●三千宮女が身投げした「落花岩」
「日本人ブロガー公州・扶余・青陽の旅」、レポート第5弾。昨日に続いて、日本ととっても関連の深い、扶余郡の百済遺跡をご紹介しますが、今回もまたかなり悲しい百済の最後の姿を垣間見ることになります。(´ぅ_ ;`)
ここ、百済の3度目の遷都による最後の都・泗沘(サビ)は、百済が滅びた場所でもあります。特にここ扶蘇山の「扶蘇山城」は、本来は優雅な王宮の後苑であったものが、首都防衛の最後の砦となったという悲しい場所。百済最後の3人の忠臣を祀る三忠祠や、軍の穀物を保管した軍倉址などが見られます。そして今回見たのが、国家滅亡に際して、百済の三千宮女が崖から次々に身を投げたという「落花岩」です。
彼女らが飛び込んだ川が「白馬江(錦江の別名)」というわけですが、日本に歴史に残るその名が「白村江」であって、有名な「白村江の戦い」で日本が百済再興のために大軍を送ったのが、この川のはるか海のほうの河口なわけです。
宮女たちは、背後に迫っている唐・新羅連合軍によって辱めを受けることを恐れて自決の道を選ぶわけですが、断崖から飛び降りる時に、怖いのでチマ(スカート)を頭からかぶって落ちたといい、その姿が水に落ちる花にように見えたのだという言い伝えから「落花岩」というわけです。いわば、日本が救うことができなかった人たちだともいえますよね。
今回は時間の関係上、「扶蘇山城」の正門からは登らず、「白馬江遊覧船」(一人6000ウォン)に乗って一気に裏門に回って、そちらから登りました。「皐蘭寺」というお寺があるのですが、その壁には、唐・新羅連合軍に追われて次々に「落花岩」から身を投げていく宮女の絵が描かれていましたね…。(>_<)
●百済の不老長生の泉「皐蘭井」
それ以外に、皐蘭寺には百済の昔から不老長生の泉とされて、王様もよく欲していたという「皐蘭井」があり、今でも水質が保全されながら美味しく飲むことができます。
ちょっと話を明るくするために、ここに伝わる伝説をお話します。百済の昔、ここ泗沘のある村に仲のいい老夫婦が暮らしていたが、年老いるまで子供が生まれず、ハルモニは嘆きながらもう一度回春して子供を授かることを願っていた。そうしたある日、ハルモニはある道師から、「扶蘇山の川辺の皐蘭寺にある岩には、皐蘭草の柔らかい露と岩から染み出す薬水によって驚くべき効能がある」と聞いた。
さっそく翌朝、夫を送り、その薬水を飲んでくるようにいった。しかし、ハラボジが夜になっても帰ってこないので、不思議に思って翌朝ハルモニが行ってみると、ハラボジはおらず、なんと、小さな赤ん坊が夫の服に包まれて泣いているではないか。ハルモニは「しまった」と思い、道師が「一杯飲めば10年若返る」といった言葉を夫に伝えなかったことを後悔した。しかたなく赤ん坊を抱いて家に戻り、大切に育てたところ、後にこのハラボジは国に大きな功労を建てることで、百済時代最高官職である佐平となったとさ。めでたし、めでたし。
ということで、私もちょっと飲み過ぎないように注意しながらとっても美味しくいただきましたよ。ヾ(≧∇≦)〃♪
【行き方】 今回のコースは上の錦江の「白馬江遊覧船」に乗って、「落花岩」を見て「扶蘇山城」の後門に上陸ですね。
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