イエスの言葉「人は神と富とに兼ね仕えることはできない」の真意、その2 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日の記事に、


>もう過ぎ去ってしまったが、実は、地球人は1999年にある選択を迫られていた。
それは、
「21世紀以後の自分達の主人をキリスト(天使軍団=天使的未来人)にするのか?
それともサタン(悪魔軍団=悪魔的未来人)にするのか?」
という選択である。
あの時、地球人は、それ以後の主人を天使か悪魔かのどちらかに選ばなければならなかった。
このどちらも選ばないで「地球人だけでやっていく」ということはできない。
「地球人だけで」という選択肢は無かったのである。
天使か、悪魔か、という二者択一である。


と書いた。
実は、イエスがこれについて預言していたのである。
とは言っても、このように解り易くは言っていない。
ちょっとぼかして、象徴的に言って仄めかしたのである。
では、どの言葉だろうか?
というと、もうばれてしまっている。
昨日、今日の記事のタイトルになっているからだ。
それは次の言葉だ。


6:24だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

(マタイによる福音書)


これはイエスの言葉の中でも比較的有名な言葉である。
クリスチャンはよく引用する。
そして、これはマタイだが、もう一箇所、ほとんど同じ記述がある。


16:13どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

(ルカによる福音書)


以前、例の「イエスがペテロに天国のかぎを授けた」、というマタイ16-18~19の記述の説明の時に、
「ひとつの書にしかない記述は有効かどうか怪しい(無効ではないか?)。
二つ以上の書に同様の記述がある場合は有効である。」
と書いたが、この考え方からすると、

この言葉はマタイとルカの二つの書に載っているので有効である。


さて、この聖句は以前の本でも引用したのだが、


>地球人は、1999年以後の自分達の主人を天使か悪魔かのどちらかに選ばなければならなかった。


ということを考えていた時に、この聖句が頭に閃いたのである。
私は聖書を全部暗記している訳ではないのに、あることを考えている時に、それに関連した預言書の記述が頭に浮かんでくることがよくある。
そして、「ああ、この聖句がこれを表現していたんだな」と直感的に解る。
それは、真の作者がテレパシーで教えているのか、それとも私自身が真の作者と魂の領域で繋がっているからなのだろう。


さて、あなたは、この「天使か悪魔かの二者択一」とこの聖句が結びつくだろうか?
確かに、聖書の解釈は難しい。
そして、ひとつの記述の解釈にしてもいくつもある。
宗派によって、研究者によって、そして信者によって微妙に、あるいはかなり違う解釈がなされている。
今は、聖職者でも、信者でも、一般の人でも、ブログなどで様々な解釈を発表している。
どの解釈が正しい、とは一概には決め付けられないかもしれないが、ひとまず、私の解釈を説明しよう。


まず、この聖句の要点は、
人は、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。

神と富とに兼ね仕えることはできない。
の両方から成っている、と考えられる。


ここから、「二人の主人」とは「神と富」である、と考えられる。


神とは、そのまま、神または天使かイエス(キリスト)を指している、と考えられる。
では、「富」とは何を表しているのだろうか?
地上にある富、財産や財宝を指しているのだろうか?

ここで、聖書の基本となる思想を考えてみよう。


聖書の基本は二元論である。
つまり、二つの対立した言葉が出てきたら、それは「光と闇、天使と悪魔、キリストと反キリスト」という
「地球の覇権を巡って争っている二つの陣営、つまり、天使軍団と悪魔軍団」、を指している、
と考えるべきだ。


そうすると、「富」とは、「拝金主義、エゴイズム」などを暗示している、と考えて、更にここから、悪魔崇拝、悪魔軍団を指している、と考えられる。

地上にある富、財産や財宝を指しているのではない。


そして、「僕(しもべ)が主人に仕える」、とあるから、
21世紀以後の地球人は、どっとみち、天使軍団か悪魔軍団かのどちらか片方に仕えなければならない
という考えが根本にある。


これは、「地球人だけでやっていく、という選択肢は無い、必ずどちらかの主人に仕えなければならない」という前提の上で、
「自分達の主人に天使か悪魔かのどちらかを選択しなさい」
と命じているのだ。


もう一度まとめてみよう。
>どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。

とは、


(21世紀以後の)地球人は、僕として主人に仕えなければならないのだが、二人の主人の両方に仕えることはできない。
神(=天使軍団)と富(=悪魔軍団)の両方に仕えることはできないのである。


という意味になる。
こう解釈できる。

そして、1999年がその選択の時だったから
1999年にどちらを主人にするのかを決めなさい
という決断を迫ったのである。
ただし、これは「地球人全体としてひとつの選択をしなさい」という意味である。


そして、こう言ったというのは、勿論、
「悪魔軍団の方を選んでしまったら、後は永遠の地獄が待っていますよ。
あなたがたは悪魔の奴隷にされて永遠に苦しみますよ。
それに対して、天使軍団を主人に選んだら、私達(天使)はそんなに酷いことはしませんよ。
天使の方がずっと慈悲深くて優しいですよ。
天使を選んだ方が得ですよ。
私達(天使)はあなた達を思って、天使を選ぶように薦めているんです。
だから、悪魔軍団ではなくて、天使軍団の方を主人に選びなさい
。」
こう忠告していたのだ。


本当はこう言いたいのを、直接こう言わないで、もってまわって仄めかしたのである。

「おまえ、それくらい解れよ。

いくらなんでも、それくらいは解るだろう」

ということだ。


ただし、これは、1999年までの全体救済が可能だった時の話だ。
今回のように、1999年に地球人がイエス(天使)を呼ばなかった場合は全体救済の可能性は無くなった。


だが、2016年までは個人救済=掲挙の可能性がまだ残っている。

その場合は、この言葉をそのまま個人のレベルまで引き下げて、
この言葉は「各個人に対して言った」と解釈できる。
つまり、各個人で「自分の主人を選ぶ、選べる」と考えるのだ。


自分の主人に天使を選んで、天使に仕えたい、と決断した人は、掲挙の予定期間中に天使のUFOを呼んで、地球から脱出して天使の惑星に連れて行って貰って、そこで天使に仕えればいい。
一方、自分の主人に悪魔を選んで、永遠に悪魔に仕えたい、と決断した人はそのまま地球に残ればいい。
地球に残っていれば、悪魔軍団が主人として降臨してくので、そのまま悪魔に永遠に仕えられる。

あなたがドM(強度のマゾ)だったらそれもいいかもしれない。
1999年から2016年まではこう解釈すればいい。


つまり、この言葉は、
地球人全体をひとつの集団とみなして「地球人全体でどちらにするのかを選択しなさい」と言った。
と、
各個人に対して、「自分で自分の主人をどちらにするのかを選択しなさい」、と言った。
という二つの解釈ができる。


勿論、これは「どっちかひとつが正しい」というのではなく、
1999年以前と1999年以後(ただし2016年まで)
で臨機応変に解釈しなさい、という意味である。


イエス(天使)はこの二つの意味を込めて、両方解釈できるようにこの言葉を言ったのである。