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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

「第2の全盛期~春の日」

 

 

今日ご紹介する韓国映画は、‘うだつが上がらないアジョシ(おじさん)’役を演じさせたら右に出る者がいない、味のある俳優ソン・ヒョンジュさんの久しぶりの主演作『春の日(봄날)』(イ・ドング監督)です!ヾ(≧∇≦)〃♪

 

先月劇場で観ましたが、日本だったら「お葬式」とでも題名がつきそうな、韓国の葬式だけを描いた作品でした。たしかにたいへんな事件も起こるのですが、韓国の葬式らしく、この時ばかりは故人を思う心ですべてが許される、主人公家族が父親を亡くした悲しみに比べれば、すべてたいしたことではなかった、すべてが人生の終幕を飾る情深い光景だった、と感じさせてくれるとてもいい映画でした。

 

何より私が個人的に、外国人でありながら韓国人の家族であり、韓国に30年住みながら何度も知り合いの家族のお葬式に参加しているだけでなく、2018年には最愛の義母をお送りした経験をもとに、主人公の心情を充分に共有しながら万感が去来しました。また、そういう経験がない日本の方にとっても、まさに韓国の葬式文化が最初から最後まで、かなり具体的に追体験できる貴重な作品となっていると思います。

 

 

●「お父さんを亡くして悲しくてそうしたんだ」

 

話は、故人であるお父さんの遺体に「寿衣」という死に装束を着せるというシーンから始まって、弔問客の受け入れ、出棺、墓地に土葬で埋葬するシーンで終わります。ラストに後日談のような映像もありますが、それはほぼおまけ。本当にお葬式だけを描いた話です。しかしその中で起こることが多少過激なのは、ソン・ヒョンジュさん演じる主人公、長男のホソンが昔から音に聞こえた拳自慢で、ヤクザの「クンヒョンニム(大アニキ)」として出世したけれど、抗争の中で人を殺して刑務所に8年間も入って出てきたばかり、という状況のゆえです。

 

結果的に葬式会場にはヤクザがずらりと集まり、さらには対立する組のヤクザまで集まってしまいます。田舎のヤクザだからなのか、韓国のノワール映画によくあるようなピリピリした怖さはないのですが、それが逆にリアルだともいえます。その状況の中で、弟の会社の社長が来ては、集まっている黒スーツたちを見て食事を遠慮して帰ってしまったり、ホソンの息子の会社の同僚たちが来たり、娘が婚約相手を連れてきて初めてホソンに挨拶をさせたりします。

 

さらには、かつての栄光を忘れられず、もう一旗くらいあげたいと考えたホソンが、その組員たちに対して、持ってきたお香典をそのまま返してあげて、葬式場をトランプ賭博場にして運営してしまうという「ビジネス」を始めてしまうわけです。それが結果的に大暴力事態にまで発展し、そこで、それでなくても息子のゆえに胸を痛めてきた老母が大喧嘩のとばっちりで飛ばされて気絶したりもします。

 

そのような、とうていあり得ない事態が起こって警察沙汰になり、さらにはホソンは警察署の中でガソリンをまいて火までつけようとするのですが、しかし、それらも結果的に、「お父さんを亡くして悲しくてそうしたんだ。どれほど親孝行の善良な息子か分からないんだから」と弁護される方向で収まってしまいます。

 

結局、これは、格好よく生きたかったけれど、どうにもすべてがカッコ悪く愚かで親不孝になってしまった1人のヤクザな長男が、しかし親の愛という大前提のゆえに、それでも人々から愛されて生きている、ということを、父親の葬式での大失態とその終結という形で、とても味わい深く表現してくれた話であるわけです。

 

 

●存在の価値を何重にも意味づける呼称たち

 

何より個人的に私が感動することは、主人公は「息子」だから、「長男」だから、「兄」だから、「伯父」だから、ということで、どんなに社会的には「ダメ」で「前科者」でも、その「父母の愛情」を基盤に、その価値はやっぱりかけがえがないものとして扱われているという側面です。

 

すなわち、誰かの家族であり、親族であるということ、ただそれだけがとてもかけがえのない貴重なことであり、唯一無二の価値である、ということを感じさせてくれるわけです。

 

それは私自身が個人的に現実で、韓国人の妻の親族を通して経験しているからでしょう。韓国の文化において、何より特徴的なのが、親族間の呼称の多さと複雑さと厳密さです。日本では親族というと結局は「おじさん」と「おばさん」です。英語でもそうでしょうが、さらに日本語の場合は他人を呼ぶ「おじさん」「おばさん」とも同じ発音です。

 

しかし、韓国語では、その複雑な親族関係をすべて区別して、親族語は数かぎりなく多様に存在しています。たとえば、日本の「おじさん」に該当する呼称なら、関係性によって、「큰아버지」、「작은아버지」、「삼촌」、「외삼촌」、「처삼촌」、「백부」、「숙부」、「처백부」、「처숙부」、「외백부」、「외숙부」、「고모부」、「이모부」、「당숙」、「재당숙」、「외당숙」、「내당숙」、「처당숙」、「종숙」、「재종숙」、「외종숙」、「내종숙」、「처종숙」…となり、もっと厳密にすればまだまだ何倍にも増えていきます。もちろん、親族以外の他人の「おじさん」は別にあって、それが「アジョシ」です。

 

私がこの韓国で、韓国人の親族の一人であるということに感じる喜びもまたそういうことなわけです。親族が集まれば、それだけの多様な呼称を持つ人々が、それぞれの由緒に従って私の目の前に現れ、挨拶をすれば、私もそれだけの呼称で呼ばれるとともに、そのたびごとにその関係性独自の情の世界を経験することができます。すなわち、その一つひとつの関係性自体に意味があり、それらが私の存在の価値を何重にも繰り返し繰り返し意味づけてくれるわけです。

 

そういう韓国の文化を中心としてこの映画を観た時に、その話のドタバタ以上に、韓国のその親族の一員となれたことの喜びを感じる、個人的に意味深い1本でした。ぜひ、そのような世界を垣間見ることができる標本のような作品としておススメです!♪ヽ(´▽`)/

 

 

【あらすじ】 一時は噂に聞こえた「アニキ」だったホソン(ソン・ヒョンジュ)。刑務所を8年ぶりに出所してみたら、人より出来が悪いと思っていた弟ジョンソン(パク・ヒョックォン)からは厄介者扱いされ、結婚を控える末娘ウノク(パク・ソジン)と、久しぶりに会った息子ドンヒョク(チョン・ジファン)はホソンをただただ恥じるばかり。残った人脈をすべてかき集めて、父親の葬儀の香典を元金に奇想天外な「ビジネス」を計画し、第2の全盛期を夢見るのだが、よりによって勢力争いをする二つの組織がそこに集まり、空気が読めないホソンの友人ヤンヒ(チョン・ソギョン)は酒に酔って余計なおせっかいを始める。一触即発!収拾不可能!果たして世間知らずの厄介者兄貴に春の日は訪れるのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


映画『春の日(봄날)』(イ・ドング監督)予告編。

 

 

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