また映画のことを | 「灯りと温もり」の雑記帳

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平成29年元日に、ブログタイトルを「アメカジおやじの雑記帳」から「『灯りと温もり』の雑記帳」に変えました。

 

今年の最後に劇場で観る映画はリドリー・スコット監督の『ナポレオン』かな‥‥などと考えていたのですが、“検討使” のままでいたら、私が行くシネコンでは公開が終了したようです。

私にとっての「ナポレオン映画」は中学か高校の頃(50年以上前)に観た、ロッド・スタイガーさん主演の『ワーテルロー』でした。

それで『ナポレオン』の鑑賞を考えていた時に、随分前に購入した『ワーテルロー』のDVDを引っ張り出し、Chapterで飛ばしながらテキトーに観ただけで『ナポレオン』までも観た気になってしまいました。

 

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今年はもう劇場で映画を観ないだろうから、私の今年最後の劇場鑑賞は『ゴジラ -1.0』で、これは私が観た今年最高の作品でもあります。

この映画は極めて高い評価を受けて興行成績も群を抜いて高く、この現象は海外でも同様で、アメリカでは公開されるや忽ち日本の実写映画で歴代1位になりましたし、アカデミー賞の視覚効果賞にノミネートされたそうな。日本は今回アカデミー賞を取っておかなければ、次年度からはポリコレ基準がありますから。

また、アメリカより少し遅れて公開されたイギリスやブラジルでも絶好調だそうです。でも何故か日本のメディアはこれらの事実をほとんど報じない‥‥という指摘がSNSで散見されます。

『ゴジラ -1.0』より少し後にアメリカで公開された宮崎 駿監督の『少年と鷺』(君たちはどう生きるか)も興行成績で『ゴジラ -1.0』に次ぐ2位になったのですが、平素ならメディアはジブリ作品の海外での好調を嬉々として伝える筈なのに、これにもほとんど触れていない(私にはそう感じます)のは、それを紹介するには『ゴジラ -1.0』の好調にも触れなければならないからかな。左巻きメディアと親和性ある(?)宮崎監督の作品の好調を伏せてでも『ゴジラ -1.0』の快進撃を黙殺したいのか。『ゴジラ -1.0』には “アッチ系” の人達に都合の悪いものがありますから。

 

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加えて『ゴジラ -1.0』の山崎 貴監督が、百田尚樹さん原作の映画『永遠の0』を撮った事実と、『ゴジラ -1.0』の内容自体も『永遠の0』を想起させるから、と云う “百田 嫌い” を理由にメディアは黙殺しているのか?

 

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まあ、このところ自民党の醜聞や宝塚と日大の事件、大谷選手と山本投手のドジャース入りなどの他にも紙面や放送時間枠を埋めるネタがあったから、ゴジラやジブリどころじゃないのなら、まだいいのですけど。

 

公開されて一ヶ月半以上経つので、少しだけ内容に触れます。

この『ゴジラ -1.0』が高い評価を得た要因は幾つかありますが、大きくは先ずゴジラが本来の恐ろしい生き物だという原点に還ったことが挙げられると思います。

この恐さは嘗ての着ぐるみ、所謂 “ゴジラスーツ” では描けなかったと思います。第1作目の『ゴジラ』はモノクロ作品だったことから、「着ぐるみ感」を抑えられたと思いますが、後のカラー作品ではゴジラの動きに人間っぽさがどうしても出ていたから、“恐怖感” を醸し出すのは限界があるのだろうし、一時期の円谷プロが迷走を感じさせたのは、ゴジラに「シェー!」をさせたり、ゴジラの子供を可愛らしく登場させたりしていたからでしょうか? 

無論、当時は子供だった私たちの世代はそれらを受け入れて楽しんでいましたし、ゴジラスーツの中島春雄さんは伝説になっています。

圧倒的な資金力のハリウッド作品に対して、今回の山崎作品では日本人 “ヲタク” が本領を発揮した精緻なVFX技術で「破壊神」の如き容赦無いゴジラを戦後の東京に出現させ、そんなゴジラを壊滅させる戦いでも、その技術を見せつけてくれました。

 

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(上の本は30年前に出版されたものです)

 

高評価の要因のもうひとつには、子供向けだった怪獣映画に大人も見られる「物語」があり、ちゃんと娯楽作品にもなっているからでしょう。

深い心の傷を抱えた主人公を始め、“死に損ない” らが思いを結集させてゴジラと戦うのは見応えがありました。

あれは日本の降伏直前に対日参戦したソ連から北海道を衛った樋口季一郎 中将の部隊や、インドネシアを再び奪いに来たオランダ軍をインドネシア軍と共に追い返した元日本兵たち‥‥そうした人達の精神や覚悟が重なって見えた思いです。

あの人達は私たちの父や祖父たちの世代で、遠い歴史の話ではないから、この作品で涙する人が多いのでしょう。

 

また過去の山崎作品でもそうでしたが、『ゴジラ -1.0』でも山崎監督は「軍事ヲタク」を思わせるものが多く登場します。幸福の駆逐艦や局地戦闘機などもそうですが、主人公の名前にも現れていました。

本居宣長の和歌から採ったと云う神風特別攻撃隊の四つの隊の名前「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の内、最初に特攻出撃した隊「敷島」を主人公の名前にしたのでしょう。

こういうところも “アッチ系” に嫌われ、こちら側の人たちが膝を打つのだと思います。

 

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(これは鹿児島・知覧の特攻平和会館で購入したもの)

 

 

ところで、『ゴジラ -1.0』に関しては「次回作を思わせる」との声も多いです。

ゴジラは「死なない」のが “お約束” で、嘗てのゴジラ作品にもゴジラの再生能力や、身体を破壊されたゴジラの心臓が鼓動を始めるシーンなどが描かれましたし、ゴジラの細胞と人間の細胞から作られた怪獣も登場しました。『ゴジラ -1.0』が次回作を思わせるのは、そんな “お約束” と、劇中での “黒い雨” なのですね。

ゴジラの復活を示唆するシーンを描く、あるいは完全消滅していないことを描くのは、次にゴジラ作品を撮る人達へのバトンであり、そのバトンを渡すのはゴジラを撮る者の作法だと思うのです。

次回作を撮るのが山崎監督か別の人かは分かりませんが、そのようにして連綿と作られてきた『ゴジラ』が在るのですね。

 

山崎監督は安易に “山崎ゴジラ” の続編に着手されないかも知れないけど、巧みなVFX技術は山崎監督の真骨頂であり、山崎作品の醍醐味ですから、やはり次回作を期待してしまいます。

私は『永遠の0』や『アルキメデスの大戦』『海賊とよばれた男』などの重厚な作品や『DESTINY 鎌倉ものがたり』『GHOSTBOOK おばけずかん』『寄生獣』などのファンタジー作品、そして山崎監督の名を世に知らしめた『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作など、振り返れば山崎作品を結構観ていますので、次回作にも一層期待しますが、来年早々に『ゴジラ -1.0』のモノクロバージョンが公開されるのだそうな。第1作目のモノクロ『ゴジラ』への敬意でしょうか(挑戦かな?)。

 

昨年の『トップガン マーヴェリック』で起きた「追いトップガン」現象のように、『ゴジラ-1.0』でもリピーターが続出していると聞きます。私は本作を一度しか観ていないので、DVDかBDが発売されたらすぐに買って、細部まで何度も観ようと考えています。できればカラー版とモノクロ版との2枚組で発売して欲しいところです。それが良心的な価格なら尚嬉しい。

 

 

何だか纏りの無い内容ですが、最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

事実誤認や誤字、変換ミスがあればご容赦下さい。