■日本の議員団との百済遺跡ツアーと21世紀の新たな「通信使」! | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

扶余にある滅びた百済の定林寺跡です。ここはここで見学すると亡国の歴史に泣けてきますよ。T.T



実はこの週末は、日本から来られた議員の方々と共に、百済の都である公州と扶余に行ってきました!♪ヽ(´▽`)/


昨年の日韓共同による「朝鮮通信使」記録の世界記憶遺産登録と関連して、日本と韓国の歴史的絆を確かめる視察ツアーであるということで、私自身は、日韓の交流史と文化の違いについて、合間合間に全部で3時間ほどお話させていただきました。


日本は、663年の白村江の戦いで百済側に立って、総力を挙げて唐・新羅連合軍と闘っているとともに、負けて戻ってくる時には、たくさんの百済遺民を連れてきては、当時の国政にまで参与させていますよね。さらに室町時代と江戸時代には、朝鮮通信使を通じて友好関係を築き、特に江戸時代には、鎖国下における大陸文化の学習に大いに役立てています。


それらはどちらかが上で下であるというようなものではなく、すべて相互交流として両国の共なる発展をもたらし、たとえば、日本が一方的に大陸文化を学んだように見える朝鮮通信使でさえ、当時の記録を読めば、儒教一辺倒で技術者を軽んじていた朝鮮の知識人たちが、日本の江戸時代の技術的成熟を見聞しながら反省し、朝鮮における実学の発展に役立てています。


あとは、文化の違いを構造主義的に分析することを通して、日本人が疑問に持つ、韓国人はなぜそう考えるのか、そう行動し、そう見えるのか、についてお話ししました。視点を変えれば私たちにも充分に理解が可能なことを説明させていただきましたが、日本で副大臣も務められた方をはじめ、とても立派な方々であられながらも、皆さん心を開いて聞いてくださり、頭が下がる思いでした。


やはり何より、私たちがどんな形であっても人間同士の出会いを基に交流していくことが大切であると痛感しましたよね。あの困難であった、秀吉による恐ろしい朝鮮出兵の直後に、政権を取るや否やすぐに朝鮮との国交回復を願って行動し、大量の捕虜を送還した徳川家康と、それを受け入れた宣祖と朝鮮王朝の勇気ある決断が、今また必要な時であると感じました。


まさに、互いに「信(よしみ)」を「通わす」という意味での21世紀の新たな「通信使」がいつよりも必要な時であり、今回の日本の議員団ツアーもまた、その一部となって、「通信」の道が開かれてくれることを祈るばかりです!ヾ(≧∇≦)〃♪



ほおら、仁川空港ではスホラン君とパンダビ君が皆さんを待っていますよ!ヾ(≧∇≦)〃♪



この小型バスで視察ツアーをされる日本の議員の皆さん。



初日の宿泊はこちら、温泉で有名な温陽第一ホテルです。



夕食はこちら「松の木の家(소나무집)」(041-547-9598)。



美味しい牛プルコギ鍋ですね。



とっても美味でした。



おかずも高級。



でも何よりも美味しかったのが、この高麗人参をはじめ12種類の漢方が入った栄養ご飯。
国楽の先生でもあるご主人が、本当は白米のところを、日本人だとサービスしてくれたそうです。



ホテルの朝ご飯は、一番手前の牛のひざの軟骨(トガニという)が美味しかった。



これは百済の25代王武寧王のお墓。



想像上の武寧王。身長が180センチもあったことが分かっています。



「斯麻王」の記述で、『日本書紀』にあるとおり日本の福岡の島で生まれたことを証明した碑文。



発掘の時の状況を再現した墓内部のレプリカ。



豪華な王の装飾品。



実際の古墳群。「百済歴史遺跡地区」としてユネスコの世界遺産に登録されています。



これが本物の武寧王の墓の入口です。


国立公州博物館。


お昼をいただいたお店「イェガチョン(예가촌)」(041-857-3355)。


豊富なおかず類。


あのチャプチェが美味しかった。


メインメニューは鶏の煮込みである「タクペクスク(닭백숙=鶏白熟)」です。


ちょっとしたサムゲタンのようでとっても美味しかったですよ。ヾ(≧∇≦)〃♪



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