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キッティのブログ

夫と子供3人をのんびり育てていたら、突然の卵巣がん告知(2021.3)⇨2度目の手術で卵巣がんから小腸がんに病名変更(2021.4)
希少がんとのことで、情報集めています!

なんとなくスッキリした気分となり

最後の病院でのシャワーを終え、

ベッドでくつろいでいると、

「外科の先生のお話があります」

と看護師さんに呼ばれました。



なんとなく、第六感的な

『ハッ怖い』

と感じました。

もちろん夫はもう帰っています。



外科の先生は今回の手術で狭窄した小腸を

取ってくれた先生。

何回か顔も合わせているのでまずは落ち着いて

話を聞きました。



「小腸がんは珍しく、決まったガイドラインが

 ないから、大腸がんの抗がん剤を使っていく

 ことになると思うけど、

 がんセンターなどにセカンドオピニオンに

 行って相談してきた方が

 いいかもしれません』



というようなことを聞きました。

非常に珍しく、小腸がんの抗がん剤はないこと。

小腸がんから卵巣転移した症例も極めて少ないこと。

そして予後もあまり良くないこと。


驚き、衝撃で汗が止まらない。。



こんな衝撃的なことも1人で聞くものなのですね。


来週また外来で診察と、

ご家族にも説明しますとのことでしたが。




夫は子供達の習い事の送迎に行っている時間だったので、

いてもたったもいられず両親へ電話。



ものの数時間前に

「小腸がんだって。

 小さながんが残っているから

 あとはそれを抗がん剤で取るだけだね」

なんて軽く話してしまっていたのに、

それが急に重い話に…


母が繋がらず、父と話す。

「え…」ショックを受けているのがわかる。




その後母からも折り返しの電話。

「まずはセカンドオピニオンだね」

「あなたが出来ることはしっかり食べて

 体力つけることだよ。

 お父さんとお母さんが出来ることはやるから、

 自分のことだけ考えて」

母は強し、絶対にショックを受けているのに

私に強く励ましをくれました。


『夕飯は食べれたよ〜』と言うと、

「お父さんが食欲ないって食べないのよ」と。


あぁ。。お父さんいつも強いのに、

私のことでショックを受けさせてしまったんだ。

と悲しくなりましたが、


『お父さんが倒れたらいけないから食べるよう

 言ってね!』


と言って電話を切りました。









昨日は退院前診察と、

手術でとったものの病理検査結果報告でした。


傷の具合は順調で、

退院は予定通り明日(今日)でOKとのこと。


先生が緊急手術に入ってしまった為、

1時間半待って夫と結果を聞きました。



まず、2月に取った右卵巣と同じ細胞が

左卵巣からも小腸からもみつかりました。


腸閉塞を起こしかけていた小腸、

これがリンパの中にがん細胞があり

これがリンパを通って卵巣に転移していたと。


つまり、卵巣がんではなく、小腸がんです。と。



ずっと卵巣がんの腫瘍マーカーは正常値内で

『どこが』というのは忘れてしまったけど、

「珍しいタイプ」と言われていました。


それでいて消化器系のマーカーが高い。

胃カメラも大腸カメラもやったけど、キレイ。

そして消化器内科の先生からは

「小腸は病気にはならない」

と言われたので、

「えー、でもそうだったのか…」

と、驚いたけれど腑に落ちました。



ただ小腸がんって聞いたことないけど、

でも卵巣がんの治療をずっとして効かなくて、

もっと後に

「違うがんだった!」

なんてことになったら大変だから、

わかってよかった…なんてその時は思ったのです。







止まってしまっていた、

病気判明への道筋の続きです。



MRIはすぐに予約が取れたので、

地元の婦人科を受診したその週末土曜日に

行きました。


MRI撮影専門の施設だったので、

予約時間に行くと

医師の問診から撮影までさくさくと進み、

あっという間に終わった印象です。



検査結果も数日以内に地元婦人科に送られるので

その日はお会計をして終わり。


少し栄えた街だったので、真新しいパン屋さんなど覗いて帰ったのを覚えています照れパン好き




そして次の週、

早速婦人科に検査結果を聞きに。



「腫瘍マーカーは標準値内。

 MRIでは繊維種(良性)もしくは筋腫疑い。

 大きさが大きくて、卵巣からなのか

 子宮からなのかの判別がつかない。

 どちらにしても取らないといけないので、

 大きな病気に行ってください。」



そのような感じだったと思います。 


そもそも、腫瘍マーカーと聞いた時に

「え、そんな検査が必要なの!?」

と思ったくらい、状況もわかっておらず。

でも結果は全くもって基準値以内だったので、

これでまた

「大丈夫でしょ〜」

な気持ちが強くてなっていたのでした。