マリッジブルー 解消|症状から解決法まで 破談や婚約破棄になる前に 結婚の不安や悩みに対応 -5ページ目

マリッジブルー 解消|症状から解決法まで 破談や婚約破棄になる前に 結婚の不安や悩みに対応

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NHKの番組で、新型うつと呼ばれるうつ病が増えていることが取り上げられていました。


この新型うつの特徴は、会社などへは行けなくなるものの、友達と会ったり旅行したりすることは普通にできるというもの。


企業側からすると、病気と診断されて休職している間に、レジャーを楽しんでいるのは違和感がある、というわけです。


それで、休職中は病気療養に専念すること、という就業規則を作るところもあるほどだとか。



番組の議論に参加した人の多くは、社会や周りの理解が重要だとして、そういう人との共存を模索することを周囲に求める意見でした。


一方で、そういう人達が他の人に負担を強いていることを忘れるべきでない、という意見も。



これを見ていて私は、いずれ会社というものはなくなると言った神田昌典氏や、トム・ピーターズ氏の主張は正しいなと思いました。


会社という組織は、相互に支えあうことで成り立ちますが、おんぶにだっこの人の割合が増えたら、いずれ成り立たなくなるでしょう。


うつ病患者が邪魔だと言っているのではありません。うつ病患者を、腫れ物にさわるようにして扱う考え方が、危ないと言っているのです。


彼らを特別視すると、そこに権利意識が生まれます。自分たちは特別に扱われて当然だという考え。それが、周りの人の負担をさらに増加させます。


いずれ組織が耐えられなくなり、疲弊するのは必定でしょう。



それにそんなことで、本当にうつ病がなくなるでしょうか?


むしろここは、本音で生きる方向に舵を切ることが重要ではないでしょうか。


組織に馴染めないなら、組織に所属しなければ良いだけではありませんか。組織に所属せずに、自分を生かす方法を模索すること。それによって、道が開かれると思うのです。



組織を守ろうとして人を殺してしまったら、それこそ本末転倒でしょう。


組織は、それに所属したい人だけが所属すれば良いのです。


問題なのは、組織に所属しないのは落伍者だと、烙印を押して疎外する考え方にあります。


組織人として生きる生き方もあれば、組織に所属しない生き方もある。どちらが正しくて、どちらが間違いというものではない。そう考えれば良いのです。




この組織を、家族と置き換えてみてください。家族と企業は違うという人がいるかもしれませんが、私は必ずしもそうとは思いません。


家族には、心の絆という面もある一方で、生活を共同して行う機能集団としての一面もあります。


その家族を形成する発端が、結婚だと思います。



「入社した以上、会社の規則にしたがってもらう。」

「結婚した以上、夫として(妻として)果たすべき役割りがあるだろう。」



うつ病と診断される人は、企業という組織ばかりでなく、家族という組織でもうまくいかなくなるケースが多いでしょう。


それは、認めてもらえないことが、即、自分への攻撃と感じるからです。


何らかの役割を押し付けられることは、特にうつの人にとって負担と感じるでしょう。



本来組織とは、自分の力を発揮する場だと思います。


でもそのように積極的に捉えることができず、むしろ自分を抑圧するものと考えてしまうのが、うつ病の人です。


その考え方を変えない限り、組織には馴染めません。馴染めないのなら、無理に馴染ませる必要はないでしょう。


重要なのは組織に馴染ませることではなく、その人がその人らしく生きることだと思うからです。



組織に所属しない生き方もある。所属したくなったら、いつでも所属できる。いつ考え方を変えるかは、その人の自由。


このように考えれば、うつ病の人も、その周囲の人も、気持ちが楽になるのではないでしょうか。

「つい魔が差してしまって...」


万引きをしたときの犯人の心理として、こういうものがあります。


他にも、満員電車内での痴漢行為や、酔った勢いで性的な関係を結んでしまったときも。



「よく知ってますねえ。」と怪しまれそうですが、実は私も、そういう魔が差しそうになったことは何度もあります。


だから私自身、いつ犯罪者になっても不思議ではないなという気持ちはありました。



こういう魔が差しやすい時というのは、不満だとかストレスを抱えていることが多いです。


長時間のすし詰め通勤は、それだけで大変なストレスです。


目の前に素敵な(無抵抗そうな)女性がいて、ちょっと手を動かせば触れそうな状況になると...。


「こんなすぐ近くにくっついてくるこいつが悪いんだ。」


「こんな非人間的な通勤を強いる社会や会社が悪いんだ。」


まあ、そんな風に他者や環境のせいにして、自分が欲望に負けてしまうことを正当化しそうです。



映画では、修行した高層でさえ、女の巧みな誘いに落ちて、破戒僧になってしまうというシーンがあります。


もしそうだとしたら、軟弱な自分が誘いを拒否できなくても当然じゃないか。そういう言い訳もできますよね。



いずれも、単に思い違いなのです。


「殺してはならない」「盗んではならない」「犯してはならない」などと戒律がありますが、守り難いものを守らなければならない義務のように思うから、守ることが難しくなるのです。


「守るべきもの」ではなく、「守りたいもの」にすれば良いのです。



たとえばあなたは、何もないときに出会った人を殺したいですか?


まあ普通は、殺したくなどないでしょう。


誰も、敢えて殺したくなどないのです。誰かが不幸になることを知っていて、敢えてそうしたいとは思わないのです。


でも何かが狂うと、ついそうしたいと願う気持ちが出てくる。


それをストレスが原因だと言って、他者や環境のせいにしているから、いつまでたっても変わらないのですよ。



もうそろそろ、無駄な抵抗をするのをやめませんか?


他者や環境を変えようとすることは、無駄な抵抗です。


ストレスの原因は、他者や環境ではなく、自分自身の考え方なのだと気づいても良いのではありませんか?



もしその考え方を受け入れるなら、今すぐ、この場で、あなたはストレスを解放し、幸せな気分に浸ることが可能です。



誰かを恨み続ける自分が好きなら、いつまでもそうしていればよいのです。


飽きるまで人生は付き合ってくれるでしょう。


でももし、そういう生き方に飽きたなら、思い切って他の考え方をしてみましょう。


どんな生き方を選択するかは、あなたの自由なのです。