天使が艱難前携挙にしなければならなかった必然的な理由。その5 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

このシリーズも長くなってしまったが、私はこれは非常に重要な問題だと思う。
携挙される為にはどうしても知って理解していなければならない、と思うから取り上げているのである。


ただ預言書を解読して、予言的に「携挙と艱難がいつ起きるのか?」
を知るだけでは、このシリーズの最初に説明したような疑問がずっと残るはずだ。

「どうしてそうなのか? そうでなければならないのか?」
という理由まで理解できないと「本当に理解した」とは言えないのである。


では、このシリーズのタイトルの、
「天使が艱難前携挙にしなければならなかった必然的な理由」

を説明していこう。
私は昨日の記事の最後に、


>その為には、完全に「天使が置かれている状況」を理解し、気持的、心情的にも完全に天使達と同調させなければならない。
そうすれば、自ずから「携挙の最適期間がいつなのか?」
が判って来るはずだ。


と書いた。このように、天使の立場に立って、天使と同調させて考えていくのである。
昨日も説明したが、
まず、前史と今史の


2016年の7月から悪魔軍団による艱難〔疫病と大飢饉)が始まり、2017年の4月に悪魔軍団が降臨してくる。


という歴史は「既に存在している歴史、既に存在している未来」であり、これがベースになる。
この状況をふまえた上で、

「どのように行動すればいいのだろうか? という案(プラン)を立てること」
というのが問題だ。


まず、「義人救出作戦=携挙の時期と期間、をいつに設定すればいいのだろうか?」
というのが一番の問題である。
艱難と携挙との時間的関係については、従来の聖書学においては、


艱難前携挙説~艱難期に入る前に携挙が行なわれる。
艱難中携挙説~艱難期に入ってから、艱難期の最中に携挙が行なわれる。
艱難後携挙説~艱難期が終わってから携挙が行なわれる。


の3っつの説(考え方)がある、と説明した。
この中のどの説を採ればいいのだろうか?
答えは既に判っているのだが、天使がこれについて検討し始めた時点に戻って考えてみよう。

それで、今回は、逆に
艱難後携挙説~艱難期が終わってから携挙が行なわれる。


から考えてみよう。
「これをもしやったらどうだろうか?」と考えていくのである。
ただし、その為にはまず、この「艱難期とはいつからいつまでなのか?」
を考える必要がある。
艱難期が始まるのは、悪魔軍団が疫病をばら撒き始める時だから、2016年の7月である。
これは判っている。
問題は、艱難期が終わる時だ。


厳密な意味で考えると、「艱難期は2016年の7月以降永遠に続く」、と考えるべきだろう。
というのは、2017年の4月に悪魔軍団がキリストを装って降臨してきて、生き残った人達を助ける振りをするが、実際は選別作業をして、その選別に生き残った人達を全員奴隷にして支配していくのだから、その後には救済はもう無い。
その後の地球人の子孫も永遠の奴隷である。
だから、艱難期はその後永遠に続く、となる。

しかし、それでは、艱難後携挙というものそのものが成り立たなくなってしまう。
携挙は永遠に無い、となる。
まあ、それでもいい、そういう考え方でいって「艱難後携挙説はあり得ない」
としてもいいのだが、
ここで、艱難期をもう少し狭く考えて「悪魔軍団が降臨してくるまで」と考えてみよう。
つまり、艱難期は、

「地上に疫病と大飢饉が猛威をふるう期間、=2016年の7月から3017年の4月まで」

と考えてみるのだ。

そうすると、艱難後携挙説では、2017年の4月(以後)に携挙が行われる、となる。
だが、これでは、悪魔軍団とかち合ってしまう。
悪魔軍団が降臨していて、地上にその姿を現しているというのに、その最中に天使が義人を携挙するという活動をするだろうか?
これはどう考えてもおかしい。


天使は悪魔軍団とは絶対に顔を合わせたくないはずだ。
天使達も遥か以前に悪魔軍団と直接会って交渉したこともあったかもしれないが、それは決裂した。


ならば、それ以後は天使達は二度と悪魔軍団とは会いたくないはずだ。
だから、悪魔軍団が地上に姿を現している最中に、天使がUFOを送り込んで義人を拾い上げる作業をするとは思えない。
天使にとっては、携挙というのは、慈善活動、ボランィアに過ぎないので、

「どうしてもやらなければならないこと」ではない。
そこまではしないだろう。

それに、携挙というのは、再臨=天使軍団の地球復帰が叶わなかった場合に行われるものである。
天使からしたら地球復帰というメインの目的達成に失敗してしまったのである。
天使から見たら、その場合の地球人は、

「天使を呼ばないで天使の願いを叶えてくれなかった無能で役立たずの馬鹿ども」

である。
そんな馬鹿な地球人の為にそこまでしてやってやる義理はない。


これらを考えると、どっちにしても、

艱難後携挙説は無い、有り得ない、と結論づけられる。

聖書研究家の中には艱難後携挙説を唱える人もいる。
しかし、それは、ただ、

「聖書の中のいくつかの記述をそう解釈して、そうだと考えている」
というだけである。


天使の正体も状況も何も解っていないから、

「艱難後携挙説は有り得ない」

というところまで頭が回らないのである。
艱難後携挙説を提唱している人は、どんなに聖書を解釈し、解説しようとも、
「私は天使の正体も事情も、歴史の変遷の構造も全然知りません。そういう理論的なことは全く解りません」

と宣伝しているようなものである。