■ヨンハさんの1周忌に思うこと | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

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日本ファン1700人が詰め掛けた京畿道坡州の薬泉寺。


今日はパク・ヨンハさんの1周忌の法要が、午前9時から故人の位牌がある京畿道坡州市の薬泉寺で雨の中、しめやかに営まれ、韓国人ファンはもちろん日本人ファン約1,700人が参列しました。続いて、遺骨がある京畿道城南盆唐のメモリアルパークへ場所を移しての追悼式も行われました。


韓国各紙は、1700もの日本人ファンが、大雨も降る中、山寺のような所で、整然と列をなして秩序正しくヨンハさんを追慕している姿に、‘永遠の韓流スター’と彼を称えていましたが、ある記事には、現場の通訳士が「ヨンハさんが日本で持つ意味は、韓流スターそれ以上なんです」と語ったと出ていました。


ヨンハさんが日本ファンに残したものが、本当に「韓流」という言葉に収まらないものであることを感じる時に、彼の1年前の選択が今さらながら惜しまれてならず、悔やまれてならないですね。深く深く考えさせられ、またご冥福を祈らざるを得ません。


「韓流スターそれ以上」、ならば何であるのか。遠い所まで来て大雨の山寺での追悼式に車椅子に乗って参加していたというある72歳の日本婦人は、「息子がいないので息子のように思っていた」ということでした。彼は「スター」ではなく、たぶん「家族」だったのではないかと思いました。


それは、まさに彼自身の中にある韓国文化の〈家庭原理〉のゆえにそうなのかもしれませんが、いずれにせよ、韓国のスターたちは同じような理由で日本ファンにとってスター以上のものであり得るのかもしれない、と思いました。


今日の追悼式で、ごく親しい友人だったという俳優のパク・クァンヒョンさんも、哀悼の手紙を通して、まるで親が子供に呼びかけるように、「ヨンハや、元気にしているか?痛いところはないか?寒くはないか?」と呼びかけました。そして故人との追憶を回想しながら、「一緒に約束したじゃないか。日本で一緒に活動するんだと。それなのにお前、今どこにいるんだ?お前の、日の光のように清い笑顔が忘れられないよ。本当に顔が見たいよ」と悲しみを表現、「お前がいないという事実を認めることができなくて、いるんだと信じた。でも、もうお前がいないということを感じたし、今一度悲しみに沈んだ。こんな僕を人々が慰めたが、そんな慰めを受けることは贅沢なのだと思う」といって悲しみにのどを詰まらせ、気持ちを落ち着けて、「喜びも一緒に分かち合って、悲しみも一緒に分かち合いながら一緒に過ごすことができたことは、僕のこれまでの日常で最大の祝福だった。感謝し、愛している」と結びました。


また報道によると、ツイッターでは、SS501の末っ子キムヒョンジュン君が、弟として、「いつも僕の力になってくださり、かわいがってくださったヨンハ兄さんの1周忌です。たとえ今は一緒にいることができなくても、僕の心の中に、そして多くの人の胸の中に一緒にいるのだと思います。愛しています。天国でも幸せで、見守っていてください。一生忘れません」と書いたとのことでした。


そのように、彼は多くの人の中にあって、家族であったのではないかと思います。以下に、『韓国日報』と『CNBニュース』の記事を日本語訳してみました



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■故パク・ヨンハ1周忌、「愛しているよ」追悼の手紙に天も泣いた
日本現地ファン1,700人あまりが雲集…「ただ追悼のためだけに飛行機乗った」


「용하야, 사랑한다(ヨンハや、愛しているよ)」


ヨンハさんのお母さんが5分ほどの追悼文を読んだ時、それまで霧が一面に立ち込めるだけで、雨は降っていなかった空から、どしゃ降りが崩れ落ちるように降った。2,000人あまりの人が薬泉寺法堂前の広場に集まっていた現場は、あっという間に傘で隠された。済州島から来たという40代と見られる女性は、「雨が降ればヨンハが泣いているようで、降らないことを願ったのに…」と言ったきり、言葉をつなぐことができなかった。


俳優パク・ヨンハさんが世を去ってから1年になった。パク・ヨンハさんの1周忌追悼行事は、6/30午前6時30分から京畿道の薬泉寺で進められた。薬泉寺まで上る道は険しかった。乗用車はもちろん取材車両も上がることができなかった。午前9時頃、1,700人あまりになる日本人ファンが10台以上の観光バスから降りて薬泉寺に向かっていく行列は、一つの珍風景だった。


日本ファンはこの追悼式に先立ち、6/29午前11時から午後2時の間に仁川国際空港と金浦空港を通して入国した。国内に居住しているファンたちと日本の旅行社を通していないファンたちを除いた1,100人ほどが、4時間という間にこの国に雲集したわけである。


彼女らを引率してきたある進行要員は、「日本のすべての地域のファンがヨナ(パク・ヨンハ)の1周忌を追悼するために集まった」とし、「日本でも有名人が世を去れば追悼行列が開かれるが、しかし他の国俳優のためにすべてをさておいて駆け付けるということは珍しい」と説明した。


彼女らは、薬泉寺の入口にかかっている「パク・ヨンハ1周忌追悼式」という垂れ幕の前で写真を撮った。入口には救急車が待機していた。人の波が殺到したため、万が一発生し得る安全事故に備えるためだった。


しかし、憂慮した事故は起こらなかった。日本ファンは整然と列をつないでパク・ヨンハに向き合った。車寄子に座ったまま追悼式に参加した72歳のおばあさんは、この日、40代の日本男性の助けを受けながら、パク・ヨンハの写真を近くで見ることができた。大阪から来たというこの男性は、「息子がおらず、パク・ヨンハを息子のように思っていたということです」と言いながら、「遠い所まで来たのに、まともに見ることもできなければ悔いが残るだろうと思い、お手伝いしました」と話した。


現場にいた通訳士は、「ここに集まった日本ファンは、昨夜、韓国に到着して、明日の夜には日本に帰るという日程を消化します」と説明、「ただひたすら、パク・ヨンハ追悼だけを目的にした観光商品なんです」といい、「パク・ヨンハが日本で持っている意味は、韓流スターそれ以上なんです」と語った。


この日、故人の追悼式は、京畿道城南盆唐のメモリアルパークで、家族と同僚芸能人、ファンたちが集まる中でしめくくられた。


[原典] http://news.hankooki.com/ArticleView/ArticleViewSH.php?url=entv/201106/sp2011063018212196010.htm&cd=2204&ver=v002



■雨の中で開かれたパク・ヨンハ1周忌追悼祭…日本ファン約1千500人も参加


生前「雨を呼ぶ男」と呼ばれた韓流スター、故パク・ヨンハさんの1周忌追悼祭にも、やはり雨が降った。


30日午前9時、故人の位牌が奉献された京畿道坡州の薬泉寺で進められたパク・ヨンハさんの追悼祭には、時おり、暴雨が叩きつけるなど、ザーザー降りの雨が悲しみを増し加えた。雨と一緒に、ファンたちの目からも涙が休むことなしに流れた。


この日、追悼祭には遺族をはじめ、故人の日本ファンクラブであるサマーフェイスジャパン会員1千500人あまりが参加して、1年前のやはり雨が降った日にこの世を去った故人を哀悼した。


参席者たちは全員、順に焚香を行い、続いて故人のごく親しい友人だった俳優パク・クァンヒョンが哀悼の手紙を朗読した。パク・クァンヒョンは「ヨンハや、元気にしているか?痛いところはないか?寒くはないか?信じられない日々が続いている」と言いながら涙ぐんだ。


参席者たちは皆、白い雨合羽を着て、降りつける雨の中でも、2時間もの間、最後まで席を立たずに故人を追悼した。


この日の追悼祭は、薬泉寺を経て、午後2時、故人の遺骨が安葬されている京幾城南盆唐メモリアルパークを訪ねるというプログラムになっていた。日本ファンは、主催側が配ったお弁当を食べ、またバスに乗って団体で盆唐に移動した。


1994年、MBC『テーマゲーム』でデビューし、2002年、ドラマ『冬のソナタ』を通じて韓流スターへとはばたいたパク・ヨンハは、日本でアルバムを出し、コンサートを開くなど、主に歌手活動を展開しながら、‘ヨンハチャン’と呼ばれて高い人気を受けた。


生前、大きな行事があるたびに雨が降り、日本ファンから「雨男」だと呼ばれた彼は、昨年6/30、自宅で自ら命を絶った。


彼の死によって日本列島が悲しみに包まれ、以後、各種写真展やフィルムコンサートなど、故人を思い出す追悼行事が日本では相次いで開かれている。


[原典] http://news.cnbnews.com/category/read.html?bcode=155500



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韓国語では「精誠」という言葉がありますが、まさに「至誠ならば感天である」という姿です。


韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!
親しい友人だった俳優パク・クァンヒョンさんが哀悼の手紙を朗読しました。



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