引き続き、こちらの本を読んでいます。
その中の、「すべての分離は幻想で、苦しんだり傷ついたり輪廻転生したりする個人はそもそも存在しない」という一節にハッとしました。
少し前に、「個であり全である」についてメッセージを受け取りましたが
そもそも私たちは分離などしていない。
すべてひとつ。(ワンネス)
これについてはまだ、私の理解度は「頭で分かっている」レベルですが…
私は子供の頃から、「輪廻転生する」と分かっていたので、当然“過去世”があると信じています。
そして、「自分の過去世はどんな人生だったんだろう?」と興味を抱いていました。
自分の記憶なのに思い出せないのが何だか気持ち悪いし、過去世を知れば、“今世の目的”が分かるような気がして。
でもこの一節を読んで、そもそも「すべてひとつ」なのだから、「過去世の記憶」もひとつ。
だから過去世にこだわる必要はないのかもしれない、と思いました。
ひとつ、というと語弊があるかもしれません。
三次元的な感覚では「共有している」の方が近いかも。
よく過去世については、「善人も悪人も、金持ちも貧乏も、あらゆる経験をしている」と言われます。
それをすべて、“私”個人の魂が経験してきた、と思っていました。
でも、すべてひとつなのだから、すべての個人の記憶もクラウドのように共有される。
“私”が経験していることが、“あなた”の記憶でもあり、その逆もまた然り、ということ。
この“個”という感覚が、身体が無くなった後、どこまで続くのかは分かりません。
例えば、父からのメッセージは「父からだ」と分かるので、亡くなってしばらくは“個”の意識が続くのかもしれない。
徐々にひとつになっていくのか、ひとつになったり個になったりできるのか、そこは分かりませんが。
すべての“個の記憶”が共有されるのなら…
例えば私は、海外旅行に行ったことがなく「一度ぐらいは行っておきたい」と思っていますが…
それが実現しなくても、後悔したり嘆く必要はない、ということ。
「他の誰か」が経験していれば、それでいいということ。
だから例えば“目覚め”に関しても、「目覚めなければいけない」ような風潮がありますが、誰かがその経験をしていれば、“全”としてはそれでいい。
戦争や犯罪、災害などに関しても同じで、嘆く必要はないということ。
三次元的には、かなりドライに感じますが(笑)
そういうことなのだと思いました。
そしてこれも、“自我の思い込み”に過ぎない。
それではまた