イエスの言葉「人は神と富とに兼ね仕えることはできない」の真意、その3 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

16:13どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

(ルカによる福音書)


このイエスの言葉を取り上げているが、昨日説明したように、私はこの言葉を、

>(21世紀以後の)地球人は、僕(しもべ)として主人に仕えなければならないのだが、二人の主人の両方に仕えることはできない。
神(=天使軍団)と富(=悪魔軍団)の両方に仕えることはできないのである。


と解釈した。

「富」とは悪魔軍団を暗示している、と考えたのである。


これだけではいまいちはっきりしないが、イエス(天使)は結局何が言いたかったのか? というと、


>私達(天使)はあなた達を思って、天使を選ぶように薦めているんです。
だから、悪魔軍団ではなくて、天使軍団の方を主人に選びなさい。

という天使軍団(天使的未来人)の忠告である。

と解釈した。


天使の本音はこれであり、イエスは本当はこう言いたいのだが、直接こう言わないで、あのように遠まわしに言った、と考えられる。
だから、これがイエスの真意=この言葉の真意である、と考える。
しかし、こうも書いた。


>確かに、聖書の解釈は難しい。
そして、ひとつの記述の解釈にしてもいくつもある。
宗派によって、研究者によって、そして信者によって微妙に、あるいはかなり違う解釈がなされている。
今は、聖職者でも、信者でも、一般の人でも、ブログなどで様々な解釈を発表している。
どの解釈が正しい、とは一概には決め付けられないかもしれないが、


確かに、その通りではある。
いくつもの解釈が可能であり「その解釈は間違っている」
とは断言できないかもしれない。
しかし、私は「イエスがこの言葉で本当に表したかったこと。イエスが真に意図していたこと」
がこの言葉の真意であり、それが正解の解釈である、と考える。


一般の人達、信者が「こういう解釈ができる。この解釈が正しいのだろう」と考えたとしても、それが
イエスの真意からズレている解釈、イエスの意図を汲み取っていない解釈」だったとしたならば、いくら「こういう解釈ができる」
と主張してもそれは「的外れな解釈」なのである。


つまり、イエスが、
「あなたはそう解釈したかもしれませんが、私はそんなつもりでこの言葉を言ったんじゃありません。
それはあなたの勝手な解釈です。
勘違いです。的外れです、ズレています、トンチンカンです。」
と言ったならば、その解釈は不正解なのである。
勿論、イエスがどういう意味でこの言葉を言ったのか?
はイエス本人に聞かなければ解らないことだが。


さて、ここで、「この言葉が今まで、どのように解釈されてきたのか?」
を考えてみよう。
とはいっても、この言葉の解釈は人によって様々なので全部は挙げられないが、

「多分、昔の人(いや、今でもほとんどの人)はこう解釈しているだろう」
と思われる解釈を例に挙げて検証してみよう


まず、この言葉、
>あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

で問題になるのは「神と富」をどう解釈するのか?
ということだ。

「神」、というのは文字通りに神か、あるいは三位一体論では父=子だから、神=イエス・キリスト、を指している、と考えるだろう。
これはこれでいい。

問題は「富」だ
多分、ほとんど(全部の)人達は、この「富」も、そのまま文字通りに受け取って
富、お金、資産、財宝などの地上に存在している物、実物資産を指している」、と考えるだろう。

つまり、イエスは
「あなたがたは、神(イエス・キリスト)と富(お金、財産、財宝)の両方に仕えることはできない」
と言った。
だから、「どちらを取るかを選択しなさい」ということで、イエスは、暗に、
「富ではなくて、神に仕えなさい。富を捨てて神に仕えなさい。」
という意味で言ったのだろう、と解釈するだろうと推測される。

「一般の人達ならこう解釈しただろう」と考えるのは普通、当然である。
昔の人でなくても、今の人でも信者はこう解釈している、と思われる。
そして、イエスのこの言葉(この解釈)を真に受けて、実践した人達がかなりの数いた。
今でも相当数の人達が実践している。
それは、「修道僧、修道士、修道女」と呼ばれる人達だ。