天使が艱難前携挙にしなければならなかった必然的な理由。その7 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

これまでの説明で艱難後携挙と艱難中携挙は、どちらも天使(天使的未来人)にとっては難点があると解ったと思う。
つまり、「艱難前携挙がいい。都合が良い、利点がある」
という艱難前携挙を支持する積極的な理由があるから艱難前携挙を行うのではなくて、
「艱難後携挙と艱難中携挙では、まずい、都合が悪い、難点がある」
という消去法でやっていくと
「艱難前携挙しか残らなかった。携挙を行うとしたら、艱難が始まる前に行い、済ませてしまうしかない」
という結論に至り、「艱難前携挙をやらざるを得ない」、というのである。

理解していただけただろうか?
携挙されたいのならば、これを理解しておくことは非常に重要だと思う。
これを理解したならば、
「艱難が始まってから携挙してくれるのならば、自分も確認できるし、家族や友人知人にも自信を持って薦められるのに」
というような不満は言わないだろう。


このシリーズのテーマ、カテゴリーに分類した「天使の立場に立って考えることが重要である」というのが理解できただろうか?
これがすなわち「天使の立場と状況を理解する=天使と波動を合わせる=天使と同調する」
ことであり、携挙されたいのならば必須条件なのである。
天使の前で、地球人の側からの思考や願望を語ったり、押し付けようとしたら、天使は、

「何だこいつは、生意気な奴だな。こんな奴はいらない」
と判定して省かれてしまうだろう。
地球人の側からの思考、願望を捨てて、天使の波動、思考に合わせないと携挙されないのである。


さて、今までの説明を理解してから、もう一度、先に取り上げたノストラダムスが艱難前携挙を示唆した記述を考えてみよう。


地獄の王サタンによってあまりにも多くの悪が成されるので、ほとんど全世界が破壊されて荒れ果てるでしょう。その前に、異様な鳥たちが「今だ、今だ」と空で叫びますが、しばらくすると消えてしまいます。

(アンリ二世への手紙より)


この記述でノストラダムスは「艱難が始まる前に携挙を行う」
とはっきりと告知したのである。
そして、また、私は次のようなことも書いた。


>まず、前史と今史の
2016年の7月から悪魔軍団による艱難(疫病と大飢饉)が始まり、2017年の4月に悪魔軍団が降臨してくる。
という歴史は「既に存在している歴史、既に存在している未来」であり、これがベースになる。
この状況をふまえた上で、
「どのように行動すればいいのだろうか? という案(プラン)を立てること」
というのが問題だ。


ノストラダムスの先の記述が、まさにこの思考の通りに書かれてあるのだ。
つまり、


地獄の王サタンによってあまりにも多くの悪が成されるので、ほとんど全世界が破壊されて荒れ果てるでしょう。


という記述、これは、


>まず、前史と今史の
2016年の7月から悪魔軍団による艱難(疫病と大飢饉)が始まり、2017年の4月に悪魔軍団が降臨してくる。
という歴史は「既に存在している歴史、既に存在している未来」であり、これがベースになる。


という状況そのものの描写である。
それに対して、


その前に、異様な鳥たちが「今だ、今だ」と空で叫びますが、しばらくすると消えてしまいます。


という記述は、


>この状況をふまえた上で、
「どのように行動すればいいのだろうか? という案(プラン)を立てること」
というのが問題だ。


に相当している。
つまり、

「悪魔軍団により艱難が引き起こされる」という未来は既に存在している。
それに対して、

「義人救出作戦=携挙をいつ行ったらいいのか?」
を検討した結果、艱難が始まる前に行い済ませてしまう=艱難前携挙しかない、
という結論に達した。
だから、艱難前携挙を行う(予定である)というのだ。

非常に解り易く、その通りの書き方である。
ここでノストラダムスは、

「歴史の変遷と天使が艱難前携挙に至った理由と経過、裏事情までも仄めかした」、と考えられる。
「そこまで汲み取りなさいよ」
という指示である。


これが、もし予言=ただ、未来に起こることを事前に知らせること、だったら、時系列に沿って、


異様な鳥たちが「今だ、今だ」と空で叫びますが、しばらくすると消えてしまいます。
(その後で)地獄の王サタンによってあまりにも多くの悪が成されるので、ほとんど全世界が破壊されて荒れ果てるでしょう。


と書けばいいではないか。
これが予言と預言の違いである。
予言とは、「ただ、未来に起こる出来事を事前に告知したもの」
であり、そこには思想もて哲学も無いが、

それに対して、預言とは、
「既に存在している未来を教えて、それに対して、天使軍団がどういう案、計画を立てて、どのように変更したい、と考えているのか、を事前に告知したもの」
なのであり、天使の思考と意図、計画を地球人(過去人)に教示したものなのである。