← 葉室 麟作『柚子の花咲く』(朝日文庫) 「江戸時代中期、瀬戸内海に注ぐ日江川の河岸で、一人の武士の遺骸が見つかった。男は村塾の教師・梶与五郎。身分のへだてなく愛情を注ぐ梶は、教え子たちから厚く慕われていた。(中略)恩師が掴み取った人生の意義とは何だったのか、そして恭平自身が選びとった生き方とは――。魂を揺さぶる感動の長篇時代小説。」

 

 昨日の休日も庭仕事などで疲れ果て、夜は夕食後寝落ち。読みたい気持ちは逸れどミシュレ著の『海』(藤原書店)とカポーティ作の『遠い声 遠い部屋』とを合わせてやっと120頁ほどを読んだだけ。但し、どちらも読みごたえがあるので不満はそれほどない。

 それに下記するように旧稿をアップしたり、創作したりしたし、ブログ日記も昨日今日と書いたから、やるだけのことはやっているのでは。 (12/27 13:52)

 

 

 葉室 麟作の『柚子の花咲く』(朝日文庫)を24日(日)夜半に読了。 入手経路不明。拾った本か。父の蔵書ではない。

 作家名は仄聞はしてたものの作家の作品は初めて。勝手に若手と思ってたがベテラン作家であり故人となっていた。主人公は己れの信念と師と女性への思いを貫く。師の志を引き継いでいく。活劇の場面は出来すぎな気もするが、何事も終わり良ければ全て良し。 (12/24)

 

   昼行燈50「刀葉林の夢」 旧稿を温めた。

 

  昼行燈51「蛸と海女」 創作。

 

 ミシュレ著『海』(藤原書店)を相変わらず読んでる。日に20頁ほどずつ。内容の濃さと独自さに、一気読みは勿体ない。

 本書の圧巻なる章にクジラを巡る迫力ある記述を読む。ふと、メルヴィルは「白鯨」を書いた際に本書を密かに読み浸っていたのではと妄想。…結論から云うと、それはない。本書は1861年の刊、「白鯨」は1851年の作。何れにしてもクジラ(特にマッコウクジラ)は19世紀半ばの海の最大の関心事(食糧や油脂、竜涎香…)。クジラ絡みでついには日本くんだりまで白人がやってきた。 (12/27 10:08)

 こんな本があるなんて。というかミシュレがこんな(やや)妄想的歴史家だったと今頃になって気付くとは。遅かりし。もっと読みたいけど、古本屋でないと入手困難か。 (12/27 13:25)

 

 ← トルーマン・カポーティ/著『遠い声 遠い部屋』(河野一郎/訳 新潮文庫) 「父親を探してアメリカ南部の小さな町を訪れたジョエルを主人公に、近づきつつある大人の世界を予感して怯えるひとりの少年の、屈折した心理と移ろいやすい感情を見事に捉えた半自伝的な処女長編。」

 

 トルーマン・カポーティ作の『遠い声 遠い部屋』(新潮文庫)を河野一郎訳で。村上春樹訳が出ているらしいが、読んでてこの訳で不満はない。中身がいいと訳の瑕疵など気にしない。河野一郎訳でE・ブロンテの『嵐が丘』も繰り返し。

 とにかく、カポーティはすごい作家だ。どんな細部の叙述も作家ならではの表現と観察とある種の狂気。 (12/27 13:43)

 

 さて今日は休日。上掲書を読みたかったが、雑用多々。まず、ホームセンターへ。薪や水2箱、ライターなど。更に数日ぶりにスーパーへ。このところ仕事が忙しく、買い物はコンビニで済ませていた。 (12/26 20:29)

 というか帰宅して外出着のまま外仕事。蔵から木製の板や棒など探しまくる。樽やら木箱やら板やら。祖父の代の(祖父の名入りの)箱などがあった。

 久し振りに蔵に入ってショックなことが。大黒柱じゃないが、太い梁(横に渡した梁)に皹が入っていることに気付いた。

 さて、いよいよ本番の外仕事。カーポートの屋根に吹き溜まった楓の葉や松葉を脚立に昇って手作業で。庭に吹き溜まる落ち葉は掃けば済むが、雨樋などに溜まる落ち葉は手作業しかない(雨樋の清掃はもっと大変。昨年十年ぶりにやった)。さすがにゴムの厚手のグローブだけは嵌めていた。ジャケットなどは水浸しに。(12/26 20:42)

 昨日、ホームセンターへ。過日、その店で消火器を購入した。すると古いのを1台引き取ってくれると。なので15年物(使用済み)を持参した。ようやく古いのが片付いた…。が、なんと蔵に古いのが2つあった(のを蔵での作業時に気付いた)。何十年物やら。やれやれどう片付けるべきか。 (12/27 09:15)