天使が艱難前携挙にしなければならなかった必然的な理由。その3 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

さて、では、12月9日の記事に書いたことの原因がどうして「艱難前携挙」にあるのかを考えてみよう。

私達が悩むことをまとめると、


①、自分自身の問題 ~自分でも完全には携挙があるかどうかが信じきれない。(外れるかもしれない、という疑念が払拭しきれない)

②、家族への問題 ~自分としては一応信じるとしても、家族を説得するのが難しい。(なかなか家族が理解して信じてくれない)

③、友人知人への問題 ~友人や知人にこれを知らせようか?と思っても「外れた時に嘲笑されるだろう」と予想されるので、自信を持って薦められない。


というようなことだと思う。
では、何故、こう悩む原因が「艱難前携挙」にあるのか?というと。

①と②の自分自身と家族についてのケースについて考えよう。
とにかく、その年(2016年)が携挙と艱難の年だろう、と考えたとする。
やはり助かりたければ、とにかく携挙の予定期間である3月から6月までに天使のUFOをテレパシーで呼ぶだろう。
1回で来てくれるかは判らないので、2回、3回と来てくれるまで呼ぶはずだ。
その時に家族も説得して連れて行って一緒に呼ぶだろう。
1回で来てくれれば問題ないのだが、なかなか来てくれなかったとしよう。
そうすると、家族から、
「今日も呼んだけど来てくれなかったじゃん。本当に来るの? 今年じゃないんじゃないの? そもそもその説自体が間違っているんじゃないの? そんなに何回も付き合えないよ。もういいよ。次からはあんた一人で呼びなよ。もし、あんたが戻って来なくて、本当にUFOに乗って行っちゃった、としたら私達も後で呼ぶからね。」
と言われるのではないだろうか。


そして、その後で一人だけで呼んだ時にUFOが来てくれた、としたら、

自分がUFOに乗り込む時に、
「家族は後から来ると言ってたけども、そんな疑心暗鬼の家族を天使が連れて行ってくれるだろうか?」
という不安がよぎるのではないだろうか?

「家族が不合格だったから、家族と一緒に呼んだ時には来てくれなかった」、

とも考えられる。

「家族とは二度と会えない」と覚悟しなければならない。

でも、やはり家族を残していくのは辛いだろう。


その時に、まさか、UFOが来てから「家族を呼んでくるからちょっと待っていて」
とは言えないだろう。
そんなことをしていたらUFOは飛び去ってしまうだろう。
そして、二度と来てくれないだろう。


聖書では、
「ソドム脱出時のロトの妻のようにソドムに未練を残した者は救済されない」
とあるし、イエスも
「畑に二人いたら一人は携挙されて、もう一人は地上に残される」
と預言したから、やはり、そんなに甘くはないだろう。
UFOが来たら躊躇わずに乗り込まなければならない。
「後から家族も携挙されて合流する」、というのは難しいのではないだろうか?
「多分、家族とはもう二度と会えないだろう」と覚悟して乗り込まなければならない。


では、③の友人、知人との関係について考えてみよう。
あなたが「凄くいい人だからどうしても救済されて欲しい。向こうでも一緒に会いたい」と思っている友人がいたとして、その友人にはこの話を前もって知らせておいたとする。
その友人は、嘲笑まではしなくても「本当なのかなあ?」
となかなか信じられない様子だった。

それで、あなたが携挙の予定期間中に天使に「迎えに来て下さい」とテレパシーを発して、本当にUFOが来たとする。
あなたは「本当に来てくれたんだ」と喜んで乗り込もうとするが、その時にその友人のことが頭をよぎったとする。
しかし、その時に、あるいはUFOに乗ってから「ちょっと友人に電話していいかな?」
と言って携帯電話を取り出して、その友人にかけて、
「本当にUFOが迎えに来たんだよ。あの話は本当だったんだよ。
だからお前もUFOを呼んで後から来いよ。向こうでおち合おうぜ」
と言えるだろうか?
多分言えないのではないのだろうか?
とてもそんな雰囲気では無いはずだ。
それに、UFOはあっという間に飛んでいってしまうから直ぐに携帯電話は圏外になってしまって、通話はできなくなってしまうだろう。


それに、「地上に残してきた人、物に未練を残すな、執着するな」
と厳しく預言されていたのである。


つまり、艱難前携挙では、携挙予定期間中に天使に向けてテレパシーを発して、本当にUFOが迎えに来てくれて初めて「本当だった」と判る。
「UFOを呼んで、本当にUFOが迎えに来た」、とならないと、この説が真実だった、とは確かめられないのである。
事後にならないと「本当だった」、と確認、確定できない。
ここに最大の問題があるのだ。


しかも、その時には躊躇しないで直ぐに乗り込まなければならない。
家族を呼びにいくことはできないし、友人や知人に携帯電話をかけて、

「本当だったんだから信じてれ。後から来てくれ。向こうで待っているぞ」

と連絡することもできない。


これが、もし、天使が艱難中携挙説を採ってくれていた、としたらどうだろうか?
自分でこの説は知っていても半信半疑だったとする。
まあ、信じたいという方に傾いてはいたが、どうしても多少の疑念は残るだろう。


それが7月になってから、世界じゅうのあちことで疫病が発生しだしたら、
「あっ、これはいよいよ悪魔軍団が疫病をばら撒きだしたな、やがて大飢饉になるだろう。あの話は本当だったんだ」
となって、それから天使に「迎えに来て下さい」とテレパシーを発して、それでUFOが迎えに来てくれるのならば、何にも悩まない。
「疫病が発生してから呼べばいいや」というのだから、家族にもある程度はこの話をしておいて、
「ね、本当だったでしょう。さあ、UFOを呼ぶから一緒に逃げよう」
で済む。何も悩まない。


また、友人、知人の場合でも、前もってざっとこの説を話しておいて、
「もし、7月になって全世界的に疫病が発生しだしたら、この説が本当だった、と判るんだから、そうなったら天使のUFOを呼んで地球から脱出してね。後で向こうでおち合おうぜ」
と言っておけばいい。
友人知人も頭から馬鹿にしないで「まあ、信じ難い話だけど、もし、そうなったらUFOを呼ぶよ」
と言うのではないだろうか?

そうしたら何も悩まない。
これで本当に天使のUFOが迎えに来てくれるのだったら、自分自身についても、家族についても、友人知人についても何も悩む必要は無い。
「とにかく7月になって疫病が発生してから天使のUFOを呼べばいいさ」
というのだから、これ程簡単なことはない。


ところが、預言書ではこうは書かれていない。
ノストラダムスははっきりと、「サタン〔悪魔軍団)による艱難が始まる前に携挙を行い、済ませてしまう」
と宣告しているのである。
つまり、「艱難前携挙」だからこそ、いろいろ疑ったり、悩んだりするのだ。


「じゃあ、天使も艱難中携挙が、艱難後携挙にしてくれれば良かったのに。
最初からそうしてくれれば、こんなに悩まずに済んだのに。
何で艱難中携挙が、艱難後携挙にしてくれなかったの?
そうしようと思ったらできたんじゃないの?
艱難前携挙じゃなきゃ駄目だ、という理由でもあるの?」
こう思わないだろうか?
私もこう考えたこともある。

だが、天使の立場に立って考えると、「艱難中携挙が、艱難後携挙では駄目で、どうしても艱難前携挙しかできない」
という必然的な理由があったのだ。

解るだろうか?

それは次回話そう。