前回、前々回から何となく繋がっている、“歪んだ価値観”のお話。
“物質主義”の今の世の中では、目に見えない“心や命”の価値もあやふやです。
「お金のために」と身も心もすり減らして働いても、自分の代わりなんていくらでもいる。
作っているモノや提供するサービスに振り回され、景気が悪くなれば「会社のため」とクビを切られる。
大きな企業になればなるほど、“使い捨て”にされているような感覚は強くなると思いますし、自分ではそう感じていなかったとしても、これは無意識の領域に刷り込まれていきます。
だから私たちは、無意識のうちに「自分よりもお金の方が“価値が上”」だと認識してしまっている。
そのせいで、“心”が置き去りになっていることに、多くの人が気がついていません。
お金のために人を殺したり、自分を殺したり。
年金を受け取るために、両親が亡くなったまま放置する、なんて事件も増えていますね。
大切な人を亡くしたと落ち込んでいても、予想外の遺産や保険金を手にすると、コロッと元気になったり。
それらのことが起こるのは、「“人間の命”よりもお金に価値がある」と認識している証拠だと思います。
自分の心に関わることでも、お金をかけずに何とかしようとするのも同じ。
心の問題は自分の命と繋がっていると分かっているのに、目を向けない。
「自分にそれだけの価値がある」とも思えないし、それよりも「お金がもったいない」と感じてしまう。
そして、そんなにお金に執着してしまうのは、「お金があれば幸せになれる」という“刷り込み”のせいです。
支配する側は、“刷り込み”を使って支配しています。
それこそ“アンドロイドのように見えた人達”じゃないですが、支配される側は「支配する側の言うことを聞いていれば安心」と思い込んでいるので、考えなくても良いので楽なんです。
それって言い換えると“奴隷”です。
支配者と奴隷の関係ですね。
でも心の奥底では、「自分の心や命は使い捨てじゃない!」と分かっているから苦しくなるし、いくら従っても、ちっとも安心も幸せも感じられないから、死にたくもなるんじゃないでしょうか。
自分たちが苦しいのは、「社会のせいだ、政治のせいだ」と言う人達もいますが、そういう人達に限って、自分で何か行動を起こすことはしませんよね。
それは「支配者たちが何とかするもんだ」と思い込んでいるから。
“奴隷”でいるうちは、何でも“人任せ”です。
「誰かが何とかしてくれる」と思い込んでいるから、「苦しみから救ってほしい」と、宗教やスピリチュアル、いのちの電話にすがる。
以前にも書きましたが、自分を苦しみから救えるのは、自分自身しかいないんです。
自分が“奴隷”だと気付いて目を覚まさなければ、この歪んだ価値観の中で苦しみ続ける。
自分で考えて行動するのと、どちらが苦しいでしょうか。
どちらの選択も、あなた次第です
それではまた。