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ピースベリージャム50号記念号発行

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PEACEBERRY JAM(研究会通信)50号


 目 次
「裁判員制度は本当に必要か」宮本弘典講演
ピースベリージャム50号特集「50号にあたり思うこと」
防衛省行動/研究会活動/事務局から


国連・憲法問題研究会発行

2009年6月1日

 
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【報告】裁判員制度は本当に必要か?宮本弘典さん講演会

【報告】裁判員制度は本当に必要か?
「司法改革」への疑問
宮本弘典さん講演会


4月10日、講演会「裁判員制度は本当に必要か?-「司法改革」への疑問」を文京シビックセンターで行いました。講師は宮本弘典さん(関東学院大学教員、刑法・刑法史)。
宮本さんは、5月21日から開始されようとしている裁判員制度を刑事裁判の実態から検証。「密室司法・人質司法」の刑事司法をよくする点はないと批判しました。


宮本弘典さんの講演(要旨)


 司法制度改革は目玉の一つは裁判員制度。もう一つは法科大学院。「改革」の理由の一つはアメリカからの司法マーケット開放要求の外圧。もう一つはグローバル化に対応した迅速な司法を求める財界からの圧力。
 戦前日本の陪審制度は廃止されていない。総力戦で陪審に携わらせている暇がないということで時局を理由に中断された。
 裁判員制度とはどういうものか。権利・自由という原理的な問題について判断をするのが裁判。その裁判に多数決、優勝劣敗原理を持ち込むのが裁判員制度。
 そもそも、裁判員制度に関する全国タウンミーティングはやらせ。「裁判員制度はすばらしい、私もやってみたい」と発言したのは日当もらって来ていた人たちだった。これが裁判員制度の性質をものの見事に示している。裁判員制度は市民が「裁判官と同等な資格」を持って、「冷たい専門家的思考で裁かれていた裁判に健全な国民的常識を導入していく」と。裁判員制度では「健全な国民はこういう意見で一致するはずだ」と動員される。このことをタウンミーティングは予言していた。


裁判員=市民に権力忠誠義務


裁判員裁判でどうなるか。今の合議制裁判では裁判官3人。裁判員制度導入の時、本質的議論はなしに人数だけが問題とされ、公明党の意見が反映されて、裁判官の倍で裁判員6人となった。
 司法制度改革審議会では、裁判員導入は「この国の形を再構築する一連の諸改革の最後の要として位置づける」。「統治主体意識を有する国民の健全な常識」に基づく裁判が動機とされている。
 過不足なく、不当な力に制限されることなく実現されているか。私たちの自由・自律権が実現されているのかで、統治主体意識が正しく反映される政治・社会・裁判になっているのかが計られる。そういうテストを受けていない統治主体意識などありえない。
 現存の社会秩序に同調する国民の声を動員する場として刑事裁判を再構成しようという支配権力側の意図が読み取れる。

 そもそも市民の常識を裁判に反映させようというのなら、無年金障害者訴訟やダム建設差止め、再審請求事件など国家の側が訴えられる側になったときに「統治主体意識を有する国民の健全な常識」が反映される。
 ところが、現在の社会は、裁判員裁判が対象とする殺人事件などで被害者意識にシンクロして「犯人」=敵とする。
 刑事裁判で一番問題なのは窃盗などの経済犯罪。その国の経済・雇用政策がうまくいっているかどうかの社会闘争だと言える。ところが、交通事犯を除いて刑事事件の七〇%を占める窃盗事件は除外し、死刑・無期事件ないし致死事件を対象としている。これ自体が制度の政治的なセレクションを反映する。
 裁判員の職責は、公判に出席する。評議を行って、判決の言い渡しをする。裁判員は公務員と同様、守秘義務違反に刑罰が科される。問題は、裁判長の訴訟指揮や被告が意見を言えたかどうか疑問だなどという感想を、一般論という形でも裁判員としての経験に基づいて語ったら、守秘義務違反になる可能性がある。ここが問題。

 裁判員制度は関わった者による裁判批判の封殺としても機能する。なぜかというと、裁判は公開なので、どの被告にどのような刑罰が科されたかは公開されている。検察とは圧倒的な情報格差があるので、裁判員だから知りえた被告・証人の個人情報などない。
 だから、これは公務員の政治活動禁止に代表される権力忠誠義務を裁判員にも課すもの。天皇制国家の刑事法制の復活だ。

格差社会で裁判員になれるのは?

 裁判員対象事件は、05年の全国地裁第一審刑事事件11万1724件中3629件。東京では487件。1件あたり、裁判員6人と補充。東京では年間2~3万人が裁判所に呼び出される。その内、4000人程度が実際の裁判に携わる。
 争点整理手続きをやったとしても、和歌山カレー事件の例から考えると、連日開廷して7日から10日かかる。休暇が保証される企業に勤めていないと裁判員は務まらない。日本経済を支えていると称しながら、法人税をほとんど払っていないトヨタ、キャノン、日立などの大企業の正社員に限定される。ここに格差社会の影の部分が出てくる。
 秋葉原事件で、非正規労働者や新自由主義政策に問題があると主張する人が裁判員の過半数を占める事態はおよそ考えられない。裁判員選任の過程で、現存の政治秩序に基づくセレクションが働く。
 市民集会で一番多い質問は「裁判員裁判になったら死刑が増えますか?」。判りません。死刑が増えるかどうかと裁判員裁判は関係ない。
 死刑と無期をどこで分かつか。百年の生涯と一秒の幸福な生涯を比較することはできない。無期から死刑に変わったときに、量的な測定から質的な決断論に変わっている。被害者の人数や被告の更正の可能性などの判断を積み上げたところで、無期と死刑が分かつ明確なターニングポイントはない。量刑相場は裁判官の直感。
 裁判員を導入することによって、国連から「精密司法」と呼ばれている有罪率九九%超が緩和されるのか。刑事裁判本来の目的である無実の発見が増えるのか。日本の刑事司法がはらんでいる誤判の構造、人身の自由への攻撃的な構造が改善されるのか。この点は絶望的だ。
 「日本の刑事裁判は絶望的状況」と平野竜一(元東大総長)は言っている。平野は法務省の言い分を基礎付ける御用学者。その彼さえ、人身の自由を保障しない刑事司法の問題点を認めている。
 国連人権員会から度重なる改善勧告・懸念が発せられている。自白採取を中心とする捜査への改善勧告。有罪判決の多くが自白を唯一の根拠としていることへの是正勧告。九九年、人権委員会の勧告の最後は傑作。検察官、裁判官に対する持続的効果的な人権研修を実施せよと勧告した。
 先進国で二十何点も刑事司法についても改善勧告されている国はない。かなりひどい米国も、日本に比べれば天国。アブグレイブ、グアンタナモは刑事司法の外側のできごと。日本では、同じことが刑事司法の内部で行われている。


国策捜査・国策裁判


 実際にあからさまな国策捜査・国策裁判が行われている。立川テント村事件では、集合ポストに自衛隊派兵に反対するビラをポスティングして罰金刑が確定した。そのために75日間も勾留された。
 大企業にとって目障りになっている労働組合の幹部に対する身柄拘束も日常的に行われている。逮捕罪名は大体が文書偽造。例えば、左官屋、大工などは家族だけの有限会社を作っている零細業者が多い。彼らが組合を作って、鹿島や西松建設などのダンピングに対抗して手抜き工事をしないでがんばる。
 彼らをつぶすために、日本の警察・検察は何をしているか。左官屋の奥さんが有限会社役員として社会保険に加入している。これを勤務実態がないとして、公正証書原本不実記載で逮捕される。そして、否認すると出してもらえない。その間仕事はできない。

 逮捕されると、大体ガサ入れ=家宅捜査がある。出勤登校時間の午前7時半から8時ごろ開始が多い。押収といってもパソコン1台くらいが多いが、早朝から警察車両を出して大々的に捜索する。近所にこのお宅何があったのかしらと思わせる効果を狙っている。
 こういう形で国策捜査・国策裁判が行われる。現行刑事訴訟法でも認められないと考えるが、裁判所が認めていて刑事実務として行われている。国連が即刻やめろといっていることが、企業レベルでの経済活動の円滑な遂行の邪魔になる労組をつぶすために、現に行われている。
 あるいは事務所で寝泊りしたら、事務所で契約したのに住居として使用していると文書偽造で逮捕・ガサ入れされる。さすがに、こういう事件は検察も起訴はしないが、社会的メッセージとしては十分。様々な労働組合、市民運動がこうした形で狙い撃ちされる。
 報道では、この社会の常識に反する人=「我々の敵の予備軍」がいる。その人たちを裁くための裁判員だと。そういう常識作りが日常的に進行している。


密室司法・人質司法を正当化する「市民参加」


 日本の刑事実務で身柄拘束期間は実に長い。例えば、ドラマの刑事コロンボが逮捕して「さあ行きましょう」と容疑者に言う。どこに行くかというと裁判所。釈放すると逃亡ないし証拠隠滅の恐れがあると、起訴までの身柄拘束の許可を裁判所で取る。そして裁判所と同じ建物にある拘置所に勾留される。警察は拘置所に面会に行って取調し、面会記録が残る。何時間取調したかは、それで判る。

 日本だと警察署で勾留される。だから、冤罪事件では「早朝から深夜までの連日の取調」が問題となる。日本は代用監獄だから可能で外部の監視も記録もない。これが「密室司法」。欧米の警察署の留置所は酒・薬物の中毒者を一時保護するためで、容疑者を勾留することはできない。容疑者を勾留したら、裁判所から直ぐに釈放命令が出る。それほど、日本の刑事司法は国際的に非常識なことをしている。
 日本では裁判所の勾留決定が出ても、警察留置所=代用監獄で勾留する。否認していると大概そうなる。しかも、保釈されない。本来、身柄拘束は逃亡・証拠隠滅があるとき。なければ釈放していい。だが、否認している間は出してくれない。

 こういう刑事裁判のあり方が是正されるかどうかが一番の問題。
 裁判員の調査票にうそを書くとやはり文書犯罪になる。書かなくてもそうなる。死刑に反対や警察を信用してない人は「統治主体意識を有する国民の健全な常識」を持っていないとなるのか。
 我々の権利状態が保障される社会の運営の仕方をしているのか。社会で少数、あるいは語りえない人たちに意見を汲んでいるかで決せられるべきもの。最初から少数者を排除した裁判がまともであるはずない。
 裁判員制度は問題があるが、市民が引き受けて完成させるべきだと寝言を言う私の同業者もいる。とんでもない話だ。これは政策ではなく理念の問題。


裁判員裁判による改善はゼロ


 争点整理は、既に一部の裁判で行われている。日本の刑事裁判は、裁判初日には起訴状しか受け取っていないという状態から始めるのが鉄則。そうでなければ裁判官の予断が形成される。
 ところが、裁判前の争点整理で原則が破られる。検察証拠の開示制度が未だにない。元々、圧倒的な情報格差の下で裁判官・検察官・弁護人が協議する。ここで被告人が黙秘すると、被告人は何も争わない意思表明だと扱われる。黙秘権の骨抜きだ。
 弁護士の多くが言うように、刑事裁判は全ての検察証拠を見て、ようやく事件の全体像がわかる。事前争点整理によって有効な弁護活動ができなくなる。

 争点整理は裁判員のために時間を短縮すると導入される。ところが、07年から導入されているのを見ると従前の裁判の2.5倍に長くなっている。
 争点整理の後、アリバイが見つかっても、新証拠は提出できない。しかも、証拠の目的外使用は刑罰で禁止される。政治事件・公安事件で、証拠を支援者・ジャーナリストに見せて社会に訴えることを禁止する手を周到に打っている。
 この事前争点整理に裁判員は参加しない。彼らに出されるのはアラカルトではなくコースメニュー。メニュー(証拠)を選ぶことはできず、有罪か無罪だけかを判断する。
 裁判の事実認定とは、事実かどうかではなく、検察官の主張が十分説得力を持っているかどうかの判断。裁判官は法解釈のプロだが、事実認定・価値判断のプロではない。

 米英の陪審制度では自白調書を証拠として提出できない。松本智津夫事件の自白調書は二万数千頁。素人の裁判員が裁判官と同じく調書を読まなければいけない。自白が有力証拠である限り、密室司法・人質司法の問題は解決されない。
 裁判員裁判が現在の刑事裁判の問題点を改善するのか?答えは、改善点は全くない。今の刑事裁判の本質が変わらないならば、裁判員裁判は裁判を権利擁護の場ではなく、敵を裁く場として市民間の分断をもたらす。「市民の参加」の美名の下に、人権抑圧的な刑事裁判の実態を正当化する裁判員制度構築を認めてはならない。

/16貧困と監獄~厳罰化を生む「すべり台社会」

日時:2009年5月16日(土)午後1時30分~午後4時30分
場所:明治大学リバティタワー1階 1011教室
   (御茶ノ水駅、神保町駅徒歩5分)

パネリスト:
○湯浅誠さん(反貧困ネットワーク事務局長 派遣村村長)
○浜井浩一さん(龍谷大学教授 刑事政策、犯罪学、統計学)
○森千香子さん(南山大学准教授 都市社会学)
○菊池恵介さん(東京経済大学ほか非常勤講師 哲学・思想史)
コーディネーター:海渡雄一(監獄人権センター副代表)

主催:監獄人権センター/アムネスティ・インターナショナル日本
参加費用:800円

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新自由主義がもたらした社会的不安が厳罰化政策の根源

アメリカには現在200万人を超える受刑者がいます。経済のグローバル化・労働市場の規制緩和を推し進め、福祉国家を解体してきた新自由主義改革は新たな貧困層を生み出し、中間層には深刻な社会的不安感を与えています。罪を犯した人々を私たちの仲間と見て、その社会への復帰を社会全体の課題とみるのではなく、「私たち」とは根本的に異なる存在として社会から隔離してしまう厳罰化政策がアメリカ発で世界に広められています。ここ日本においても、深刻な犯罪は減少しているのに、重罰化の進展によって過剰拘禁が起きています。

貧困の現場から見えてくる雇用破壊、福祉の貧困と弱者に対する厳罰化

2008年6月に起こった秋葉原の無差別殺傷事件では、背景にある「残酷な派遣労働」が注目されました。これが貧困と社会的な排除を原因とする犯罪なのであれば、厳しく罰するだけではこのような犯罪をなくすことはできないでしょう。社会的には福祉政策の充実が、罪を犯した人に対しては人としての誇りと自信を回復し、社会に復帰できる力を与えるような処遇が必要とされているのではないでしょうか。