思いがけない日に帰ってきて、愚かな僕を厳罰に処する主人は悪魔軍団である。 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

同じような内容で「くどい」と思われるかもしれないが、前回解説した記述で言い忘れた解説があったので、それを補足しておこう。
「イエスは人の子を悪魔的未来人の意味で言っていた。」シリーズでマタイによる福音書の24章の37節から44節までを解説した。
その次の言葉をもう一度しっかりと解説した方がいいと思ったので、この部分をもう一度取り上げる。


24:45主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
24:46主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
24:47よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
24:48もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
24:49その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
24:50その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
24:51彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。


この前の記事では、この部分は、
>「期限までに天使軍団を呼ばないで悪魔軍団に征服されてしまう地球人全体」について述べているとも、
「個人救済=携挙を逃してしまって、2016年7月以後もまだ地球にいる愚かな者達」について述べている、
とも解釈できる。


と説明した。
確かにそうなのだが、今日はこの中にでてくる「主人」という言葉に注目してみよう。
「主人」も「人の子」同様に天使軍団と悪魔軍団の両方の意味で使われている。
だから、この仕分け、見極めができないとこの話の真意が理解できないのである。

従来の解釈では「主人」というのはイエス・キリストを指している、と考えられてきた。
そして、この一続きの喩え話に出てくる「主人」というのも、全て「再臨のイエスを指している」と考えられてきた。


だから、50節、51節に出てくる「愚かな悪い僕を罰する主人」というのもイエスだと解釈されてきた。
つまり、「祝福を与えるのも、罰を与えるのも全部再臨のイエスがやっている」と解釈されてきた。
ところが全然違うのである。
全く勘違いをしてきたのである。


それを今日は説明しよう。
イエスというのは、実際は天使軍団から派遣されてシナリオ通りに演じた一人の俳優にしか過ぎないのだが、天使軍団を象徴する人物なので、主人=イエス・キリスト=天使軍団と考えていいだろう。
まず、45節と46節、


24:45主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
24:46主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。


この部分の「主人」というのはイエス=天使軍団を指している、と考えていいだろう。
そして、前回説明したように、この話にはソドム滅亡の時のロトの話が伏線、予型になっていると思われる。
ロトは主が遣わした二人の御使いをかくまい、食事を出してもてなした。
この行為によってロトは義と見なされてソドムから救出されたのである。
ロトのソドム脱出は携挙の予型だった。


だから、45節と46節は携挙についての預言なのかな?
と思えるが、この「僕たち」というのを「地球人全体を指している」
と考えることもできる。
つまり、「イエスの再臨の予定時=天使の地球復帰の予定時に、地球人が主人をもてなした忠実な思慮深い僕だったならば、地球人は(全体として)救済されただろう。」
というのだ。
これは、地球人が期限=1999年までに「イエスよ来て下さい」と言って天使軍団を呼んで迎え入れたのならば、天使達は地上に降りて行って、悪魔軍団の侵略に対抗できるような策を教えてあげる=悪魔軍団の侵略を阻止できる(かもしれない)
というのである。


これは、再臨の預言とも携挙の預言とも両方に解釈できるから、再臨と携挙の混合預言、二重預言と考えられる。

そもそも、イエスの再臨の予定時=天使軍団の地球復帰の予定時、というのは「1999年(まで)」と決まっている。
何故そうなのか?
というのは何回も説明した。

まず、悪魔軍団(悪魔的未来人のグループ)が先にタイムマシンの開発に成功して、先に未来から過去の地球に戻って来て、2016年から地球人征服戦略を開始して、2017年にキリストを装って降臨してきて、地球人を騙して地球の覇権を盗み取ってしまった。
遅れて未来から戻って来た天使軍団(天使的未来人)のグループは、この状況を何とかして変えたいと思った。
悪魔軍団から地球の覇権を奪い取りたい、と考えたのである。
それで、地球人(過去人)に協力を要請して、預言書を書き、歴史に付加して地球人を教育してきたのである。
それで、地球人の方から、「イエスよ、来て下さい=天使軍団よ、地上に降りて来て私達を助けて下さい」
と要請するように仕向けようとした。


だが、これには「いつまでにそうさせなければならないのか?」
という期限があった。
天使軍団は地球人と提携して悪魔軍団の侵略を阻止するためには準備期間として最低17年間は必要だろう、と計算した。
つまり、2016年の17年前の1999年前までには、地球人と提携して準備を始めないと間に合わないだろう、と考えたのである。
だから、イエスの再臨=天使軍団の地上復帰の予定時(期限)は1999年である。
それ以後に始めても間に合わないのである。
「1999年よりも前にイエス(天使軍団)を呼びなさい」ということだ。
では、この後の言葉を考えていこう。


24:48もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
24:49その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
24:50その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
24:51彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。


これも再臨と携挙の両方の場合で解釈できる。
再臨というのは天使の地上復帰であるが、これは、地球人が全体として「イエスよ、来て下さい」と言って、地球人が総意として天使軍団を招致した場合の話である。
だから、「地球人全体として」考えていく場合である。

地球人はイエスの再臨の予定時も解らないで、
「まだまだイエスの再臨は無いだろう」と思い、地球人同士で仲間割れをして戦争やテロを行っていると、主人が突然現れて、地球人を厳罰に処する」
というのだ。
これは期限までに天使を呼ばなかった場合の話だから、今回も当てはまる。
今もまさに、イスラム国やウクライナで戦争やテロを繰り広げているではないか。
もう直ぐ、来年には悪魔軍団が侵入してきてその餌食になるというのに脳天気なことだ。
ここで注意しなければならないのは、50節と51節の「主人」という言葉だ。


24:50その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
24:51彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。



とは、イエス=天使軍団ではなくて悪魔軍団を指している、というのである。
天使軍団は、地球人が1999年に天使を呼ばなかった時点で

「ああ、今回も駄目だった」と判り、結果が出てしまったので、もう帰ってしまった。
期限=1999年以後はもう二度とイエス=天使軍団は来ないのである。
来るのは悪魔軍団だけだ。
だから、50節と51節の「愚かな僕を罰する主人」というのは悪魔軍団を指している。
イエス=天使軍団が愚かな地球人を罰するのではない。


それなのに従来の聖職者や教会、信者は「愚かな地球人を罰するのもイエスである」と勘違いしてきたようだ。
この構造、メカニズムが理解できなかったから「何でもイエスがやる」と勘違いしてしまったのである。

このように、それまで「主人=イエス=天使軍団」だと思って読んでいたら、ここから同じ「主人」が急に悪魔軍団の意味で使われているのだ。
文中に、「この主人は天使軍団を指していますよ、この主人は悪魔軍団の意味で使われていますよ」
と注釈されている訳ではないので、自分で読み分けていかなければならない。
この読み分けが出来ないと、この言葉の本当の意味は解らない。


さて、この48節から51節までは「各個人について述べている」とも解釈できる。
今の地球人のほとんど、このブログを知らない人達は全員、たとえキリスト教徒であっても、「イエスの再臨はまだまだだろう。イエスの再臨はこれからある」
と思っている。
実際はイエスの再臨の予定時は1999年であり、とうに過ぎてしまっているのだが、それを全く知らない。
そして。携挙の予定期間も知らないから、その予定期間中に天使のUFOも呼ばないだろうから救済のチャンスを逃してしまう。
それで、そういう人達は2016年の7月から艱難に巻き込まれていき、2017年の4月まで生き延びたとしても悪魔軍団の降臨を「イエスの再臨だ」と勘違いして騙されるのである。
その後は獣の刻印を押されて奴隷にされるだけだ。
これは、艱難後携挙説を信じている人も同じだ。


「クリスチャンだから救済される。神やイエスを信じているから救済される」
という訳ではない。
真実を知り、聖書の真意を知り、その指示通りに行動した者だけが救済されるのである。


なお、今だに「まだ全体救済のチャンスはある。あると信じたい。自分は全体救済のために働く」
と言っている人がいるが、それは無駄である。
全体救済の期限は1999年であり、それはとっくに過ぎてしまっている。
地球人全体を救済したければ1999年までに天使の地球復帰運動に協力しなければならなかった。
それまでに何もしないで今になって「何かしたい」と思っても無駄だ。
そして、そう考えていること自体が「地球と地球人に執着している。未練を残している」、
と見なされて携挙から外されてしまうだろう。
ロトの妻と同じ目に遭うだろう。
「滅ぼされる」と決まったソドムの住人にいくら説教しても無駄だ。
「自分がソドムから逃げ出すこと」だけを考えればいい。
それ以上したければ、「他の人にこれを教えてあげること」
それしかできない。