イエスはわざと、起きること、起きたことの全てを並列、錯綜、混合して預言した | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

「この世の終わり」についてイエス自身が語ったマタイによる福音書の24章を解説している。
これはそれ程長くは無いし、一読したところでは「特に難解だ」、とも思えない。
言葉、表現はヨハネの黙示録やノストラダムスに比べるとずっと平易なように思える。
ところが、ざっと読んでみると「どうもいまいちはっきりと解らない」という人が多いのではないだろうか?
なんか「はぐらかされているような」気がするのである。
それもそのはずで、実はこの文章には様々な技巧が隠されていて、実に巧妙に作成されているのである。
イエスは直ぐに解るようには言っていない。


そのひとつの例が先に説明した「人の子」という言葉にある。
これは、実際は「人の子=地球人の子孫=未来人」という意味で使われているのだが、

未来人と言っても、悪魔軍団と天使軍団の二つのグループがある。
そして、この両方の意味で使われているのだが、解り易く「ここは悪魔軍団の意味ですよ」、「ここは天使軍団の意味ですよ」とただし書きがある訳ではない。
どちらも、ただ「人の子」とだけしか書かれていない。


だから、解釈するに当たって、その前後の文脈から、

「この人の子は悪魔軍団の意味で、こちらの人の子は天使軍団の意味で使われている」、

と自分で読み分けていかなければならない。


ある意味、非常に不親切で紛らわしい書き方がされている。
この「読み分け」ができないと混乱して勘違いしてしまうのである。
そして、天使は、わざと紛らわしく混乱させることを狙ってこういう書き方をしたのである。
それは、偽の研究家を退けるためだ。


さて、この「並列、錯綜されて書かれてある」という技法が、再臨と携挙と悪魔軍団襲来の描写に関しても使われている。
これらが24節全体に渡って、分散されて、並列、錯綜されて記述されているのだ。
それだけではない。
ひとつの文でも「両方を述べているのではないか?」
と解釈できる文もある。
つまり、「混合されて多義構文になっている」と思える文もある。
これも読み分けていかないとならないから、更に難しくなる。


では、以前説明したものと重複している言葉もあるが、おさらいの意味も込めて、24章全体をもう一度簡単に読み分けて説明していこう。
24章全体は3っつ前、2月3日の記事に載せてある。


24:5多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。


これは一般には、地球人の中に「自分はキリストだ」と主張して多くの人を惑わす偽キリストが現れるだろう、
と解釈されているが、
2017年の4月に悪魔軍団がキリストを装って降臨して来る様子の描写だ、とも考えられる。
従来の解釈では「偽キリスト、反キリスト、荒らす憎むべき者、獣、というのは地球人の中から現れる一人の特定の人間である」
と考えて、それが誰かを当てようとしてきたが、この考え方自体が間違っている。
反キリスト、サタン、というのは、悪魔的未来人=悪魔軍団という集団である。


24:7民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。


「ききん」とは2016年の7月から起きる大飢饉を指している、と思える。
「地震」とはただの地震ではなくて、元史の1999年頃、スペースコロニー計画によって引き起こされたポールシフトを指していると思われる。
ただし、悪魔軍団が未来から戻って来ると、スペースコロニー計画を阻止してしまったので元史で起きたポールシフトは前史、今史では起きない。
歴史は既に変更されてしまっているのだ。
そうすると、「ひとつの文の中で異なった歴史について述べている」と考えられる。


24:15預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)

この「聖なる場所に立つのを見たならば」は英語版では、
When ye therefore shall see the abomination of desolation


となっている。
「見たならば」は  see  なので、

「目で見たならば~それが起きたならば」ではなくて

「予見したならば~それらが起きるのを事前に理解したならば」という意味だと考えるべきだろう。
荒らす憎むべき者=悪魔軍団が、聖なる場所=地球、を占領してしまってから行動を起こしても手遅れである。


24:16そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。


これはロトのソドム脱出が伏線になっている。
つまり、「地球がソドムのように滅ぼされる運命にある、と解ったならばソドム(地球)から脱出しなさい」
という指示である。
これも、艱難前携挙説をもとに考えないとならない。


24:17屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。
24:18畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。


これは、携挙の予定期間(2016年の3月から6月末まで)に、もし、突然UFOが目の前に現れて「あっ、天使が迎えに来たんだ」
と思ったら、躊躇わないで直ぐにUFOに乗り込みなさい。
という忠告である、とも考えられるが、
あるいは、こういう場合ではないとしたら「(携挙されたいのならば)地球に残した物と人に未練と執着を残すな」
という指示である、とも考えられる。
これは、ソドム脱出の時に、ロトの妻がソドムを振り返って見ようとして塩の柱にされてしまったことが伏線になっている。


24:19その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。



これは「この世の終わりが近いとも知らないで呑気に子供を産んでいるような女=未来が解らない者、は不幸な目に遭う」という意味か、

あるいは、
ノストラダムスでは、女、母は地球の暗喩であり、黙示録でも「乙女が身篭って苦しんで出産した」というのは、
「元史のスペースコロニー計画の顛末=その子孫が天使軍団と悪魔軍団になった」ということの暗喩になっているので、これと関連しているとも考えられる。
つまり、「元史では、スペースコロニー計画=地球脱出組によって女、母(地球)は不幸な目に遭った(破壊されてしまった)」
という元史の描写だとも考えられる。


24:20あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。



「逃げる」とは「地球から脱出する~携挙される」という意味である。
携挙は冬には予定されていない、春に予定されている、という告知か。
キリスト教や、特にユダヤ教、イスラム教では「安息日には働いてはいけない」
という戒律があるので、それを考慮してのことか?
文字通りに解釈すると、「安息日に天使のUFOを呼んでも来ないよ」
となるが、これではあまりにも原理主義的だろうか?
安息日といっても、イスラム教では金曜日、ユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日なので、もし、呼ぶとしたならば「月曜日から木曜日までがよい」
となるのだが・・・


24:29しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。



これは、元史における地上に残された人達の描写だろう。

ポールシフトが起きると、地上からはこのように見えただろう。


24:30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。


これはイエスの再臨=天使軍団の降臨の預言だと思われるが、悪魔軍団もキリストを装って降臨して来るので、両方の混合預言だとも考えられる。


24:31また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。


これは携挙の預言である。
だが、再臨と携挙は全然別物である。
30節と31節が続いているといっても「再臨と携挙がほぼ同時に行われる」あるいは「両方共に行われる」という訳ではない。

そもそも、再臨=1999年までの天使の地上復帰、が行われた場合は携挙=個人救済を行う必要がない。
だから、再臨と携挙が両方共起きる、ということは有り得ない。


24:40そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。
24:41ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。


これは、携挙に関する預言のように思えるが、以前に説明したように、
「悪魔軍団が地球人を選別して間引きする様子」を描写して記述だ、と考えた方が良い。


24:43このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。


盗賊とは、悪魔軍団を指しているから「家の主人」とは「地球人全体」を指している、と考えるべきだろう。
つまり、「期限=1999年以前の地球人が、いつ盗賊=悪魔軍団が襲来してくるのかが解っていたならば、盗賊=悪魔軍団の侵入を許さなかっただろう」
という意味で、

これは再臨=天使軍団の地球復帰に関する預言、忠告である。
ただし、これは、1999年以前の人達に向けて言った忠告、指示だから、今となっては無効の話である。


24:45主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
24:46主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。



これも、再臨に関する預言とも思えるが、これは、ソドムの町を偵察に来た二人の御使いをもてなし、食事を与えたロトの話を連想させる。
ロトの話が伏線になっていると思われる。
ロトのソドム脱出は義人の地球脱出=携挙の予型だから、携挙についての預言とも解釈できる。
結局、再臨(1999年以前の地球人全体に向けて言った話)と携挙(2000年から2016年までの義人に向けて言った話)の混合預言、二重預言と考えられる。


24:48もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
24:49その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
24:50その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
24:51彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。


これは、預言の真意を理解できないで期限=1999年までに天使軍団を招致しなかった愚かな地球人の末路を預言したものだ。
そういう愚かな地球人は悪魔軍団に侵略され、征服されて奴隷にされて地獄に落とされるのである。
これは、「未来が解らないで仲間内の愚かな戦争ごっこ、テロごっこに明け暮れている地球人」の描写だから、まさに今の地球人の様子である。
「←今ココ」という状態だ。
イスラム国の問題で偉そうにコメントしている評論家もこの「未来が見えない盲人、盲目の豚」の仲間である。

ただし、これは、
「期限までに天使軍団を呼ばないで悪魔軍団に征服されてしまう地球人全体」について述べているとも、
「個人救済=携挙を逃してしまって、2016年7月以後もまだ地球にいる愚かな者達」について述べている、
とも解釈できる。
やはりこれも、地球人全体について、と、個人(愚者)について、の両方の混合預言、二重預言だと考えられる。


このように、24章というのは、
再臨について、携挙について、悪魔軍団の襲来について、地球人全体について、各個人について、
のそれぞれの預言、記述、描写が複雑に並列、錯綜、混合されて記述されている。
更に、そこに「元史のスペースコロニー計画の顛末について」の描写までもが嵌め込まれている、と考えられる。


非常に複雑な構造をしている。
つまり、「元史で起きたこと(今は起きない)、どちらかが起きること(両方は起きない、片方しか起きない)」
というように、「起きたこと、起きないこと」も含めて、あらゆる場合を想定して「全てのこと」を並列、錯綜、混合して述べている。

もともと「ただの予言」ではない。
ここで述べられていることの全てが「この歴史の延長上の未来に起きる」という訳ではないのだ。

それを、「ただの予言=言われたことの全てがこの未来において起きる」
と考えて読んでいってしまったことが大きな間違いである。
そして、この罠にほとんどの、いや、全ての今までの聖職者、教会、信者が嵌ってしまっていた。
だから、全然理解できないで勘違いしていたのである。


ざっと読んだだけでこれだけ多くの意味が込められて作成されている。
だから、これらを全部「読み分けていかないと」完全には理解できない。
従来の聖職者、教会、信者はこれが全然できていないので、このイエスの言葉の真意はほとんど理解できていなかった。
ただ、「なんとなく、そうなのかなあ。イエス様が言ったんだから、そうなんだろう」という漠然としたイメージで読んでいたのである。