発信する側は、“宇宙の法則”や“目覚め”の定義を統一した方が良いのでは?というお話の続きです。
日本だけ、地球だけに適用されるような法則では“宇宙の法則”とは呼べないということ。
“目覚め”については以前も少し書きましたが、なんかちょっと大げさな気がするんですよ…
“目覚め”っていう言葉自体も、捉え方も。
“目覚め”は、突然スパーン!と見る世界が変わる体験をする人もいますが、そうばかりではないこと。
1度目覚めたら終わりではないこと。
階段を上っていったら、そこにドアがあるから開ける。
私は、それがいわゆる“目覚め”だと思っています。
でもその先にも階段が続いていて、またドアがあって…という繰り返しに過ぎない。
要するに“精神的な成長”のこと。
上るのが面倒な人は上らなくてもいいし、疲れたら休めばいい。
次のドアを開けるかどうかも個人の自由です。
“目覚めを促そうとする人”に対する違和感の正体も、トムトムさんのお話で、何となく分かった気がします。
目覚めを促そうとする人は、“目覚めない人”を見ている。
ということは、自分も“目覚めない側”にいる、ということなんです。
階段の例で言うと、階段の途中で留まって、「みんな上がっておいで!」と、“みんな”が上がってくるのを待っている状態。
だから私には、“流行り”を先導しているように見えたんですね。
“手放し”や“統合”という言葉でも同じ。
自分とある程度向き合わないと思い込みや執着は外れないのに、簡単なワークで手放しできるとは思えない。
参加者の中にも「男性性と女性性の統合」という言葉に、「統合したら中性的になるんじゃ…」と勘違いしていた人もいましたが、“足して混ぜる”という意味ではありません。
“統合”は、「“いろんな側面がある”ということを受け入れる」という意味。
その辺りの説明がないのも、“ふんわり”とか“流行りっぽさ”を感じたり、受け手が混乱してしまう理由だと思います。
あ、でもこれもあくまでも私からの“見え方”であって、「良い悪い」ではありません。
見ている世界は人それぞれ違うし、体験したいことも人それぞれ違う。
とにかく、そこに尽きると思います。
今後も、心理カウンセラーのブログなのに、スピリチュアルな内容も書きます(笑)
「心理カウンセラーはこうあるべき」に囚われたくないし、そういうカウンセラーなら、私の他にもごまんといる。
私は私なりのやり方でやっていこうと思っています。
色んな側面があっての“私”。
まだまだ私も知らない“私”が沢山いる。
それこそ“統合”ですね(笑)
内容にこだわらず、思っていること考えていることを書くことで、少しでも“私”という人間に興味を持って頂けたら、と思っています。
それではまた