天使に対して少しでも憤り、批判の気持ちを持っていたら携挙されない | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

先日のブログのコメント欄に
World peace Free fighter world revolutionary armyさんがコメントを寄せていたのだが、ここで答えよう。
まず、そのコメントを載せる。


>1. 無題
個人救済される方法は過去の文を読んだところ
天使達に協力的な行動をするということが書いてありましたが、よくわかりませんね。実際浅利さんは何をしてますか?。というか全て事実だったら酷いですね天使は。さすが人間のなれの果てという気がしますが・・・。多くの人に伝える事が唯一の方法ですか・・・。それにはまったく協力しない天使・・・。


う~ん、いろいろ考えさせられるコメントだ。
これが、私の説に対してのただの揶揄や嘲笑だったら、私も「まあ、そういう人もいるわな」で無視、放置しておくのだが、この人はそういうただの反対派の人ではないようだ。
この人は、私の説を「理解しようとしない、全く信じようとしない」
という人ではない。
むしろ、「理解しようとしたい」と思っている人のようだ。
では、何故このようなコメントを書いたのか?という背景を考えてみよう。


この人はまだ若い人のようで、今の世界に存在しているいろいろな問題に矛盾、義憤を感じ、

「それを何とかして直したい」と思っている。
それで、彼なりに「何かしたい、何かしなければならない」
と思い、ネットの中で少しずつ活動しようとしているようだ。
ただ、彼は、あくまでも全体救済(地球人全体を救済すること)を目指し、今の人間社会の制度の枠内で変えよう、変えられる、と信じているように思われる。
それで、オカルトや陰謀論の世界にも興味を持ち、ネットでいろいろなサイトを探して真実を求めていた。
そして、私の友人が作ってくれたサイトを介してこのブログを知り、ざっと読んでみた。
ところが、彼にしてみればこのサイトには驚くべきことが書かれてあった。

それは、
「全体救済の期限は1999年でとっくに過ぎてしまっているので、もはや全体救済はできない。
できるのは個人救済(携挙)だけだ。
しかも、それが僅かあと1年後に予定されている。
この携挙のチャンスを逃して地上に留まっていたならば、悪魔軍団による艱難に巻き込まれて死ぬか、死ぬほどの苦しみを受け、たとえ生き残っても悪魔軍団の奴隷にされるしか道は残されていない。
というように2016年の7月から大艱難も予定されている。」


というような内容だ。
それが聖書とノストラダムスで預言されていて、これらの預言書を解読していくとこのような未来が予想される、という。
これには驚いただろう。

これが「というか全て事実だったら酷いですね」という内容だ。
彼は「これからやろう」としているのに、私は「もう終わりだ、そろそろ止めようと思っている」
というのだから納得できないのだろう。
しかも、こんな驚くべきことを知っている人がほんの僅かしかいない、ということにも驚きと疑問を持ったようだ。


彼は「まさか、こんなことがある訳ない」
と否定はしないが、直ぐに全部信じる、というのも難しいのだろう。
このサイトを知ってからまだ日も浅いだろうし、このブログを全部読んだ、というのでもなさそうなので、完全には消化できてなくて半信半疑なのだろう。

だから「もし、この話が本当だとしたならば」
という仮定で、いろいろ考えることがあり、感想としてこのコメントを書いたのだろう。

彼は、まだ若いだろうし「地球人の全体救済をしたい。まだできる。」という情熱を持っていて、「この世界を変える方法がまだ残っていて欲しい・・・」と切望している。
それなのに、いきなり「全体救済はもう無理だ」と言われても、直ぐにはなかなか受け入れられないのだろう。

その気持ちは解るのだが。
それが、「だが、天使は何も協力してくれないじゃないか?」
という疑問になり、更に「何も協力してくれない天使を責める、批判する、非難する」
という気持ちになったのだろう。


確かに表面上は「天使は何も(地球人救済に)協力してくれなかった」ように見えるのかもしれない。
天使としては地球人救済のためにいろいろ手を尽くしてきたのだが、それは潜伏的で表面上には現れないのでそう思われても仕方ないのかもしれない。
彼は「天使が聖書やノストラダムスの預言書を歴史に付加してきた」ということも知らなかったし、「既に歴史が何回も更新されてきた」ということも知らなかったのである。
それを突然知らされても、直ぐには理解できないだろう。



そして、そのもどかしさ、イライラ、憤りの矛先は私にも向けられてきて、
「浅利さんは、預言を解読してこの未来が解ったというのに、何も(大したことは)していないじゃないか。
しかも、自力で辿り着いた人だけでいい、とか、そろそろフェイドアウトした方がいいのでは?
などと書いていて非常に後ろ向きだ。
諦めるのはまだ早いから何とか活動すべきだ」
というように感じたのだろう。


まあ、そう思うのは解らなくもないが。
私としては1985年にこの説を思いつき、もう30年もやってきた訳で、30年間も私なりにこの説を広めようと努力はしてきたのだが、その結果としてもこの程度だった、と感じている。
私も1985年にこの説を思いついた時には、
「何とかしてこの説を人々に知らせなければならない」と思い、また、
「この説を知らせたら、ある程度の人達は理解して協力してくれるのではないか?」
とも思った。
でも、1985年に本を3冊出版してから直ぐに、
「この説を理解してくれる人、協力してくれる人はほとんどいない。
今回は(今回も)無理だろう」
と思った。
天使もそう思っただろうから「諦めて引き上げてしまったのではないか?」
と思った。
でも「天使もあれ程苦労してやってきたのだから、これで諦めるのは早いのではないか? もうちょっと何かしてくれるのではないか?
少しは何かしてくれてもいいのではないか?」
という期待も捨てきれなかったのではあるが。
だが、何年経っても実際に何か協力してくれる人はほとんど現れないで1999年を迎えてしまったので「やっぱり天使は諦めてしまった」
と思わざるを得なかった。

それで、1999年も過ぎて、全体救済の可能性は無くなって個人救済、携挙に移ったのだが、これは天使にとっては、メインの目的(地球復帰)が達成できなかった場合の余興、ボランティアにしか過ぎない。
だから、天使としても、「もともと熱心にやらなければならないもの」ではないのである。

そして、天使が残り1年で「何かをやってあげよう」という気はないだろう。
それを期待しても無理だ。
そういう気持ちがあるのならばもっと前にやっていたはずだ。
だが、私は少しも天使を責める気は無い。
「それが当然だろう」
と思うからだ。
それ程今の地球人、日本人は(天使から見ると)酷い、救いようが無い、と思う。

ただ、私に「このブログを開設して、言葉を送ってきている」という以上は、

「まあ、お前に好きなようにさせてやるよ。それで基準に達した者だけは拾い上げてやるよ」
という気持ちはあると思われる。
そうでなければ私に言葉を送ってこないだろう。
だが、そう考えて言葉を送信してきているのは天使の中でもひとりなのか、また、彼に同調して実際の携挙に協力してあげよう、と考えている天使はほんの数人か数十人なのかもしれない。
とにかくそれ程大勢いるとは思えない。


さて、このブログにしても1日の来訪者は200人から300人くらいの間を行ったり来たりだ。
この1年間でもほとんど増えない。
しかも、全部の来訪者がこのブログに好意的な訳ではないだろう。
好意的にこの説を理解しようとしている人はその半分、100人くらいだと思われる。
しかも、それがほとんど増えない、となると、
30年間やってきてもこの程度なんだろうなあ、と思うしかない。
「頑張って下さい」
と言われても。「何をどうすればいいのか?」
を教えて欲しいくらいだ。
私にそう言うのならば、「自分で何かできることがあるかどうか?」
を考えた方がいいんじゃないですか?

と言いたくなってしまう。


まあ、この人がそのもどかしさからこうコメントした、という気持ちは解る。
だが、このコメントを読んで直ぐに思ったのは、
「こう書いているようじゃ、このままではこの人は携挙されないだろうなあ」
ということだ。


天使がこのコメントを読んだらどう思うだろうか?
「なんだ、こいつは、偉そうに上から目線で批判しやがって。
俺達が苦労して手渡した預言書の真意も理解できないで、俺達も呼ばないでせっかく与えてやったチャンスを棒に振って、いつまでも戦争ごっこに明け暮れて地球を汚染し続けているのはお前達の方だろう。
お前達の方が救いようがない、という悲惨な有り様だ。
俺達にこれ以上どうしろと言うのだ。
個人救済(携挙)をするかしないか、誰を拾ってやるかどうかの権能は俺達が持っているんだから、俺達の苦労をろくに知りもしないでこんな生意気な口をきく奴なんか救ってやる訳ないだろう」
と思うに決まっている。
「自分を責める、批判する、非難する者」なんかを引き取るだろうか?
引き取るはずがない。


個人救済、携挙というのは、何度も書いたように、これは天使にとっては「メインの目的(地球復帰)が達成できなかった場合の余興、ボランティアにしか過ぎない」ので、天使としても、「もともと熱心にやらなければならないもの」ではない。
だから、それを「ちっとも協力してくれないではないか」
と責めてもお門違いである。


まあ、これも、「全体救済をしたい。すべきだ」という熱意からの勇み足だろうが。
彼は天使の波動(思考)よりも地球人の波動(思考)の方なので、「地球人の立場、地球人の側から」ものごとを考えて判断しようとしている。


携挙の条件に「天使に波動(思考、性格、行動)を同調させる」
というのがある。
「地球人の立場、見地、常識を捨てて、完全に天使の立場、見地に立って、天使の目、気持ちで物事を見て思考し判断する」
とならなければ「天使と同調した」とは言えない。

そして、これは非常に難しくて、また、時間がかかる。
地球人と天使の波動はかけ離れている。
まず、天使に波動を合わせる為には、

「天使が置かれた立場、それまでの状況、歴史、真理を知らなければならない」
これは「預言書の真意を理解する」とも言える。
真理、歴史の変遷を理解する、といっても、私が
「未来人と言っても、彼らは元の歴史で地球から脱出して地球を破壊してしまった子孫である。
彼らは悪魔軍団と天使軍団という二つのグループに分裂して・・・」
と説明しただけで
「はい、そうですか」
と理解できるだろうか?
実感として信じられるだろうか?
そんな簡単にはいかないだろう。

それを実感として理解できるようになる為には、私の預言書の解説を読んで、
「ああ、聖書とノストラダムスでこんな風に描写されていて、こんなに何箇所でも記述されていたんだな」
と感じて徐々に受け入れていくしかないだろう。
だから、それ相応の量の預言解説を読まなければならないだろう。

そして、ただ読んだだけではなく、自分の中で消化していかなければならない。
天使が辿ってきた歴史、立場に共感していかなければならない。
そうして、徐々に少しずつ自分の波動を変えていき、天使の波動に同調していくのである。
これには何ヶ月間もの時間がかかると思う。
携挙の予定期間の直前になってから知っても間に合わないと思う。
だから、少なくとも半年前から準備をしておいて欲しい、と忠告しているのだ。
それで、2015年の9月が「天のしるし」が終わる時あり、ヨベルの年が始まる時でもあるので、「この時が受付終了の目安」ではないか?
と思うのである。

このごろよく「2015年の9月に何かが起きるのではないか?」
と2cやその他のサイトで言われていて議論されているが、2015年の9月には何も起きないと思う。
そうすると、1999年や2012年同様に、
「また予言に騙された。もう信じないぞ」
と早合点する人が大勢出るだろう。
だが、携挙も艱難も「天のしるしの後に起きる」と預言されているのだ。
「その後に」というのを「その時に」と勘違いして「また騙された」と悪態をつく人が続出するだろうが、放置しておくしかない。


彼が残り1年間で変わるかどうかは解らないが、
このコメントに書いた気持ち、
天使に対して少しでも、
「全然やってくれないで酷いじゃないか」
という憤りの気持ちを持っていて、天使を責める、非難する気持ちが少しでも残っていたら、それは「天使の波動に同調できなかった」
ということで携挙されないだろう。

天使が地球人を引き取って面倒を見る、というのは、天使にとっても大変な労力を要することだ。
子供のようにいちから教育しなければならない。
だから、その天使の教育、指導を素直に受け入れる者でないとならない。
だから、その心構えが充分にできていて、「引き取って受け入れても良いだろう」と判断した者しか引き取らない。
少しでも反抗心やいい加減な気持ちを持っている者を引き取るはずがない。
地上に残されたら、艱難で苦しんで死んでいくか、生き残っても奴隷にされるだけである。
その地獄から逃れるには天使に携挙されて地球から脱出して、天使の惑星に連れて行って貰うしかない。
それを理解できたのならば、携挙されたとしたなら、本当に感謝、感謝、ただ感謝あるのみだ。
その価値、意味をしっかりと理解している者しか携挙されないのは当たり前のことだ。

いい加減な気持ち、傲慢な気持ち、思い上がった気持ちが少しでも残っている者は外される。


今の日本人、地球人の中に「天使が引き取ってもいい」と思える者が何人いるだろうか?
イスラム国がどうのこうの、世界の政治、経済がどうのこうの、と偉そうに言っている学者やコメンテイターや、それをワイドショウで聞いている人達にしても「地球人の中」でしか考えていない。
地球人の波動の中にどっぷりと浸かっている。
この世がもう直ぐ終わるとは夢にも考えていないのだ。

いや、私もワイドショウや陰謀論などのいろいろなサイトは見る。
情報を集める、地球人を観察する、という意味でね。
だが、天使に同調してこれらを見ると、「いかに下らないか、低次元か」と呆れることばかりだ。
天使の意識とはかけ離れている。


イエスが、
「狭き門から入れ」
「駱駝が針の穴を通るよりも難しい」
「招かれる人は多いが選ばれる人は少ない」
と言ったのもよく解る。