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子供のころ②

思い出したことがあったので、追加で書いておきます。

これも小学生の頃だと思います。

繰り返される夫婦喧嘩で、母が1週間ほど家出をしたことがありました。

食事の支度をはじめ、家事の全くできない父親は、一度、若い女性を家に連れてきました。
その時は???という感じでしたが、今思えば父の女だったかもしれません。

父もその女もニコニコして、母が帰ってこないのに楽しそうにして、「一緒にご飯食べよう」と言ってきて、不快にしか感じませんでした。

母は既に乳がん(左)と子宮がんをしていたので、まともに働くこともできず、経済的に自立できないことから、この頃からずっと我慢していたのだと思います。

子供のころ

私は、父、母、きょうだい1人の4人家族でした。

自分が子供でしたので、経済的にどうだったかの真実はわかりませんが、食べるものに困るようなことはありませんでした。

父と母は同じ会社に勤めていて、そこで出会って結婚したそうです。

父は野球をしていて、母と出会った会社も野球で入社したそうです。
私が物心つく頃には既にその会社を辞めていました。
どんな仕事をしていたのかよくわかりませんが、1人で何かやっていて、ただ、どれも長続きせず、あれこれ仕事を変えていたようです。

昔から野球をやっていた父は、きょうだいをリトルリーグへ入れ、自身も4年生チームのコーチをしていました。

そのため、毎週土日は車で1時間ほどかかる河川敷の練習場へ連れて行かれました。
父ときょうだいは野球、母はそこでお手伝い、子供の私は何もすることがありませんでした。
今の時代のように、携帯できるゲームなどもなく、ただ、ひたすら何もしないで1日野球が終わるのを待ち続けると言った感じです。

愛情を注がれなかった訳ではありませんが、きょうだいの野球がいつも優先されていたような気がします。

父は、時々人前で「おっぱい大きくなーれ」といって私の胸をさわり、それを笑いのネタのようにしていました。
私はそれが本当に嫌で嫌で仕方ありませんでした。

また、小学生の頃、学校で生まれたうさぎをもらい、家で放し飼いしていました。
歯がかゆくなるのか、柱や壁紙をかじることも多く、困らせる事も多々ありましたが、呼べば来るし、甘えん坊でとてもかわいい子でした。
ある日、そのうさぎが父が出かけるところに近寄って、父の靴に顔を近づけたんです。
すると、父はその靴を取り上げて、革靴のかかとでそのうさぎの頭をおもいきり殴りました。
うさぎはとても痛かったのでしょう。
目が飛び出た状態でしばらく動けなくなってしまいました。

さらに、短気で自分勝手な父は、食事の品数が少なかったり自分の好みのものが食卓にならばないと怒り出し、時にはテーブルを叩いたりひっくり返そうとして汁物はすべてこぼれるような事になっていました。

その他にも、小学生高学年頃には、父から「生理はまだこないのか」と聞かれ、心の底から嫌な気持ちになりました。

病気で体は弱かったものの、気が強い性格の母は、そんな父親と頻繁に怒鳴り合いの喧嘩をしていました。

そんな父に対してとても嫌悪感がありました。

また、母に対しては、子供である私たちを叱る時も大声でどなるので、怒らせると怖いという恐怖心があり、怒られないようにしようという気持ちが強く植え付けられたように思います。

いつ頃からかは覚えていませんが、そうしたことで、父に対する嫌悪感は日々増していき、母に対しては怒られないように顔色をうかがうようになり、日に日に自分の気持ちや本心を語らないようになっていきました。

承認欲求

私は、自分の身に起きたことやこれまでどんな出来事があったかを話すことで、自分のことを認められたいと思ってるんだと思います。

承認欲求が少し強いのかもしれません。

すべてを失い、すべての人間関係を絶たざるを得なくなり、本当の私を知ってる人がいなくなってしまったため、どこかで自分の生きてきた証を残したいという思いがわいてきました。

私は母のことをとても大切に思っています。母も私のことを必要としていると思います。
でも、私が何かしても認めてくれたことは1度もありません。
どこかに出かけたり、遊びに行くと、不機嫌になり怒り出したり…

いつか、私が人生の幕を下ろす時、誰にも認められないまま終わりを迎えるのがとても寂しく思ってしまいました。

小説家ではありませんので、時系列に書くこともできないと思いますが、記録としてここに残しておきたいと思っています。

少しずつ、書いていくと思いますのでよろしくお願いします。