マイナンバーは獣の刻印の前兆だから、マイナンバーを受理してはいけない、という説があるが、 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

10月からマイナンバー制度が始まり、各個人にナンバーが簡易書留で通知されてくるそうだ。
そして、マイナンバーの通知後に市町村に申請をすると、身分証明書や様々なサービスに利用できる個人番号カードが交付される。
これは2016年の1月からになるという。


これについて、ある説というか噂が流れている。
これは、主にキリスト教徒の間か、陰謀論者の間か、オカルト好きの間でまことしやかに流布されているようだが、その噂とは、
「このマイナンバー制度に加担したら救済されないで地獄に落とされる。
だから、マイナンバーの通知が来たら受け取ってはいけない。
受け取ったら悪魔の奴隷にされる。
だから、通知が来たら断固拒否すべきだ」
というようなものだ。


そして、その根拠となるのが聖書の次の記述だ。


14:9ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、
14:10神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。
14:11その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。
14:12ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。

(ヨハネの黙示録)


あの「おどろおどろしい」と言われているヨハネの黙示録の中にある不気味な(?)預言である。
この中の11節

>だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。


という記述がマイナンバー制度と関連している、というのだ。
だが、これは聖書や陰謀論、オカルトなどの知識が無い人は解らないだろう。
では、この「額や手に受ける刻印」とは何か?
というとこの記述の少し前の記述で説明されている。


13:16また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
13:17この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
13:18ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
(ヨハネの黙示録)


これは、有名な「666の獣の刻印」である。
これが何を表しているのか?
というのには諸説あるが、私は

「悪魔軍団が奴隷(にした地球人)の脳の中に挿入するICチップ、マイクロチップ、いわゆる脳内チップを指している」

と解釈している。
その理由は前作、


悪魔軍団「サタン」の超逆襲 2012年 ヒカルランド刊


http://www.amazon.co.jp/372/dp/486471021X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1432859855&sr=1-1


で説明したのだが、もう一度簡単に説明すると、
まず、666とはバーコードを暗示している。
というのは、全てのバーコードの両端と真ん中には、6の数字があるからだ。
そして、マイクロチップ、脳内チップというのはバーコードの発展形である。
だから、666~バーコード~脳内チップ、というように暗示されている、と解釈できる。

そして、国民総背番号制、マイナンバーはこの666~脳内チップの前兆、布石だと考えられている。
この各個人の脳内に挿入される脳内チップには、個人識別番号=IDナンバー=マイナンバーが刻印されている。
このIDナンバー=マイナンバーによって各個人(奴隷)が識別され、監視されるのである。
だから、「この奴隷制度が確立される前に既に地球人全員に識別番号が振り分けていなければならない」、という考え方である。

だから、マイナンバー制度によってこの預言が成就しそうだ。いよいよきたか」
と考えている人も多い。


と言っても、ほとんどの人は、獣=反キリストを

「地球人の中から現れる特定の誰か、あるいは、世界統一政府を企てているイルミナティなどの組織」
と考えているが、実際の反キリストとは、

「宇宙から地球の覇権を狙っている悪魔的未来人=悪魔軍団」である。


さて、そうすると、先の黙示録の記述(預言)、


14:11その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。



だれでもその名の刻印を受けている者=666の刻印を受けた者=マイナンバー制度に賛同した者=マイナンバーの通知を受理した者、は、昼も夜も休みが得られない=奴隷にされる。


とも解釈できる。
だから、「奴隷にされたくなければマイナンバーの通知の受理を拒否しなさい」
とも解釈できる、というのだ。
実際に受領拒否を薦めている人もいる。
10月から、各個人にマイナンバーが簡易書留で通知されてくるそうなのだが、これは受領印を押さないで拒否もできる。
だから、受理拒否を薦めている人は、
通知を受理したら「奴隷にされてもいいですよ、と合意したことになる」と主張するのである。
だから「拒否しなさい」というのだ。


だが「通知の受理を拒否したら奴隷にされずに済む」という考え方は、あまりにも単純で短絡的な思考ではないのだろうか?

というのは、マイナンバー(各個人に振り分けられた番号)というのは、受理しようがしまいが役所の方で決められている。
更に、政府は、来年以降から少しずつ社会保障(年金や医療保険等)や税金の申告、役所での身分証明、銀行口座などに浸透させていく予定だ。
だから、これを拒否し続けると生活に支障が出てくるだろう。

それに、来年2016年に携挙されるならば、マイナンバー制度もそれ程浸透していない。
また、獣=悪魔軍団による地球人支配は地球人全体に及んでいるもので、日本だけの制度に拘る必要は無い。


となると、「マイナンバーの通知を受け取るか、拒否するか、という問題は、この獣の666の支配システムとは直接には関係無いのではないか?
と思える。

もう一度、先のヨハネの黙示録の記述を読んでみよう。



14:9ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、
14:10神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。
14:11その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。
14:12ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。

(ヨハネの黙示録)


この「獣の刻印」が脳内チップを指している、とすれば、マイナンバー制度は、あくまでもその前兆現象であり、「獣の刻印そのものである」とは解釈できない。


私としては、この記述(預言)というのは、
「悪魔帝国が完成し、奴隷に脳内チップが挿入された時点(それ以後)の描写」ではないか?
と思える。
つまり、「悪魔軍団が2017年の4月に降臨してきて、疫病と大飢饉に生き残った人達を選別して、当初の3分の1の人達を奴隷にして、その奴隷達に脳内チップを挿入した」
というその時点よりも後(未来)の描写ではないか?
と解釈するのだ。


つまり、悪魔帝国が確率した2018年以後の描写である、と解釈する。
すなわち、「そうなってしまったらもう救済されない。永遠に悪魔軍団に奴隷として仕えなければならない。

(だから、そうなる前に=悪魔軍団が来る前に、地球から逃げ出しなさい=携挙されなさい)」
という指示、忠告ではないか?
と解釈する。


天使は遥か高みから歴史を俯瞰して記述しているのだ。

だから、私は

「この記述は今年のマイナンバー制度の通知の預言ではない=受理する、しないは救済=携挙には関係無い」
と解釈する。


そうすると、通知を受理しないと後々生活に支障をきたすのではないか?
と考えられるので、「別に受理して構わない」
と考える。
まあ、これは各個人で判断するものだから「受理してしまうと後で救済から外されてしまう」
と考える人は御自分の判断の下でそうすればよいだろう。


なお、今日のブログは1週間ぶりの更新であるが、
携挙開始の予定期間から既に1年を切っている。
そうすると反発も予想されるので、私もなかなか更新できないかもしれない。
だが、もっと新しい情報が欲しい、あるいは意見や感想を述べたい、質問したい、議論したい、という人もいるかもしれない。
そういう人の為に前から知らせているが掲示板がある。


http://9320.teacup.com/kkokrjp/bbs


これは以前からある掲示板で、過去ログも膨大にあり、その中にはこのブログでは紹介していなかった預言の解説もあるので、過去ログも読んでいただきたい。

ただ、酷い嫌がらせをする荒しがいるので、やむ無く承認制を取っているので、反映されるまでに時間がかかるかもしれないので了承していただきたい。


ルールを守っていただければ反論、疑問も大いに結構である。
掲示板の方には感じたことを気軽に書いていただきたい。


ただ、私も途中で見解が変わってくる場合もある。
その場合は、「あの時にこう書いたじゃないか」といつまでも古いレスに拘っていないで、

「最後に書いたこと(最新のレス)が今の見解であり、一番正しいと思っていることである」、

というのを承知していただきたい。