少し間が空きましたが、こちらの続きです。
私なりの「自死に対する考え方」は、以前に書いた記事から変わっていないので、こちらも合わせて読んでいただけたらと思います。
今回は、“社会的”に「自殺がダメだ」と言われる理由。
それは「周りの人たちがキツイから」に尽きると思います。
家族、親族は言わなくても分かりますよね。
当然キツイです。
「自分は親として失格だったのではないか」とか
「なぜ気づいてあげられなかったのか」とか。
「気づいていたのに救えなかった」とか。
罪悪感に耐えきれず、精神を病むことも少なくないです。
周りの人の目も気になります。
自殺がきっかけで引越しや転職を余儀なくされたり、家庭が崩壊することもあります。
亡くなり方によっては、多額の賠償金などを支払う場合もありますね。
生活は一変します。
友達、学校、職場のひとたち。
これもキツイです。
家族と同様に、いつまでも罪悪感にさいなまれるでしょうし、仕事に穴をあけることになれば、その対応にも追われます。
学校や職場の問題が原因となれば、立ち入り調査や裁判などにも発展します。
それから、自殺現場に関わる人たち。
きついですね。
リアルな描写をすると、自死遺族の方々の負担になりかねないのでここでは避けますが…
特殊清掃の人たち、その現場で生活や仕事をする人たち、警察、消防の人たち。
たまたま通りすがった見ず知らずの人に、トラウマを負わせることにもなりかねません。
「自分は孤独だ」と思っていても、たとえ死ぬ時は1人でも、“人が1人死ぬ”というのは多くの人たちに影響を与えます。
日本人は代々、「人様に迷惑をかけないように」と教え込まれてきた民族です。
でも、「迷惑だから自殺はダメ」と言ったところで、悩んでいる人をさらに孤立させてしまうし、解決にもならない。
だからもっともらしく、「せっかく授かった命なんだから…」と言うようになったんじゃないかな、と思います。
「人様に迷惑をかけないように」と言われ続けて追い込まれた結果、自死に至ってしまうのだったら、なんだか本末転倒ですね…
私は、生きていれば誰しも、他人に迷惑をかけるものだと思います。
日本には、「困った時はお互い様」という言葉もあります。
これはどちらかというと、家庭内というよりも、外側に向けて言われる言葉ですが、本来は家庭の中でこそ言われるべきなんじゃないかと思います。
「迷惑をかけないように」⇆「お前はダメなやつだ」
「困った時はお互い様」⇆「ありがとう、助かった」
日々掛けられる言葉によって、自己肯定感は左右されます。
「自分が大切にされている」ということや、自分の生存価値が認識できていれば、「死にたい」と思ったとしても、踏みとどまれるものです。
そして、まさに今「死にたい」と思って、このブログにたどり着いた方へ。
どうせ死ぬのなら、思いっきり自分の感情を解放して、自分のやりたいことをやってみてからでも、遅くはないと思いますよ
それではまた。