「時代的には、横の流れではなくて縦の流れ」で考えていくのだ。
まあ、私は「天使はそのつもりでいて、そういう計画だった」
と考える。

まあ、私の解釈はそうなのだが、ヨハネの黙示録の11章をもう一度挙げよう。


11:1それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。
11:2聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。
11:3そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
11:4彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。
11:5もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
11:6預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
11:7そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
11:8彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
11:9いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。
11:10地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。
11:11三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。
11:12その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
11:13この時、大地震が起って、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。

(ヨハネの黙示録)


この箇所は、象徴技法を駆使して書かれてあるし、ひとつの歴史について描写している訳でもなく、時系列に沿って書かれてある訳でもない。
つまり、「ここに書かれてあることが全て、この歴史の未来において成就する訳ではない」
ということだ。
従来の予言的思考に縛られていると理解できない。

ここでは、モーセの出エジプト時の奇跡やイエスの十字架刑と復活、昇天(アセンション)などが混合されている、と思われる。
それで、この中で特に気になる記述は


>11:10地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。


である。
これは、「1999年当時のノストラダムス騒動を描写している」
と思われる。


あの時、皆(特に日本人は)ノストラダムスの1999年の予言を気にしていろいろ議論した。
しかし、1999年に人類滅亡に匹敵するような大事件も起きなかったので、皆、ほっと安心した。そして
「何だ、何も起きなかったじゃないか、不安にさせやがって」
とノストラダムスとその研究家を嘲笑罵倒した。
「これを描写しているのではないか?」
と思われる。
それだけではない、ここで重要なのは、この節の後の記述が、
「1999年にノストラダムス(二人の証人)を否定嘲笑し、ぬか喜びしてしまった人達の、その後、について預言している」
ということだ。


>11:11三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。


これは、実際に起きること、というよりも、「イエスの復活」を連想させて、
「この二人がイエスから権能を授けられた者だ」
ということを暗示している、
と思われる。


>11:12その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。


これが問題の記述だが、その解説は後でしよう。