■「庶子」の身分に関する補足説明!ヾ(≧∇≦)〃♪ | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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『Dr.JIN』の朝鮮末期の背景について昨日気軽に書いた内容へのコメントをみて、皆さん、もっとよくご存知なので、もう少し正確に書いておく責任を感じました。


まず、ギョンタクのような庶子は科挙を受けられないと書きましたが、確かに一般的にこのようないい方はするのですが、厳密には、文官になるための文科に応試できないということですよね。彼が捕盗庁従事官をしているように、武官になるための武科や、あるいは技術官になるための雑科は受けられたわけです。ちなみに捕盗庁従事官は従五~六品の武官です。


実際、ギョンタクは父親が左議政ですし、「蔭敍(음서)」といって、科挙を受けず親の官職功績で叙用された可能性もありますよね。


庶子とは、ご存知のように正妻以外に妾として迎えられた女性の子供ですが、朝鮮時代には妾を置くことが公認されており、「別家」「小室」「小家」「側室」などと呼ばれて、正妻に次ぐ地位があり、財産相続権も認められました。だから単に外で子供をつくったという立場では、庶子にはならないわけです。


たとえば、「両班」が「賤民」である奴隷や妓生(キーセン)との間に子供をつくった場合にも、「賤民」である母親を「免賤」して妾に迎えれば、その子供は正式な庶子(正確には「孼子」という)になります。僕出身の妾は「婢妾」、妓生出身の妾は「妓妾」といいます。


小説『洪吉童伝』で有名な、韓国版ねずみ小僧である洪吉童(ホン・ギルトン)は、実在した人物であり、両班家系の父親が僕と関係を持って生まれた子供だったわけですが、母親が妾として迎えられていなかったために一切の科挙が受けられずに盗賊になったわけです。当時、搾取にあって土地を失った農民たちを率いて農民武装隊のリーダーとなるわけですが、自ら「僉知」という官吏名を自称して両班官吏の服装をしていたという話は有名です。


ちなみに、庶子出身で高い地位に就いた人物には、何といっても“医聖”許浚(ホ・ジュン)が有名ですよね


許浚は、両班の父を持ちながら庶子であったために文科が受けられず、医学を学んで、雑科である医科を受けて医官となったわけですが、宮中における優れた医術で功績を立てて、結局、医官としては最高位の従一品の「崇禄大夫」となり、死後には最高品階である正一品「輔国崇禄大夫」を追贈されたわけです。


もちろんそういう高い品階を得たとしても、医官は医官なので、身分は「両班」ではなく「中人」になるわけですが。


そのようにして、庶子は出世が阻まれていたということであり、ましてや許浚のようなケースはほとんどなかったわけですよね。(´ぅ_ ;`)



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