「つい魔が差してしまって...」
万引きをしたときの犯人の心理として、こういうものがあります。
他にも、満員電車内での痴漢行為や、酔った勢いで性的な関係を結んでしまったときも。
「よく知ってますねえ。」と怪しまれそうですが、実は私も、そういう魔が差しそうになったことは何度もあります。
だから私自身、いつ犯罪者になっても不思議ではないなという気持ちはありました。
こういう魔が差しやすい時というのは、不満だとかストレスを抱えていることが多いです。
長時間のすし詰め通勤は、それだけで大変なストレスです。
目の前に素敵な(無抵抗そうな)女性がいて、ちょっと手を動かせば触れそうな状況になると...。
「こんなすぐ近くにくっついてくるこいつが悪いんだ。」
「こんな非人間的な通勤を強いる社会や会社が悪いんだ。」
まあ、そんな風に他者や環境のせいにして、自分が欲望に負けてしまうことを正当化しそうです。
映画では、修行した高層でさえ、女の巧みな誘いに落ちて、破戒僧になってしまうというシーンがあります。
もしそうだとしたら、軟弱な自分が誘いを拒否できなくても当然じゃないか。そういう言い訳もできますよね。
いずれも、単に思い違いなのです。
「殺してはならない」「盗んではならない」「犯してはならない」などと戒律がありますが、守り難いものを守らなければならない義務のように思うから、守ることが難しくなるのです。
「守るべきもの」ではなく、「守りたいもの」にすれば良いのです。
たとえばあなたは、何もないときに出会った人を殺したいですか?
まあ普通は、殺したくなどないでしょう。
誰も、敢えて殺したくなどないのです。誰かが不幸になることを知っていて、敢えてそうしたいとは思わないのです。
でも何かが狂うと、ついそうしたいと願う気持ちが出てくる。
それをストレスが原因だと言って、他者や環境のせいにしているから、いつまでたっても変わらないのですよ。
もうそろそろ、無駄な抵抗をするのをやめませんか?
他者や環境を変えようとすることは、無駄な抵抗です。
ストレスの原因は、他者や環境ではなく、自分自身の考え方なのだと気づいても良いのではありませんか?
もしその考え方を受け入れるなら、今すぐ、この場で、あなたはストレスを解放し、幸せな気分に浸ることが可能です。
誰かを恨み続ける自分が好きなら、いつまでもそうしていればよいのです。
飽きるまで人生は付き合ってくれるでしょう。
でももし、そういう生き方に飽きたなら、思い切って他の考え方をしてみましょう。
どんな生き方を選択するかは、あなたの自由なのです。