#旅の思い出を語りたい その3

高知県佐川町編

森下雨村文学碑

に、どうぞお付き合いくださいませ。

旅の思い出を語りたい

 

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所用があって高知で滞在中の22日(水)
所属する会のお仲間(14名)と
春らんまんの

牧野公園 “さくらまつり ”を楽しみ

 

時は有効に使いたいではありませんか

せっかく佐川まで来たのだからと

欲張りな私は、あそこも行きたい~

と、言うことでひと足お先に別行動

 

そして・・・
佐川に来た目的のひとつ
 
森下雨村文学碑を目指して
てくてくてく
走る人
 
晩年、釣り三昧に生きた
森下雨村の遺稿
名編集者の書き遺した釣り随想
ぼくとつだけどあたたかい
集落の人々との交流を交えて
描かれた情景は
仁淀川への郷愁を
かき立ててやまない
『猿猴川に死す』

 

題名からも土佐の匂いが漂ってくる

1950年代の高知の山奥の暮らしと
そこで生きる人々の生きざまが
淡々としかし生き生きと描かれ
釣り好きならずとも
何とも言えぬ感動に誘い込まれ
しみじみと素朴で飾らず
心を打つのでありました・・・


森下雨村は

高知県の佐川町の出身で
江戸川乱歩の才能を

発掘したことでも知られる。

本を読んで興味を持ち

高知へ行くたびに折に触れて

その作品を読んでいた・・・

 
今回、佐川町のことを
いろいろと調べていたら
その文学碑があることがわかり
それも佐川駅から歩いて行ける距離だ。
 
行くなら
今でしょ!!

春麗の
春日川桜づつみ遊歩道から行く
佐川町上郷が
森下雨村の生地だそうだ。

国道33号線沿いの
ヤマダ電機とシマムラの間を入ると
案内がありましたよ。
 
このすぐ先が森下雨村の里
ありました^^
 
 
多くの定年後の人生の先達
先人の見事な後半生は
その本
『猿候川に死す』に書かれている。
東京で活躍の後
50歳でUターン
故郷の佐川の人生を楽しんだという
1940年(昭和15年)から
25年間の人生は
釣りに行ったり山野と親しんだようで、
好々爺の親しみある人だったという。
 
 
森下雨村
知る人ぞ知る
牧野富太郎と並ぶ佐川の偉人である。
 
文学碑の傍には
こんな花々が咲き誇っていたよ
 
 
 
近くに鳥居が見えたので
行ってみよう・・・
 
松尾八幡宮 

蓮池守護
大平氏の中山信家が勧請し
後に松尾城に移した城八幡
御祭神は応神天皇

貞観3年(861)に土佐・高岡に来た
人皇第51代・平城天皇の第3皇子
高岳親王が京都の岩清水八幡宮を
勧請創建したと伝わる神社だそうだ。

ご由緒は
八幡伝承記によると
永正14年(1517)津野氏の傘下で
松尾城に拠る佐川越中守は滅亡し
蓮池守護・大平氏の養子・中山信家が、
大平領高岡の松尾八幡宮を
古城山に勧請していたものを、
弘治2年(1556)中村越前守信義が
城北松尾山に移し、
戦勝祈願、山上鎮護としたのが
始まりだそう。
この神社の背後にある
松尾城跡の城八幡だそう。

松尾城跡は、
この松尾八幡の裏から登れるようです。

境内傍には・・・
新福寺跡の石碑とな?
うん?神社にお寺??
元々は、松尾城の山上にあった
松尾八幡が
現在の麓の新福寺跡に移されたのは
明治に起こった廃仏毀釈により
明治5年1(1852)に村社として
産土神となり同8年(1875)に移ったそうだ。
 
境内へ向かう階段には・・・
キシロタンポポにタチツボスミレ
 

そろそろ
お仲間と高知へ帰る列車の時間
とことこと、佐川駅へ向かう
 
線路沿いも春麗の様相
 
 
あっ^^
汽車が来たよ♪
春のお花と一緒にカシャ♪
 
あっ^^
佐川駅にもあった
めちゃデカイ
バイカオウレンのポスト(笑)
 
少し早めに佐川駅に着くと
もう、お仲間が集合
みんなで鈍行列車で高知へ・・・
行きは1両編成だったが
帰りは3両編成
でも~~
次の西佐川駅で特急待ちで
13分も停車^^;
いやいや
なんとも、のどかやねぇ~
 

高知県佐川町編は

これでお終いです♪

お次は、高知編へとつらつらと続く

 

ニコニコ くもり ウインク 音譜 キョロキョロ ラブラブ

 

昨日の夕方、神戸に帰ってきました♪

高知は初夏の陽気で扱ったのですが、

神戸は、それほどでも無くてほっ^^

 

今朝は、しっかり雨で

ちょっと肌寒い^^;

この気温差にアラカンおばちゃんは

身体がついて行けないわ~💦

 

いつもブログを見ていただき

ありがとうございます^^

 

今日も素敵な一日になりますように。