先日、「目覚めを促そうとする人は、“目覚めない人”を見ている」と書いたのですが
その後シンクロ的に同じような発信を目にして、また思うことがあったのでシェアします。
これはスピリチュアルに限った話ではないので、もし良ければ読んでみてください
まずはこちらのブログ。
以下抜粋です。
“スピリチュアルのヒーラーでよく
「癒してあげたい」
と言う方が多いです。
これは量子力学的に
「癒やされていない現実や世界を
観測している」
ことになり、癒やされていない
クライアントを増やすことに加担し、
またはそのクライエントとの
共依存を作る可能性が高いです。
なので、
「何も主観を入れずにヒーリングができる」
ことがプロのヒーラーとして
最低基準になります。”
これは心理カウンセラーでも同じことですね。
私も学び始めた頃は、「癒やしたい」からカウンセラーになりたいと考えていました。
でも実際に学んでみて、自分にこそ癒やしが必要だったと気づき、「まずは自分から」と自分自身に向き合い続けてきました。
そうこうするうちに、結果的にですが、ようやくこのことが体感として理解できるようになりました。
「なんとかしてあげたい」「なんとかして欲しい」という関係性は、共依存に陥りやすいです。
本来の援助の目的は「その人が自分で解決していけるよう、手助けすること」
お互いの“自律”と“自立”がカギになります。
これは、先日書いた「相手が自分自身で解決できると信頼できるかどうか」や「“相手の問題”を“自分の問題”にしない」ということにも繋がってきます。
援助する立場ではなくても、これが意識できるだけで、人間関係の悩みは一気に減りますよ。
そしてこちらのインスタ。
こちらは環境問題についての内容ですが、環境問題についても同じなんだな、と思いました。
「環境を良くしよう」と言っているうちは、“環境が良くならない現実や世界”しか見えていないということ。
実際に、「環境が」と言いつつも、大量生産・大量消費が無くなるような気配はありませんね。
環境の改善ばかりに目を向けても、「発展や豊かさ」「幸せとは何か」に対する“刷り込み”を外さなければ、本質は見えてこないし、解決もしない。
そんな風に感じました。
ちょうど虫めがねで小さな虫を観察するように、“主観”で見る世界って、本当に狭い範囲しか見えないんです。
だから“刷り込み”や“思い込み”にもなかなか気がつけない。
その背景にある出来事や物事が、複雑に絡み合っていることも見えてこない。
そして私自身も、夜のお仕事を「辞めたい」と言っているうちは、辞められない現実しか見えてこないということ(笑)
分かってる。
分かってるけど怖いんだもんー!!
なんだかちょっと小難しい内容になってしまったかもしれませんが、何かの気づきのきっかけにでもなれば、と思いました。
それではまた