ソドム滅亡とエリコ攻略の類似性、救済されるためのヒント | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

ソドム滅亡の話、ロトのソドム脱出の話は、「期限までに天使を受け入れなかった場合の地球人の末路と義人救出=掲挙」の予型、モデルケース、伏線として非常に重要な話である。

勿論これは史実=歴史的事実ではなく、天使のつくり話、創作的預言である。
だが、旧約聖書には、もうひとつ、これと同様な話、全く類似した話がある。
それは、ヨシュア記の第2章と第6章の「エリコ攻略」の話である。


これは、私の前作、「ノストラダムスは知っていた」1999年徳間書店刊
で詳しく解説したので、詳細はこの本を読んでいただきたい。


このエリコ攻略の話の内容が「ソドム滅亡の話、ロトのソドム脱出の話」
と全く同じなのである。


ただ、多少設定の違いはある。
ソドム滅亡の話では、主(神、創造主)が二人の御使い(天使?)をソドムに派遣して調査させた、というのが、
エリコ攻略では、ヨシュアが二人の若者を斥候(スパイ)としてエリコに潜入させて調査させた、となっている。


そして、ヨシュアというのは、イエスの予型であり、ヨシュアのエリコ攻略というのは、イエス率いる天使軍団の地球奪回の予型である。


そして、ソドムとエリコの話というのは細部までかなり一致している。
例えば、前のスレで、
「二人の御使いがロトに対して、主がソドムを滅ぼすから身内の者に知らせて、ソドムから脱出しなさい」と忠告したところも、ヨシュア記では、


6:22その時ヨシュアは、この地を探ったふたりの人に言った、「あの遊女の家にはいって、その女と彼女に属するすべてのものを連れ出し、彼女に誓ったようにしなさい」。
6:23斥候となったその若い人たちははいって、ラハブとその父母、兄弟、そのほか彼女に属するすべてのものを連れ出し、その親族をみな連れ出して、イスラエルの宿営の外に置いた。
6:24そして火で町とその中のすべてのものを焼いた。ただ、銀と金、青銅と鉄の器は、主の家の倉に納めた。
6:25しかし、遊女ラハブとその父の家の一族と彼女に属するすべてのものとは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブは今日までイスラエルのうちに住んでいる。これはヨシュアがエリコを探らせるためにつかわした使者たちをかくまったためである。
(ヨシュア記)


となっていて、やはりラハブだけでなく、その一族全員を助けている。
そして、ヨシュアがラハブ一族を助けた理由も、


>これはヨシュアがエリコを探らせるためにつかわした使者たちをかくまったためである。


つまり、ラハブは「ヨシュアが派遣した二人の斥候をかくまい、助けたから」、ということでロトが助かった理由と同じである。
ただ、ロトの場合は、一晩の話だが、エリコのラハブの場合は、初めにラハブが二人の斥候をかくまってからエリコ陥落まで10日間の間がある、という違いはあるが、話の本質は驚く程類似している。


さて、この二つの話での重要なこと、ポイントというのは、


救済された者(義人=ロトとラハブ)が救済された理由というのが、いずれも、
「主(神、ヨシュア=イエス)から派遣された二人の使者を助けたから」

ということだ。
これは、「住人(地球人)の常識からみて良い人、立派な人、善人が救済される」、というのとは根本的に違う、ということだ。


ここに「どうしたら救済されるか?
どうやったら掲挙に預かれるのだろうか」
というヒント、答えが書かれてある。


ソドムの住人もエリコの住人も、二人の使者に対して酷いことをしようとした。
ソドムの場合は、


19:4ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、
19:5ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。
(創世記)


「われわれは彼らを知るであろう」とは姦淫する、性的に襲う、という意味だ。
そして、ヨシュア記の場合は、


2:1ヌンの子ヨシュアは、シッテムから、ひそかにふたりの斥候をつかわして彼らに言った、「行って、その地、特にエリコを探りなさい」。彼らは行って、名をラハブという遊女の家にはいり、そこに泊まったが、
2:2エリコの王に、「イスラエルの人々のうちの数名の者が今夜この地を探るために、はいってきました」と言う者があったので、
2:3エリコの王は人をやってラハブに言った、「あなたの所にきて、あなたの家にはいった人々をここへ出しなさい。彼らはこの国のすべてを探るためにきたのです」。
(ヨシュア記)


となっている。
エリコの王は二人の斥候を捕らえようとしたのである。


それに対して、ロトもラハブも、危険を顧みずに二人の使者をかくまい、助けようとした。
この行為が義と認められて救済されたのである。
ここに救済のヒントがある。
つまり、救済される為には、ロトとラハブを見習い、この二人と同じ行動を取らなければならない、ということだ。