はじめの1歩
ウクレレをはじめた。
日曜日の午後の1時間、初心者向けウクレレ教室に通うことにしたのだ。
回りを見渡すと、日本人は私とKさん。アメリカ人と韓国人もいる。
国際色豊かである。
カラオケに行ったときのタンバリンを除けば、小学生の時の「たて笛」以来の楽器である。
不安だ・・・。
ついて行けるのだろうか・・・。
いきなり、難しいことをやらされないだろうか・・・。
「なんでカールおじさんみたいな人がきてるのだろう?」と他の参加者に思われないだろうか・・・。
(もちろん、カールおじさんを知ってるのは日本人だけであるが)
そんな不安をよそに、先生のラリーさんは、
「ウクレレはハワイで生まれたと思われてますが、実は18世紀にポルトガル人が持ち込んだ楽器が発祥です。」
と歴史から説明する。
ウクレレの各箇所の名前、持ち方、指のどこを使って弦をはじくのかなど、基本から教えてくれる。
そして、コードを押さえながら音を出す。
最初はゆっくりと、次第に早く。
次のコードを教わる。
ゆっくりから、だんだん早く。
そして、2つのコードを交互に。
昔、サッカーの指導者ライセンスを取りに行った時
「トレーニングの5大原則」に出てくる『漸進性の原則』を思い出した。
「ゆっくりから、早く。」「簡単なことから難しいことへ。」
今回、そもそもウクレレを始めたきっかけは、Kさんに誘っていただいたことが大きいのだが、
以前より「いつかは自分も・・・・」と企んでいたのだ。
なぜかというと、今年4月サイパンに来てくれた慶応大学女子サッカー部の選手たちに感謝の気持ちを込めて、
北マリアナ女子代表選手が島で有名な「Hafa adai」という歌をプレゼントをした時、
何とも自分自身感動したのである。
キャプテンのCarrieとGKのRebeccaがウクレレを弾き、他の選手たちが気持ち良さそうに踊りながら歌っていた。
ビーチで聞いたウクレレの音色は、海からやってくる静かな風と共にやけに胸にしみこんだことを記憶している。
「自分も弾けるようになりたい」と・・・。
1時間のレッスンがあっという間に終わってしまった。
「なんでもっと早く始めなかったんだろう。」というのが、率直な感想である。
新しいことをはじめる時、何かと言い訳を探して、その初めの1歩を踏み出せないものだ。
しかし、思い切って飛び出してみると、自分の中に新しい感覚や感情が生まれる。
これからは、「初めの1歩」に躊躇しないようにしようと思う。
気持ちのいい一気飲み
昨日は、サイパンでお世話になっているIさんファミリーとLさんファミリーと一緒に韓国料理のお店にいった。
Kim's Tofuというお豆腐屋さんがやってるレストランだ。
サイパンには、多くの韓国人の方が住んでいる。
日本人よりも多い。
よって、美味しい韓国レストランもたくさんあるのだ。
店内に入ると、そこはもうサイパンではなく、本物の韓国なのだ。
名前は忘れてしまったが、圧力なべで蒸したとりが丸ごと入っている、辛い鍋。
ビールや焼酎にあう、絶品の鍋である。
お店のオーナーのリーさん。
店の名前はキムなのに、リーさん。
いつも、われわれの席にやってきて一緒に「カンペー」といって、コリアンスタイルで一気飲みだ。
42歳のオヤジになってからの一気飲みはつらいと思うかもしれないが、
この店で飲む「一気」は、なぜだか気持ちがいいのである。
「『言葉』を大事にしています。」
「自分は指導者を目指す上で、『言葉』をすごく大事にしています。」
17年間続けたプロサッカー選手を、昨シーズンを最後に引退した三浦アツの言葉が耳に残った。
彼は、8月26日~30日まで日本のサッカースクールが実施した
サイパンツアーの団長としてサイパンにやってきた。
その参加者に交じって、サイパン在住のU-10/U-12のサッカー少年も、アツコーチにサッカーを学んだ。
身体のあらゆる箇所を使ったリフティングや、
ハーフウェーラインからゴールラインまでの50mの正確無比なロングキックに子供達は眼を輝かせる。
クリニックが終わり、一緒に食事をしながら、いろんな話をした。
実は、3年前までは同じクラブに所属していたのだが、そんなにじっくりとは話をしたことがなかったのだ。
小学生時代、あまりにも身体能力が高かったため、当時野球に打ち込んでいた彼の自宅に県内の強豪少年サッカーチームの指導者が毎日のように通いつめて、口説き落とされた話。
中学生時代、練習後に一緒になってグランドに残って、足のどこにボールを当てればよいか、どんなキックをしたらボールが曲がるのか、を一緒になって研究してくれた指導者の話。
高校時代、日本一練習量の多いチームでは、監督であり先生でもある指導者が、一人一人の性格を見極め、調子のいい選手ほど、努力を怠らないように気持ちを引き締める指導をしていた話。
プロになってから日本代表も含め、フリューゲルス、マリノス、ヴェルディ、ヴィッセル、横浜FCと17年間の間実に多くの名将たちと接してきた。
現役時代から、「引退後は指導者」と考えていた彼は、指導者たちをじっくり観察していたようだ。
特に、「どんな言葉を、どんなタイミングで、どんなトーンで選手に言葉をかけるのか」を。
「どんなに強く大きな声で言われても耳を通り過ぎてしまうこともあれば、囁くような短い一言が頭にずっと残ることもあるんですよ。」
引退してから、サッカー教室などで子供達に指導する機会も増えてきたが、終わってから反省するのは、
いつも言葉のことらしい。
「もう少し違った言葉をかけてあげた方がよかったかもしれない。」
「言葉でプレーを強いるようなことをしていなかっただろうか。」
多くの指導者の言葉を観察してきた彼が、今後どんな言葉を操る指導者になっていくのか、
いまから非常に楽しみである。