北マリアナ諸島サッカー代表監督の日記 -2ページ目

北京での最後の仕事②

2012年4月21日朝7:00に北京市内を出発したタクシーは、9:00過ぎに無事「中国サッカーナショナルトレーニングセンター」に着いた。


漢字では「中国足球訓練基地」、英語では「China Football Training base」と表記されており、なんだかものものしいのである。


到着早々、監督ワークショップの会場をスケジュールを聞いたら、ちょうど今始まったところではないか。


チェックインも荷物を部屋に押し込み、会議室に向かい、ドアを開けると、参加10カ国の監督と講師がすでに自己紹介を始めていた。


席に着くなり、「次は北マリアナ・・」とのことで、北マリアナのサッカーの状況、自分の役割、日本サッカー協会から派遣されていることなどを話すと、案の定、「北マリアナってどこですか?」という質問。


「太平洋にある島で日本とオーストラリアの真ん中で、グアムの隣です。」といつもどおりの説明をし、席に着く。


隣にはモンゴル代表のトゥヅカ監督と、日本代表の内山監督。


内山篤さんとはJFA勤務時以来の再会であるが、その後ジュビロのトップチームの監督をされたりしていたので

久しぶりの感じがしない。

わたしにとっては、ナショナルトレセンコーチやジュビロの監督というよりは、ヤマハの内山さんなのである。


わたしが高校時代(読売クラブユース)、日本リーグのボールボーイなどをたまにしていたのだが、そのときの選手としての印象が強いのだ。背は大きくないのだが、技術があり、ボールをとられない。代表にも入っていたので良く覚えている。


ワークショップでは、大会の意義やフェスティバルを通じて何を発信したいのかなどの説明があり、中には「障害者に向けたAFCの取り組みな」ども紹介され、われわれの立場で障害者の人たちに何が出来るかをディスカッションしたりもした。


2日目は、講義のほかにグループに分かれて年代別のトレーニングデモを見せるセッションもあった。


参加国の監督は、この年代でさえ必ずしもその国民がなっているわけではない。


中国の監督はフランス人。

香港の監督は韓国人。

北マリアナの監督は日本人。


中国サッカー協会は、フランスのメス(クラブ)と提携を結んでいるらしい。


監督ワークショップも無事終わり、いよいよ大会が始まる。



北マリアナ諸島サッカー代表監督の日記

北京での最後の仕事①

2012年4月20日~30にまで中国・北京に行ってきた。

監督向けのセミナーが21日・22日の二日間、大会に先だち開催されるため、チームより先に20日夜23:00頃北京の空港に到着した。


30分くらいうろうろ歩いたが、どうも大会側の出迎えが着ていない。

そんなこともあろうかと、開催地の「中国サッカーナショナルトレーニングセンター」の連絡先と住所を控えていたので連絡をとるが、だれも電話に出ない。


仕方がないのでタクシーで向かおうと外に出ると長蛇の列。

空港内にうろつく白タクと交渉するしかないと思い、こちらから話しかけるのだが、ほとんど英語が通じない。

住所が書かれた紙を見せても、どこにあるのか分からないようだ。


そんな中、英語を話す白タクドライバーが「Ok,I know」などと近寄ってきた。

インチキ臭さ満点であるが、すでに深夜1:00を回り、そろそろ何とかしないと空港で一夜を明かしかねないとおもい値段交渉に入る。


「1時間半かかるから800元」と行ってきたので、「500元」(それでも高いが)と交渉し、車に乗る。

いまにもタイヤが取れそうな車に乗り込み、目的地に向かおうとするが、車に乗った瞬間、運転手は5人くらいに電話で目的地の場所を尋ねているようだ。

しかし、誰も知らないようだ。


予想通り行き先を知らないタクシーは北京市内に入り大き目のホテルに止めた、「ここで聞いてみる」というのだ。

すでに深夜2:00を回っており、行き先を知らないやつに付き合っている暇はないので、「ここでいい」といって、

100元を渡し、荷物を車から降ろそうとすると、ものすごい剣幕で「No」と叫んでトランクを閉めようとする。

こちらも怒りと疲労の限界で、相手がつかんでいる自分のかばんを力の限り引き寄せ、ホテルに入っていった。


なんとか2:30ころチェックインできたホテルで、部屋に着いた瞬間目覚ましを6:00にセットし、1分後には深い眠りに着いた。


今、目を閉じたと思ったら、もう目覚ましがなっている。

すぐさまシャワーを浴び、フロントで場所を確認してもらい、タクシーのドライバーにもきちんと説明してもらい、タクシーに乗る。

約2時間かかって「中国サッカーナショナルトレーニングセンター」に到着した。


タクシーは「ゲートの手前でおりろ」とのこと。

しかし、ゲートから見える宿泊施設まで数百メートル先にあり、ゲートをあければ、そこまで車で入れるのだ。

大きな荷物があるためガードマン(公安)に「大会の参加者だが、中に車を入れてほしい」というと、「No」とのこと。

その場で大会の関係者に電話で連絡を取るように言い、電話で少し話した後、ようやくゲートを開いた。

なんとも先行き不安なスタートである。


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勝利の美酒

昨日、J2の試合を見に行った。

今年元日の天皇杯決勝に残り、今シーズンJ2優勝候補の呼び声が高い京都サンガ。

対する湘南ベルマーレは、大学時代の同級生であるチョウキジェ氏が監督を務めている。



試合開始早々から、京都のシュートパスをつなぐサッカーに対し、湘南はハイプレッシャーをかけてボールを奪う。



「湘南は、これで90分間体力が続くのか?」心配に思っていた。



京都に先制されたすぐあに得点し、1-1で前半を折り返す。

後半も湘南は、相手ボール保持者に対する執拗なプレッシャーを続ける。



体力は落ちない。



ロスタイム、この日何度か決定機をはずしていた菊池選手がスルーパスで相手を抜き去りながらのシュートがネットを揺らす。

ホーム開幕戦ということで、ほぼ満員のスタジアムは歓喜に沸いた。

同時に得点した菊池選手を選手スタッフ全員で祝福する。


北マリアナ諸島サッカー代表監督の日記



試合終了の笛が鳴ると、ベンチでは交替した選手、試合に出なかった選手、監督コーチ達スタッフが抱き合って

喜ぶ。

42試合の1試合が終わったに過ぎないが、まるで優勝したかのような騒ぎっぷりだ。


しかし、この試合は、たかが1/42の試合ではないのだ。



通常どのチームも、シーズンが終了する前から来期の構想に入る。

どの選手と契約をし、契約をしないのか。

誰が監督をし、コーチをするのか。

どのようなサッカーを目指すのか。

そのためにどのような選手が必要なのか。

どこでキャンプをし、どのようにチームを作り上げるのか。

フィジカルのピークをどこに持ってくるのか。

どのチームと練習試合を組むのか。

選手に自信を持たせなければいけないが、過信させてもいけない。

細心の注意を払いながら戦わなければいけないが、大胆さを失わせてはいけない。

試合で起こるであろうさまざまな状況を想定し、全ての可能性に向けて準備をする。



選手もコーチングスタッフもフロントも、逃げられない不安を背負って、開幕戦という、この新しい本の1ページ目をめくるのである。


次の試合がすぐにやってくるぞ。

まだ始まったばかりだぞ。

浮かれていると足元をすくわれるぞ。

当事者達には、自分達を戒める言葉が頭を駆け巡るであろう。



しかし、こんなに気持ちが高ぶる瞬間は、人生の中でそんなにたくさんあるわけではない。



どっぷりこの勝利の喜びに浸ってほしい。



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