長島城 | 定年後の転職流浪者の日々、Swallow’sと城巡り

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昨日は、久しぶりにイオンタウン弥富でショッピング。ショッピング後に県境を越えて長島城跡へ。        

長島城は 1245年頃に藤原道家が館を築いたことが起源とされて、廃城を経て1482年に城は再建された。1570年には一向宗願証寺の住職証意によって城主伊藤氏一族が追放されて一向衆の拠点となり、一向一揆の拠点となっている。

城主の変遷は、長島一向一揆が織田信長によって攻略された後に滝川一益の居城となる。        本能寺の変後の織田家内の覇権争いにより賤ヶ岳の戦いが起きて、柴田勝家側だった滝川一益が凋落すると織田信雄の居城となるが、1586年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けて廃城。織田信勝は清洲城へ移った。                 江戸時代以後は菅沼氏→菅沼氏移封により天領となり長島城は一時廃城となった後に、1649年頃に久松松平家が那須より入り→1702年増山正弥が常陸下館より入り明治維新まで続いた。              

現在は長島小学校・中学校の敷地となって、学校の前に立てられ看板以外には見た目に城跡を感じる遺構は見つけにくいが、近くの城東橋の名が城跡を感じさせる。この橋がかけられた場所に石垣が残っている。また、近くの浄土真宗高田派の蓮聖寺の山門が長島城の大手門が移されている。


イオンタウン前のスタンドで久しぶりに洗車




長島城跡の看板


長島城址看板は中学校の前にあった


隣の小学校の門は城風だった


中学校の前を流れている長島川。奥に城東橋


城東橋の下に石垣が残っている


長島城跡から東に役500mのところにある蓮聖寺の山門。長島城の大手門が移設されたと看板に説明があった。