「モラトリアム」を作り出している時代か… | 尾張風の会・一翔会の「絆」ブログ

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 以下は、5月25日に、わたしたちの一宮市がホームページに掲載

した「平成25年度職員採用候補者試験受験案内」である。




このホームページは、細かい字で読みづらいため、主要な部分のみを

抜粋してみよう。こんな内容である。


学歴 職種・採用予定人数 受験資格 


 【大学】
・一般事務;27名  
・消防;4名(身体的条件の注記あり~省略) 


 【大学・短大】

・土木;1名(土木課程専攻) 
・建築;2名(建築課程専攻) 
・電気;1名(電気課程専攻) 
・保育士;36名(資格取得者又は資格取得見込者) 
・社会福祉士;1名(資格取得者又は資格取得見込者) 


 【短大】

・一般事務;2名    
・消防;2名(身体的条件の注記あり~省略) 

【大卒者】昭和59年4月2日以降に生まれた方で 大学を卒業した方

又は平成25年3月に卒業見込みの方


【短大卒者】昭和61年4月2日以降に生まれた方で 短大を卒業した

方又は平成25年3月に卒業見込みの方



 わたしの住んでいる「一宮市の公務員募集要項」を見て些か驚いた。

「一般事務の採用枠」が 大卒・短大卒が約30人であったのに対して、

高卒程度は「ゼロ」なのである

 これはまるで、「もう一宮市役所では 高卒は採用しませんよ」と宣言

しているものだ。「高卒枠はない」訳なのだから…。

現在、大学進学率は50%以上もあり、高卒新卒で就職する人の割合

は、同世代の2割である。「猫も杓子も大学に行く時代」を反映してか、

高卒者の採用はどんどん減っているのが現状であろう。


かつては「一部上場企業」でも高卒採用が多かった。わたしが 県下の

某メーカに就職した昭和50年代に、新卒採用は、大卒男子;20名

対して、高卒や中卒の従業員も約100名以上の多数を採用していた。

 また、当時の中堅以上の社員(昭和40年代以前の入社)には 高卒

が結構いたものである。


 現在は、おそらく「高卒を採用する大企業は、かなり減っている」こと

だろうと思われる。

 それに連動し 「公務員の高卒採用も減少している」ものと思われる。


 要するに、ここ数十年で、「世の中はより高学歴社会」となってきたの

ある。昭和30~40年代までならば、「取り敢えず義務教育さえ 終え

れば 大半の子どもらは、自分の食い扶持を自分で稼ぐ」ようになって、

子育ての経済的負担はさほどのものではなかった。

 ところが、昭和50年代になると、それが3年伸びて、「高卒が主流」と

なり、親の負担が3年分増えた。

 この頃の平均学歴が、その後の日本を規定しているといってもよい。

「法的な成人は20歳だが、実質的には高卒年齢18歳が大人と子ども

の分岐点となっている」のだ。18歳になれば「自動車免許も取れる」し、

児童養護施設などでは、大体;18歳で自立を促すようになっている。

遺族年金や養育費などの基準も18歳なのだ。


 したがって昭和の時代には 「親の方も 我が子らが18歳にもなれば、

経済的負担から免れる」ことができたようだ。多くが この年齢で社会に

出ていたから、公務員等を含めて いわゆる「良い就職先」が、高卒者

に対しても沢山あったのだろう。


 しかし平成以後は 大学の数が増え「同世代の過半数が大卒」という

恐るべき時代になった。


 誤解を恐れずに言えば「現代において、高卒就職者は上級学校へ

行くべき能力あるいは意欲のない 落ちこぼれ」というような烙印さえ

押されてしまっているようにさえ思う。これは言い過ぎだろうか!?

「だからこそ、高卒公務員の募集がゼロになってしまった」のだろう。


 見方を変えれば「現代の若者は 22~23歳まで働かずにいないと

社会からまともに扱ってもらえない」のである。そして「親には 子ども

を、22~3歳まで遊ばせておける経済力が求められている」のだ。


 昭和50年代前半に、小此木啓吾;著の「モラトリアム人間の時代」

「ベストセラー」になって、若者精神の成熟遅れが問題になったが、

現在では、社会の方が 制度面から、若者の成熟を遅らせてしまって

いるのではないだろうか。

 かつては 「早く社会にでて親を楽にさせてやること」が美徳であった

のだが、現在では逆にそれが「社会からの落伍となりかねない」のだ


 確かに、社会の発展に伴って、新卒者に要求される技能・知識等は

格段に変化・増加している。かつて「中卒の”金の卵”たちや高卒者が

行なった現場的仕事はコンピュータや機械に任される」ようになって、

「22年程度の人生経験が最初から求められる仕事(典型が営業)が

増えている」ことは事実だろう。


 だが、「世に数多ある仕事の中で、真に大卒に相応しい仕事がどの

程度ある」のだろうか。また失礼ながら、「真に大卒に相応しい技術・

知識を持った大卒がどの程度いる」のだろうか。


 「仕事内容が変化してきている」とはいえ、基本的に現代の大卒の

多くは「かつては高卒が行なっていた仕事をせざるを得ない」だろう。


 そう考えると「社会がわざわざ『モラトリアム人間』を作り出している

現代は、あまりに無駄が多過ぎる」ように、わたしは思う。