■『Dr.JIN』に描かれているテーマ分析!≧▽≦)ノ"♪ | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

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韓国版『Dr.JIN』の文化や歴史の背景を解説していて、くしくも日本の『JIN-仁-』との違いが浮き彫りになってきましたね。


そもそも韓国における「近代化」というものは、日本のような大政奉還や富国強兵などではなく、何より「両班」と「賤民」という、儒教社会であまりにも大きかった身分の違いを改革する万民平等思想にあった。それゆえ、韓国の『Dr.JIN』は、朝鮮時代にタイムスリップして、何よりこの身分の差を超えた万民平等を伝えるというテーマとなっているわけです。



●なぜ「シク」は「喜市」より汚いか


第3話では、「金大監」のごろつき長男であるキム・デギュンが乗っていた馬のひづめに蹴られて、母親の頭が割れたのを、ジン先生が治療する、という懐かしいシーンがありましたが、日本版の息子「喜市」に比べて韓国版の息子「シク」があまりにも汚い、ということが気になった方もいると思います。


「喜市」は平民である商人の子という設定であったのに対して、「シク」は「賤民」の子供という設定になっているわけですよね。昨日の第4話でも、コレラを治療する、ドラマのメイン舞台が、「土幕(토막)」と呼ばれる「賤民」が住む貧民窟となっていました。


そもそも第1話で、没落する「南人」両班の令嬢ヨンネが最初に登場した時、彼女は自ら服の修繕をしてつくったお金で、お米と麦を買って、「土幕」の「賤民」たちに届けに行くところをギョンタクに止められるわけです。ヨンネは、毅然とした態度で、「そこも人の住む所です。人が、人の住む所に行けない理由がどこにありますか?」と答えます。この言葉は、ギョンタクにも影響を与えます。


第2話で、ギョンタクが父親の「金大監」に、捕らえたジン先生が犯人ではないようだと報告したところ、「金大監」が「何を寝ぼけたことをいっている」といって、投げてよこしたのが『天主実義』という、当時の有名なキリスト教書籍なわけです。


金大監は「『年齢、性別、身分、地位の高低にかかわらず、天主様の前に皆、平等だ』などと。我ら安東金氏があの土幕の乞食どもとまったく同じだというのだから、まことに天人共怒(天も人も共に怒る)の言い草ではないか!」というと、ギョンタクは何か感じるところがあるように黙っているわけですよね。


それで金大監が、「どうした?お前のような庶出には、嫡庶差別をなくそうという奴らの言葉が魅力的に聞こえるのか?」と詰め寄り、ギョンタクは慌てて強く否定。大監は、ジン先生の言動が西洋人のそれに似ているなら、彼を万民の前で殺すことで、天主教にかぶれている奴らの見せしめにしよう、というわけですよね。


ところが、ジン先生はその後「金大監」の命をも救い、その同じ手で「賤民」である「シク」の母の命も救います。この時、「シク」の父が「生かして何になる!生きている命が死んだ死体よりも劣るような身の上なのに」と、悲惨な身の上を嘆いて自らの手で妻を殺そうとする姿は暗澹たるものがありますが、その時も、ジン先生や、後の大院君であるイ・ハウンには大きな影響を与えているわけですよね。



●僧侶も工匠も芸能人も「賤民」だった


同じ士農工商と賤民という身分制度を持ちながらも、日本の江戸時代と当時の朝鮮では、その身分格差に大きな感覚の違いを感じます。実際、朝鮮末期の身分制度の「士農工商」というのは名ばかりで、実際には、「両班」、「中人」、「常民(平民)」、「賤民」という4身分に分かれていたんですよね。


もともとの朝鮮初期には、「良賤制」といいますが、日本と同じように士農工商の「良人」と、それ以外の「賤民」という二つだけに分かれていたのです。「良人」は皆、平等に科挙を受ける自由があり、『朝鮮実録』には、朝鮮初期に実際に、農民出身者が一生懸命勉強して科挙に受かって両班となったという例が記録されています。


ところが、16世紀以降、儒教の教条主義が深まって、人々は「両班」と「常民」に二分され、「両班」出身者しか科挙が受けられなくなります。さらに朝鮮中期以降には「両班(文班+武班)」に入らない、雑科の官員たちが自ら「中人」を称することで、結果的に「両班」、「中人」、「常民(平民)」、「賤民」の4身分となるわけです。


ドラマでは、「妓生(キーセン)」もまた大きな鍵を握っていますが、両班から寵愛を受け、詩や書芸にも通じた教養人ではあっても、身分制度の中では彼女らも「賤民」となります。「八賤」というのですが、「私奴婢(奴隷)」、「広大(芸能人)」、「ムーダン(巫)」、「白丁(畜殺業)」、「僧侶」、「妓生」、「喪輿(葬儀業)」、「工匠(手工業者)」が皆「賤民」でした。


僧侶は、日本では当時、武士に準じる身分でしたが、朝鮮の儒教社会では「賤民」。また韓国の「工匠」が作った陶芸などの民芸品が、日本で高い評価を受けても自国ではほとんど認められてこなかったり、少し前まで芸能人の地位がとても低かったりしたのも、この当時の身分の貴賎に原因があったわけですよね。



●“愛”のヒューマニズム思想による近代化


そういう身分制度の打開がまさに韓国の近代化であったのであり、実は、キリスト教が韓国でここまで積極的に迎え入れられた理由でもあります。韓国は、先ほどの『天主実義』という本を研究することで、海外の宣教師が訪れる前に自分らの手で国内に教会を建ててしまったという、世界で唯一の国なわけですよね。まさにその中心というのが、「南人」の学者たちだったわけですが。


実際、韓国の「オリニナル(子供の日)」の背景となる児童人権思想を生んだ韓国の宗教「東学」なども、創始者・崔濟愚が再婚女性の子供であり、高い教養と学識を持っても科挙を受けられず、それで何より、嫡庶、女子供も含めた万民平等思想を説いて、キリスト教と並んで韓国の近代化思想の大きな主流をつくったわけですよね。


ということで、現代の韓国社会を知るジン先生と、賤民を同じ人間だとして愛する、「南人」両班令嬢のヨンネと、時の最高権力者の子でありながら「庶子」であるギョンタクと、高い教養を持つが最下層である「妓生」のチュヌン、それらの主要人物をつないだ思想が、大院君や高宗という後の近代化の中心たちに受け継がれて、韓国的近代化精神である“愛”によるヒューマニズム思想が花開く、ということなんでしょうね!


ということで、日本の『JIN-仁-』と韓国の『Dr.JIN』の違いを吟味しながら、来週がまた楽しみですね!ヾ(≧∇≦)〃♪



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