以前悩みを打ち明けてくれた友人が愛知に来るというので、会いに行ってきました白ワイン


本当はすぐにでも会って話を聞きたかったのですが、遠方に住んでいるため、なかなか難しく。


そんな状況で、本人もあまり自覚していない内面のことをブログに書くのは、実は少し躊躇しました。


投稿時に内容を確認してもらいましたが、やはり「図星過ぎて参ってる」と。



そうだよなぁ…


本来なら、安心を感じられる状態になってはじめて、自分の内面と向き合う準備が整うものなのに。


「申し訳ない…」と思いつつ、「アイツなら大丈夫」という確信もあったので、少しだけフォローして後は本人に任せることにしました。



身近な誰かが悩みを抱えている時や、トラブルに遭った時など、話を聞いた側はつい「何とかしなくちゃ」と思ってしまいますね。


それは「大切に思うからこそ」でもあるのですが…


その悩みやトラブルを相手の代わりに「何とかしてしまう」のは、相手が“経験から学ぶ機会”や、“自分で考える力を養う機会”を奪うことになります。


精神的な“成長”を妨げてしまうんですね。



例えば、子供に借金があることを知って、肩代わりしてしまう親御さんがいますが、“痛い目”を見なくて済んだ子供は、懲りずにまた借金をするようになります。


まぁ、昔の私の話なんですけど(笑)


実際に“大変さ”を経験してみないと、何の気づきも得られないし、腑にも落ちない。


要するに、経験から学べないんですね。


これはお金の問題に限らず、進路や仕事、人間関係など、何にでも言えることです。


“相手の成長を妨げる”のは、“相手の可能性を潰す”のと同じこと。


誰かに介入され続けると、自分で考えることすら止めてしまいます。



そして、「つい介入したくなる気持ち」が湧いてくるのは、無意識下では“相手のことを信頼していない”から。


「この人は自分で解決できる、大丈夫」と信じていないから「“私が”何とかしなくちゃ」と感じる。


「その後の尻拭いをするのは嫌だ」とか、「悩んでいる姿を見続けるのは嫌だ」といった不安が湧いてくる。


“自分の不安”を払拭するために、介入したくなるんですね。


一方、介入される側は「信頼されていない」ことを、これも無意識的に感じ取ります。


心配して、あれこれ介入しようとすればするほど反発されるのはそのため。


思春期なんて特にそうですよね。



「相手が自分自身で解決できると信頼する」というのは、カウンセラーとしても基本の在り方です。


よく「聞いてて自分がつらくならない?」と聞かれますが、つらくなってしまうのは、“相手の問題”を“自分の問題”にしてしまうから。


“相手の問題”は、“相手のもの”です。

そして“問題”は、成長するチャンス。


「相手を信頼して見守る」というのは、特にお子さんに対してだと、結構なチャレンジに感じるかもしれませんが、どうか「成長しようとしているんだな」と前向きに捉えて、“心配”より“応援”をしてくださいね。


それが信頼関係にもつながりますし、お互いの“自立と自律”にもつながりますにっこり



それではまた。



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