早いもので今年もあと数日で下半期がスタートしますね。
先週、関東地方は梅雨入りしましたが、
梅雨入りして私が一番困るのは
洗濯物が渇かないこと。
ちなみに私の家には「洗濯機」がありません。
そして「テレビ」も無い。
持っている家電製品といえば、
冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、電気ケトル、
炊飯器、ノートパソコン、ドライヤー、
あとは姉のお下がりのアイロン。
掃除機はなくて、
ずっとコロコロを使ってる。
洗濯したい時は、マンションが所有する
コインランドリーを利用している。
ここに越して来る前、
大阪で独り暮らしをしていた時も、
入居の決め手は、
「コインランドリー付きだったから」
そして今の家に住んで7年目。
大阪時代を含めると、9年間ずっと
マイ洗濯機の無い生活を送っています。
誰が何を洗っているかわからない洗濯機だけれど、
いちいち気にしてちゃ生きてけない。
海外でバックパッカーをやってた時、
ボランティアで農場を転々としていたから
そういうの、わりと平気。
もしも私が潔癖症だったら、
バックパッカーどころか、
今の生活すら耐えられないと思う。
たとえ今、洗濯機を買いたいと思ったとしても、
排水口がもともと付いていない物件だから、
洗濯機を買う=引っ越ししなきゃいけなくなる。
その方が面倒、だったら今のままでいい。
1回の洗濯で小で200円、
大だと300円かかる。
雨の日だと乾燥機も回さないといけないから、
その分出費はかさむ。
20分100円×2回で、
雨の日は洗濯1回で500円がかかるから、
梅雨の時期が一番困ります。
さすがに毎日は無理なので、
10日に1回くらいのペースで洗濯。
「そろそろ洗濯しなきゃな~」の目安は、
パンツの替えがなくなったら(笑)。
今さらだけど、
「もうちょっとパンツを買い足したほうが経済的なのかな。」
と思っているところ。
今から70年前の高度成長期に、
「三種の神器」と呼ばれていた家電が、
テレビ、冷蔵庫、洗濯機。
・・・むむむ。
令和なのに私ったら
「冷蔵庫」しか持ってないぞ~~~っ!!
でもその冷蔵庫でさえ
1年くらい前から中身がスッカラカンだから、
いっそ小さいのに買い直そうかしら?
と思っていたところだ。
昔は兵庫にいる叔父が
お中元には桃かメロン、お歳暮にはタラバガニ、
バレンタインにはチョコレートケーキ・・と、
いろいろと送ってくれて
いつも冷蔵庫はパンパンだったけれど、
その贈り主の叔父は、
ついに去年「老人ホーム」に入居してしまい、
ほとんど音信不通だ。
今私の冷蔵庫には、閑古鳥が住みついています。
電気代を抑える為にも
そろそろ買い替えが必要かしら??
うーん、でも買い替え費用のほうが
もしかして電気代より高いかもな・・。
悩みどころだ。
電子レンジはかれこれ10年くらい
同じのを使っています。
でも実は1年前から「扉」が壊れてしまって、
(普通のやりかたでは)
扉を開けることができません。
レンジの扉が開かなくなるなんて
かなりの「致命傷」です。
長く使ったしそろそろ買い替えようかと思ったけれど、
扉が開かないこと以外は全く問題なく使えるので、
捨てずに毎日使い続けています。
恐らく皆さんが疑問に思ったであろう、
「どうやって開けてるの??」と。
実は、開ける時、
「定規」を使って開けています(笑)。
やり方は簡単!
定規を扉の上からグイッと差し込むだけ!!
これで簡単に開きます。
いま定規、1日何回使ってるだろ??
なんなら小・中・高校生ぶりに
毎日使ってる気がします(笑)。
無印で買った定規、
もともとは15cmの長さがあったのに、
最初のまだコツを掴めていない時にバキッと折れて、
今は11cm。
100均で買ってたとしてもたったの110円なのに、
今ではコツを掴みまくってこれで全然開けれちゃうから
無くすまではこれでいこうと思っています。
テレビも、地デジ放送に切り替わった2003年からの21年間、
実家にも、そして今の自分の家にもテレビはありません。
地デジ放送になって
そのうち海外にいたのは8~9年、
帰国して実家に帰ってもテレビがなくて
観たい番組が見られなかったから、
わざわざインターネットカフェに行って
テレビを見ていました。
たまたま家の近くにインターネットカフェができたので、
母が寝静まった深夜、
ふらっと出かけてはネットカフェに行き、
当時ファンだった千原ジュニアさんの
「にけつ」をよく観に行っていました。
当時は2週間に1回、新幹線で大阪から渋谷まで
わざわざ「にけつの公開収録」を観に行っていたぐらい、
ジュニアさんの大ファンだった。
それ以外で特に不便に思ったことはない。
テレビのない生活は
その分自由な時間が増えて快適。
1日中ラジオを垂れ流し、
それをBGMに読書をするのが私の日課であり
楽しみの1つでした。(今もそう)
同じく母も”本の虫”だったので、
ダイニングテーブルに二人で横並びで座り、
お互い無言でずっと読書。
時々、「そろそろお昼にする??」「コーヒーは?」とか
突然会話が始まって、
時にはラジオから流れてきた曲を一緒に口ずさんだりして(笑)。
心地のよい空間の中で、
一日中読書をして過ごしていた日々が本当に懐かしい・・・。
そして現代。
今は便利な「Tver」というものがあるので、
観たい番組はそれで・・・。
アマゾンプライムにも入会しているので、
観たい映画はそれで・・・。
映画館で観たい時は
イオンカードの会員なので、
イオンシネマズで上演している作品であれば、
いつでも1000円で・・・。
車も持っていないけれど、
都会に住んでいるのでどこでも電車で行けるし、
まず安心、安全。
大阪から自転車も持って来ていたけれど、
盗まれてしまってからはどこに行くのも徒歩。
でもそれで充分。
そこまで遠出することもなくなったし
散歩はいい運動になる。
本も買わなくなった。
図書館で借りるようになったから。
新刊でどうしても今読みたければ買うけど、
図書館で借りるようになってから
不思議と「積ん読」がなくなった。
読みたい本はだいたい人気の本。
予約してから結構待たされるから、
やっと届いて「2週間以内に読まないと!!」となると、
めちゃくちゃ集中して読む!!
読み切れないまま返却して
次にまた自分の番がくる時っていつ??って思うし、
もうその時には興味がなくなっているかもしれないから
期間限定だとめちゃくちゃ集中できます(笑)。
誰が触ったかわからない図書館の本なんか触れない
って人もいるみたいだけど、
私は全然平気。
セミナーや習い事は有料の方が身になるとは思うけど、
「無料で読める本ってどうなの??」って最初は思ったけど
意外と大丈夫だった。
「物が増えない」ってのは
心の健康を保つにはとっても良い。
そうやって本を増やさないようにして、
どんどん断捨離していきたい。
断捨離でいうと、今使ってるIKEAのベッドも、
いつか折りたたみベッドに変えるか、
折りたたみのマットレスを敷いて寝るようにしたい。
アラフィフにもなると、
まだ動けるうちにどんどん断捨離していかないとなと思う。
私と同い年(48)の有名人に「内田有紀」がいる。
誰もが認める「美魔女」だ。
(ってか魔女ってなんだ魔女って失礼な!)
こないだ始球式でその美魔女っぷりが話題になり、
「めちゃくちゃ可愛いな~~」と、
女の私でも思った。
・・・あ!そういや昔、
ジュニアさんと内田有紀は付き合ってたっけな(笑)。
江戸時代の平均寿命は30~40歳くらいだったらしい。
なら私はとっくに□んでるか、
ヨボヨボになって隠居してる。
今の平均寿命、女は87歳ですって。
そのうち、しっかりと自分の脚で歩けて、
自分の歯でしっかり噛むことができて、
「生きてるなあ~~」と実感できる時間って
いったい何年間のことかしら。
平均寿命と健康寿命は全く違うものだからさ。
これから本気で「終活」について
考え始めてもいい頃かもしれないなと思う、
今日この頃・・。
例え今私が30代だってとしても、
決して「終活なんてまだ早い」とは思わないと思う。
なぜなら地震や異常気象で私達いつどうなるか
誰も予測できない時代になっているから。
私は「足るを知る」という言葉を
小さい時、祖母からよく聞かされていました。
老子の言葉で、
「身分相応に満足することを知る」
という意味。
私はずっと意味がわからなかった。
貧しいのを「我慢しなさい!」と言われているようで。
子供の頃からお金がないせいで、
ずっと不自由な思いをしてきました。
家におやつがない時は、
「はったい粉」を作って空腹を満たしていたし、
ランドセルは親戚のお下がりだったので、
6年間使い込まれた経年劣化しまくりのを
入学初日から背負って登校した。
きっと周りからは好奇の目で見られていたと思います。
そろばんも長い30cmのが買えなくて、
クラスで一人だけ
母の15cmくらいのを使っていました。
勉強机も、姉は宮付きを買ってもらえたのに、
私は宮付きは買ってもらえなかった。
姉が中学生になった時、
姉は洋室の子供部屋に残ったが、
次女の私に選択肢はなく、
奥にある幽霊がでそうな暗い和室に移動させられてしまった。
服はだいたい姉のお下がりで
制服もお下がりだった。
大学に行くお金がないことは最初から分かっていたのに、
高2の時に進学クラスに進むことを希望した。
どこも受験する気はなかったけれど、
”とりあえず”進学クラスに入ったのだ。
それを誰にも相談できなかった。
それから、大学も短大も専門学校も受験せず、
就職すらしなかった事に学年主任がびっくらこいて、
職員室に呼び出されてしまったんだけどね。
何かにつけ次女の私が
我慢を強いられて育ってきたような気がする。
”年子”なのに理不尽だな~と思ったことが何度もある。
確かに「足るを知る」という言葉は
この頃の私にピッタリの言葉なのだけれど、
今は全然、捉え方が変わった。
最近図書館で借りて読んだ、
風間トオルさんの著書「ビンボー魂」を読んだら、
私の家なんて全然貧乏のうちに入ってなかった!!(笑)
そんな私が今世生まれてきたテーマは、
「自由」かもしれない。
いま独身で子供がいない人生を生きてるのも、
もしかしたらそう決めてきたのかもしれないし、
お金がなくていろんな事を諦めてきたけれど、
自分で稼いでいる今でも、
生活は昔とそれほど変わっていない。
いや、むしろ昔よりも「無いもの」が多いのに、
今の方がずっと幸せに感じる。
人生は選択の連続、
そしてその連続で今の私ができています。
洗濯機やテレビを
(本当は)買えるお金を持っているけれど、
敢えて”無い生活”を自分で選択して生きている。
買うのも買わないのも、自由。
物があることが自由なのではなくて、
買うか買わないかを自分で自由に選択できることが
本当の自由なんじゃないかと、今は思うのです。
「足るを知る」の私なりの解釈は、
自由に選べる選択肢がありながら、
敢えて買わないという選択をし、
その不自由な中で
どれだけ自由に、快適に過ごすことができるか。
貧しさを惨めととらえる人への
励ましの言葉ではなく、
「不自由さの中にある自由を
もっと楽しみなさい」
私なりにこう解釈し、
毎日小さな自由を選択しながら、
楽しく生きています。
今日は一日中雨らしい。
昨日洗濯しといて良かった~!!(笑)
それでは今日もよい1日を・・・。