実はこの週末は、日本から来られた議員の方々と共に、百済の都である公州と扶余に行ってきました!♪ヽ(´▽`)/
昨年の日韓共同による「朝鮮通信使」記録の世界記憶遺産登録と関連して、日本と韓国の歴史的絆を確かめる視察ツアーであるということで、私自身は、日韓の交流史と文化の違いについて、合間合間に全部で3時間ほどお話させていただきました。
日本は、663年の白村江の戦いで百済側に立って、総力を挙げて唐・新羅連合軍と闘っているとともに、負けて戻ってくる時には、たくさんの百済遺民を連れてきては、当時の国政にまで参与させていますよね。さらに室町時代と江戸時代には、朝鮮通信使を通じて友好関係を築き、特に江戸時代には、鎖国下における大陸文化の学習に大いに役立てています。
それらはどちらかが上で下であるというようなものではなく、すべて相互交流として両国の共なる発展をもたらし、たとえば、日本が一方的に大陸文化を学んだように見える朝鮮通信使でさえ、当時の記録を読めば、儒教一辺倒で技術者を軽んじていた朝鮮の知識人たちが、日本の江戸時代の技術的成熟を見聞しながら反省し、朝鮮における実学の発展に役立てています。
あとは、文化の違いを構造主義的に分析することを通して、日本人が疑問に持つ、韓国人はなぜそう考えるのか、そう行動し、そう見えるのか、についてお話ししました。視点を変えれば私たちにも充分に理解が可能なことを説明させていただきましたが、日本で副大臣も務められた方をはじめ、とても立派な方々であられながらも、皆さん心を開いて聞いてくださり、頭が下がる思いでした。
やはり何より、私たちがどんな形であっても人間同士の出会いを基に交流していくことが大切であると痛感しましたよね。あの困難であった、秀吉による恐ろしい朝鮮出兵の直後に、政権を取るや否やすぐに朝鮮との国交回復を願って行動し、大量の捕虜を送還した徳川家康と、それを受け入れた宣祖と朝鮮王朝の勇気ある決断が、今また必要な時であると感じました。
まさに、互いに「信(よしみ)」を「通わす」という意味での21世紀の新たな「通信使」がいつよりも必要な時であり、今回の日本の議員団ツアーもまた、その一部となって、「通信」の道が開かれてくれることを祈るばかりです!ヾ(≧∇≦)〃♪
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