3年半、1260日の謎解きの答えはダニエル書第12章にあった | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

さて、前のスレでこう書いた。


>このように、聖書のあちこちに表現は違っても、何回も3年半=1260日という同じ期間が出てくるので、これはよほど重要なキーワードだと思われる


また、こうも書いた。


>預言とは、「不幸な未来を幸福な未来へと変更させる為の天使からの忠告、警告」である。
だから、事前に解明されてこそ意味がある。
事が起きてから解明されても手遅れである。


>だから、重要な預言というものは、必ず、事前に、時が来れば(しかるべき者によって)解明されて公表されるものだ。
そうなっている。
いや、天使がそうする。
そうする計画になっている。


そもそも、この
「3年半=1260日、という期間はいつを指しているのだろうか?
いつ起きるのだろうか?
いつ始まるのだろうか?」
という疑問がある。
これが解明されなければ預言としての意味がない。

預言というのは、

キーワードを結んで繋げていけば自然と解明されるように作成されている。

それで、他の箇所で、この「三日半、週の半ば、ひと時とふた時と半時、3年半、1260日」
と書かれてある記述を探してみる。
その中のどこかに答えが隠されているはずだ。
と思って探すと、旧約聖書の中のダニエル書という預言書の最終章にその答えが書かれてあった。


12:1その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
12:2また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
12:3賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。
12:4ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。
12:5そこで、われダニエルが見ていると、ほかにまたふたりの者があって、ひとりは川のこなたの岸に、ひとりは川のかなたの岸に立っていた。
12:6わたしは、かの亜麻布を着て川の水の上にいる人にむかって言った、「この異常なできごとは、いつになって終るでしょうか」と。
12:7かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かって、その右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、わたしは聞いた。
12:8わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。わたしは言った、「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。
12:9彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。
12:10多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。
12:11常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。
12:12待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。
12:13しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」。
(ダニエル書)


この12-7に「ひと時とふた時と半時」という言葉がある。
ここにこのキーワードがあるということは、
「ここか、この付近にこの謎を解くヒントか答えがありますよ」
というサインである。
 
>12:4ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。

>12:9彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。


「この言葉、この預言の真意は終末の時まで秘密にされて封じられる」

とは、逆に言えば、

「終末の時になれば、この預言の真意は解明されて公開される」という意味だ。


>12:5そこで、われダニエルが見ていると、ほかにまたふたりの者があって、ひとりは川のこなたの岸に、ひとりは川のかなたの岸に立っていた。

ここに「二人の者」とあるが、これは黙示録11章の「二人の証人」と関係していると思える。
しかし、ダニエル書では、もう一人、「川の水の上にいる人」という人もいるから合計3人の人がいることになる。
「川の水の上にいる人」というのも普通ではないから、これは幻である。
合計3人の人というと、創世記でアブラハムの前に現れた「主と二人の御使い」と、
ヨシュア記のヨシュアと二人の斥候、と関連しているようだ。


また、預言では、「川、水の流れ」とは時空の流れ、の暗喩、象徴である。
そして、この川をヨルダン川と考えると、ヨルダン川は約束の地=カナンの地(地球の暗喩)の境界を流れる川だから、

>ほかにまたふたりの者があって、ひとりは川のこなたの岸に、ひとりは川のかなたの岸に立っていた。


これは、「一人は宇宙にいて、もう一人は地球にいる」とも解釈できる。

この場合、川のかなたの岸=川の対岸=宇宙にいる人は、役目を終えて昇天し帰還したノストラダムスか、イエス(ヨシュア)を暗示している、とも考えられる。
そうすると、(終末において)もう一人は地球にいる、と考えられる。


このように、ダニエル書12章には「二人の証人と1260日」が出てくるので、黙示録11章とリンクしていて、黙示録の記述の謎を解く鍵が隠されている箇所だと思われる。
では、それはどこに隠されているのだろうか?


この章の最後に千二百九十日 と千三百三十五日という二つの日にちが出てくる。
漢字だと解りにくいので算用数字で書くと、1290日と1335日である。
これは、3年半=1260日と非常に近いが少し違う。
特に1290日とは僅か30日の差だ。
この30日の差に何か意味を見出そうとする聖書研究家もいる。
だが、1260日と1290日という数字を見比べると、ある事に気がつく。
それは、これら二つの数字の違いは十の位が6と9になっている、ということだ。
そして、カバラーにおいては、「6と9は上下ひっくり返した数字なので交換出来る、置換できる」
とされている。
ノストラダムスもこのトリックをよく使っていた。
そうすると、「1260日と1290日は置換できる、同じである」
と考えられる。
そして、問題は、


>12:11常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。

この中の「荒す憎むべきものが立てられる時から」という表現だが、「荒す憎むべきもの」とは、獣=反キリスト=サタンである。
獣というと黙示録の次の記述が思い浮かぶ。


13:15それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
13:16また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
13:17この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
13:18ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
(ヨハネの黙示録)


ここに、「獣の数字は六百六十六=666である」と書かれてある。
それでは、「荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。」
の 「荒す憎むべきものが立てられる時」を666に置換してみよう。
すると、
「666から、1290日が定められている。」
となるが、1日は1年に置換できたので、これは、更に
「666から1290年が定められている」
となる。
そうすると、


666+1290=1956
1956年という年が導き出される。

また、


>12:12待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。


の起点も同じ666年だと考えると、これは、
666+1335=2001
2001年が導き出される。
そうすると、


>12:11常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。
12:12待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。


とは、


「666年から1290年後の1956年という年が定められている。
待っていて2001年に至る者は幸いである」

と置換できる。

2001年というのは、21世紀が始まる年である。
そして、西暦というのはイエスの生誕を基準として定められた年号であり、天使がリセットした年号だから、これにも意味がある、と考えられる。

更に、最後の、


>12:13しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」。


という文なのだが、これは、「ダニエルの復活、再生=生まれ変わり」を仄めかしているように思える。
つまり、
「ダニエルはこの生涯を終えて休息に入るが、定められた終末の時に甦って、自分の分を受ける。
ダニエルは自ら言葉(預言の真意)を封印したが、再生してその封印を解く。」
と解釈出来る。


つまり、黙示録とダニエル書のあちこちに書かれてある
「三日半、週の半ば、ひと時とふた時と半時、3年半、1260日」
というのは、「未来に起きるはずの3年半という期間に渡る艱難期」
を指しているのではなく、
666+1290=1956
と計算される1956年という年(時点)を表していた、と解釈できる。


これは、ダニエルが復活する年を示している、
とも解釈できるのだが。